蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 民主主義破壊者、マス・メディアの暴力 dimanche 31 juillet 2016


インターネットが日常的に身近になり、情報を多面的に知ることができるやうになつたいま、都知事選ニュースもその例外ではありません。マス・メディアを代表する既存のTVや新聞の情報は奇妙におなじです。しかし YouTube などの情報をみるとさうでないのが明らかです。

そこからわかることは、マス・メディアは、公を代弁すると標榜しながら、実は、スポンサーの意向に従ふために、情報を操作し、人を誘導、欺き騙し、スポンサーの意向を実現させるために、また満足させるために、スポンサーの機関誌に成り下がつてゐるのが見えてきます。

一票の格差を憲法違反だと裁判問題にする人たちが、マス・メディアの都知事選の報道をみて、偏向報道だと声をあげ、問題にするのさへ目にしたことがありません。立場が違ふと、憲法でままられてゐるはずの基本的人権が犯されてゐても、かういふ人たちは知らぬ顔をするのがよくわかります。

谷山雄二朗のこの行動さへも、マス・メディアのどこも取り上げません。言論の自由を問題にするあの参議院議員の山本太郎さへもこれを問題にしません。ほんとうに「言論の自由」を求める活動をしてゐるのなら、実際に行はれてゐる偏向報道を見過ごすはずはないのでせうが、なぜか知らぬふりして、問題にしません、これは信じられません。あの人はその程度の人なのでせう。やることを見てゐればわかります。



急仕立ての、とつてつけた、ポーズを重要視するにわか活動家だといふことがよくわかります。山本太郎本人も、こういふ事実を看過し、なにも発言しないことからわかるやうに、感じることすらできず、自己矛盾さへも感じられない不感症人間のやうです。

PCで覗いた七月三十日のテレビ朝日の都知事選ニュースは傑作でした。呆れ果てるを通り越して笑つてしまひました。三候補報道にしても、その順番は世論調査にしたがつて、これまでなら放送順位が決められるのが定石だつたはずですが、テレビ朝日は、それを無視し、世論調査の逆の順番で報道をしました。

一番は鳥越、二番は増田、三番は小池とそれぞれの選挙活動映像を流して、報道しました。では他の十八人の候補者はといへば、一覧表を表示して終はりです。この一覧表も、他の候補者の異議申し立てを小耳に挟んだ結果、マテレビ朝日が弁解のために用意した映像だといへます。

けふ七月末日は都知事選の投票日です。もしかりに今回の都知事選はマス・メディアの偏向報道により、法で守られてゐるはずの公平性が堅守されず、ゆゑにこの都知事選は成立しない、無効であると訴へられ、裁判沙汰になつたとしたら、どうなるのでせうか。可能性は大いにありさうです。

三候補に偏つた報道は、衆目の承知するところ、裁判所もうかつな結審はだせないでせう。もしさういふ結審を下したならば、今以上に法は信じられなくなります。法の正体ーー法はなにも弱者を守るためにあるのではない、強者の利権を堅守するために存在するーーも明らかにされます。

五十億だともいはれる選挙費用、それを偏向報道したマス・メディアが等分に負担するのでせうか。確信犯的に、あへて承知して偏向報道をするのですから、かういふ罰金が課せられて当然でせう。なにも知らない弱者は法を犯せば、確実に罰せられ、従はされます。従はないとさらに罰せられ、罪がさらに重くなります。ことばどおり、法の名の下においてすべての人が平等なら、それが事実なら、強者ーー扇動誘導するマス・メディアーーも罰せられて当然至極でせう。









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# 選挙に行つて一票を投じよう!至極まつとうなことを訴へる動画 vendredi 29 juillet 2016
考へることは分類することだといふ人もゐますが、範疇つけして、その範疇に従つて、考へることは、フランスの哲学者アラン流にいふのなら、なにも考へないといふことになります。

この動画で見る人物は、都知事選に立候補するまで、世間一般の噂の程度にしか知りませんでした。しかし都知事選に立候補してから、演説動画が数多くアップされてゐて、耳を傾けやうと思へば、それができます。



そこで知つたのは、範疇づけの愚かさ、愚劣さ、意味のなさです。範疇づけに従つて判断してゐるだけだとなにも知り得なくなつてしまひます。

自らの先入観を疑つて、この動画を見てみる。一見の価値ありです。もし価値が見出せなかつたら、価値を見出せない自分を責めるべきです。





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# 都知事選 マス・メディアの鼻を明かすために mardi 26 juillet 2016
このままいけば都知事選は予想通りの結果で終はつてしまふでせう。さうなるとどうなるか。顔がすげ替はつただけの結果になるだけです。巨額をつぎ込んで、なんのために選挙をしたのか、わからなくなります。単なる死に金の浪費のための選挙です。

マス・メディアの思ふ壺に陥らないためにも、東京都民が、マス・メディアの押す候補者を当選させないためにも、投票所にでかけて一票を投じませう。四百万人とも五百万人ともいはれる都民無党派層の人が誰一人棄権せず、マス・メディアに都合の良い三候補以外の立候補者に一票を投ずれば、都政が変はります。確実に変はります。その鍵を無党派の人は、一人ひとり、握つてゐるのです。



さういふことはあり得ない、とやりもしないうちに、無党派層の人たちは、きつと、さう思ふでせう。頭で考へるだけの悪い癖です。さういふ時点で、すでに、自ら好んで、負け犬になりさがつてゐつのです。さう思つて成り行きに任せてゐたら、かはるものも、かはれるものも、永遠に変はれません。

無党派層の一人ひとりが棄権せず、全員一票を、操り人形の三候補以外の候補者に一票を投ずれば、都政は確実に変はります。そのために、投票所に出かけて、貴重な一票の権利を履行しませう。変はれる好機を、自らの手で摘んでしまふことだけは、やめませう。

現実可能な夢を語れる候補者に一票を投じませう。



著名だといふことは、裏を返せばそれだけ汚れてゐるといふことです。著名になるために自分の大切なもを著名と交換した人たちなのです。さういふ人を選んでも、とうぜん、なにも変はりません。しがらみで、ガンジガラメになつた人物なのですから、とうぜんです。

マス・メディアは消費増税賛成の報道をする裏で、自分たちの軽減税率を嘆願してゐます。理由は簡単、自らの生き延びのためです。新聞は文部科学省にも取り入つてゐます。都知事選報道からでも自明なやうに、弱者は切り捨て、無視した偏向報道をしてをきながら、学校で子供たちに報道記事を学ばせなければならないといふのです。結果、どういふ子供がつくられるか。結果は、歪んで偏つた、肩書きばかりを重要視する考へない人間を大量生産するだけです。



それよりも、この若者、谷山雄二朗のやうな若者を都知事に選びませうよ。YouTubist 谷山雄二朗を知事にしませうよ。どの候補者よりも可能性を秘めてゐますよ。どの候補者よりも夢がありますよ。どの候補者よりも現實性をもつた夢を語つてゐますよ。どの候補者よりも先見性がありますよ。どの候補者も交渉能力が高いですよ。どの候補者よりも実行力がありますよ。

キャッチコピーは、慎太郎から雄二朗へ、茶目つ気もたつぷり。かういふ候補者を選び、これからの東京を、これからの日本を、若い力で描きませうよ。






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# 民主主義を破壊し、人々を操り、愚弄するマス・メディア dimanche 24 juillet 2016
けふも都内のどこかで、選挙演説がなされたでせう。都知事選挙に立候補した人は二十一人ださうです。しかしマス・メディアで連日報道される人はそのうちの特定の三人だけださうです。

TV然り、新聞然り、三人以外はニュースに取り上げられません。なぜなのでせう。NHKは例外ですが、マス・メディアにはスポンサーがゐます。特定の三人しか報道しないのは、スポンサーの意をおもんばかつてのことなのでせうか。それにしても制約のないはずのNHKも民放にならふのは腑に落ちません。

消費税値上げ報道を考へるとスポンサーをおもんばかつてのことなのでせう。慰安婦問題で他のマス・メディアと一線を画してゐた某新聞社も消費税問題では足並みをそろへてゐました。都知事選挙においても同様の処置をとつてゐます。

なぜかういふことをするのでせう。まるでマス・メディアはスポンサーの機関紙のやうです。報道は、そもそもどうあるべきなのでせうか。偏りなく報道するのがほんらいのマス・メディアの仕事であり、義務であり、使命ではないでせうか。

マス・メディアの報道を信じる多くの人をある方向に誘導するのは許されないことです。多くの人を無知蒙昧のごとく扱つて、特定の情報を流すのは、ある種全体主義への誘導でせう。これは不遜すぎるマス・メディアの報道姿勢の表れであり、と同時にスポンサーのポチである証拠です。



  < この人物にはある種の見方をしてゐましたが、言葉に耳を傾けると・・・ >

第二次世界大戦中「百人斬り」報道で国民の戦意高揚を図つたマス・メディアがありました。戦後七十年たつたいまもその責任は問はれてゐないで、曖昧なままどころか不問、禁忌のやうです。

もちろんマス・メディアに携はる人々からも、その責任を問ふ声はいまだかつてないやうです。いま多くの人が「百人斬り」を知らないでせう。かくいふこの自分も知りませんでした。知つた契機は山本七平の『私の中の日本軍』を読んで、そこで知りました。

話を作つて、つまり作文して、ありていにいへば捏造記事を書いて、国民の戦意を高揚する操作をしてゐたのがマス・メディアだつたのです。

その当時のマス・メディアといまのマス・メディアにどれだけの違ひがあるのでせう。違ひなんて、微塵もなく、瓜二つなのが日本のマス・メディアではないでせうか。

三人以外の人物が都知事に当選するとスポンサーが痛手を被るのでせう。反対に、三人のいづれが当選しても、スポンサーは痛手を受けないのでせう。かつては国家、いまは金を出すスポンサー、仕へる主が交替しただけで、相変はらずの主人の顔色を伺ふ奴隷根性。

さう考へると三人のいづれが当選しても都政は以前どうりなのでせう。以前どうりを行ふためにわざわざ五十億円もの税金を投入する。それに便乗して、民主主義を破壊しながらマス・メディアも延命を図る。結局は選挙は同じ穴の狢同士で、盥回しをするための大金叩いたカムフラージュでしかないのでせう。

追伸 この動画も必見です。いかに報道が歪んでゐるか、いかに人を愚弄してゐるかがわかります。






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# 東京都知事選 谷山雄二朗と桜井誠 jeudi 21 juillet 2016
谷山雄二朗を知つたのは Youtube を介してです。偶然目にしたのが谷山雄二朗の動画『従軍慰安婦の真実』でした。



つぎに知つたのは、おなじく谷山雄二朗の『韓国人慰安婦の真実を伝える米での素晴らしい講演』です。これはバランスのとれた見習うべきスピーチです。



谷山雄二朗は以前にも都知事選に立候補してゐます。そのときの政見放送がこちらです。



もちろん今回の都知事選にも立候補してゐます。この度のニコ生での谷山雄二朗の政見放送はこちらです。





桜井誠は新宿駅南口で、かういふ問題点を突いたスピーチ(5分30秒以降)をして、誘導報道するマス・メディアを非難してゐます。少し耳を傾けて聞いてください。鈍感なまま生きてゐるとかういふ偏向報道にも気づきません。












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# この日本にも、まだ、かういふ立候補者がゐる dimanche 10 juillet 2016
選挙、投票日、当日になると、にはかに面倒見のよくなる団体があり、その団体の立候補者を当選させるために、普段体が思ふやうに動かなく、外出もままならない人を、その日だけは介助して、投票所へ連れて行く団体の人たちの姿をみかけます。

しかし、この演説を聞く限り、この立候補者はそれら多くの立候補者たちの対極にある人だと思へます。下記の動画の八分三十秒あたりから、視聴してみてください。

それでもし、感じられ、考へさせられ、共感できる言葉に出あつたら、さらにその先を聞いてみてくださ。さうして投票所に出かけて、一票を投じてください。地方選挙区立候補者に選ぶ人がゐなくて、白紙投票するとしても、全国比例区には、かういふ人の名前を書いて一票を投じてください。



日本の民主主義を破壊してゐるのは、後援会といふ利権集団。団体生き延び、利益保持のために保護され、守られ、喰ひ物にされる二世、三世議員たち。これは韓国の慰安婦問題に関係する支援団体と瓜二つ。この支援団体も後援会といふ利益団体と同類、だから、いつまでたつても、なにをしても慰安婦問題は解決しない。なぜ、どうしてこの問題は解決しないのかと自問すれば、「こたへ」は自ずから明らかになる。

政治のどこにも希望を見いだせないこの国。したがつて既存の政治家にも希望を見いだせないのは当然。しかし、ここに、一人、希望を語れる立候補者がゐます。その人に賭ける。賭けるには勇気が必要でせう。しかし勇気を出して、言葉を信じて、自分の一票を無駄にしないためにも、これぞと思つた人に一票を投じませう。

もし政治が変はれるものなら、かういふところに変革の発芽があるのではないでせうか。






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# 一票の格差、合区がもたらす理不尽 mercredi 6 juillet 2016
一票の格差がもたらした新造語「合区」。この参議院選挙から実施されてゐるやうですが、一部ニュースにもなつてゐるやうですが、実際はどうなのでせう。報道も眉唾的なところがあつて、安直に信じるわけにいきませんが、不都合があると、報じられてゐます。

一票の格差は、あくまでも数字の一票を問題にしただけ。問題の本質は、本来さういふところにないと考へるのですが、屁理窟を振りかざすとーーしよせん難癖つけるクレーマーの考へることですからーーかうなるのでせう。

民主主義は理想の政治形態のなでせうか。ほんとうに、さうなのでせうか。さういはれてゐるだけではないでせうか。民衆と大衆と愚集のどこに違ひがあるのでせう。どれだけ優れたといはれる人でも、人間はいつでもそれらの部分を渾然一体として同時に内包してゐるのではないでせうか。

20160706
   < 同時に存在する風景 この時期当然な結果の雑草 >

一票の格差問題で、仮に足立区と多摩区が「合区」になつたとしたら、どういふことが起きると考へられるでせう。現実問題として、少し想像力を働かせて考へてみてください。

人は、立候補するにも考へてしまふでせう。選挙活動するにも考へてしまふでせう。地区の抱へる問題もとうぜん異なるでせう。その異なりに立候補者はどう対処するのでせう。どうじにまた一票を投じる方も考へ込んでしまはざる得ないでせう。選ぶ基準が異なるのですから、苦慮するでせう。

民意といはれるものがあるさうですが、合区の区によつて民意も異なることでせう。それぞれの民意を汲み上げ、それそれの民意を議会で反映させることができるのでせうか。選挙で一度選ばれたら、あとは野となれ山となれの状態になるのが現実ではないでせうか。しよせんわが飯の種に政治をやつてゐる輩ばかりですから。

かういふ重箱の隅をほじくるやうなことをするくらいなら、いつそ世界に打つて出て、国連常任理事五カ国の拒否権行使を問題にする方が、よほど人類に貢献すると思ふのですが。それ以前に、これら五カ国の存在意義、正当化否かを問ふことが先決なのではないでせうか。

20160706
   < 同時に存在する風景 この時期草一本もない場所 >

戦争法案と決めつけるのも、それはそれでいいとして、どうじに、戦争法案といふ法全体、および戦争法案の細部も論じられてしかるべきでせう。

と同時に、南シナ海問題や領空海侵犯問題も同列で論じられてしかるべきでせう。また隣国の人権問題も論じられてしかるべきでせう。金に踊らさ、札束で横つ面を叩かれる国家の首脳の振る舞ひを考へるのもひとつでせう。肩書きはどうであれ、しよせん慾の皮の突つ張つた人間のやること。

現実に起きてゐることを、知らぬふりして、観念論を振り回すのは、御免こうむりたい。りつぱな大人といへども、しよせん幼児と大差ない。それにしても、現実は、これら幼児程度の情念でこの世界は動いてゐるのでせう。政治なんてものは、しよせんその程度のものなのでせう。


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# 相変はらずの塵屑(ごみくず)報道 dimanche 8 mai 2016
マスコミがマスゴミと言はれて久しい。そのマスコミのゴミ化、日進月歩の感があり、劣化の速度は増すばかりで、ゴミ化の一途は免れないやうです。

「国民の皆様に不信感を持つていただくのは良くない。」かういふ国民を馬鹿にしたやうな日本語にならない日本語をつかふ、つまり日本語を当たり前につかへない国会議員の発言をワザワザ報道をする。



さうかと思へば、「深層」など、どこにもない、看板に僞はりだらけの報道も垂れ流す。党を代表して出演してゐる人間に、額面通りの役割を演じさせ、党の方針をそのまま喋らせる能無しの看板泣かせの司会者ふたり。どこにも「深層」への切り込みのかけらもない。かういふ幼児の使ひ程度のことしか聞けない。それならば、番組を作らないほうがよほど有益である。



報道が劣化すればとうぜん国民も劣化する。国民が劣化すれば、とうぜんこの国の民主主義も劣化する。その劣化に寄与してあまりあるのがマスゴミ。頼みの綱の教育はそれ以上の劣化。どこにも救ひがないのがこの国。あるのは絶望だけ。





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# 信用するから騙される。それに人を見下した考へ方 vendredi 29 avril 2016
本業はさておいて
「メディアの冬。」と題された短文を読んでゐたら、筑紫哲也( 1935 - 2008 )の言葉ーー「報道は権力批判という基本姿勢を持つのが健全な姿」ーーが紹介されてゐました。亡くなった人の言辞をあげつらふつもりはありませんが、ほんとうにそれが健全な姿なのでせうか。いま一度、この文章がもつ言葉の意味を考へてみてもいいのではないか、と思ひます。僭越にも日本の多くの報道は、不遜にも、傲慢にも、政権批判を基調にしたオピニオン・リーダーたろう、としてゐます。

報道の使命
権力批判が健全な姿、かう明言されると、いや、かう断言されると、報道の使命は、権力批判だと信じてしまひます。しかし、さうでせうか。報道は、権力批判をするよりもなによりも前に、しなければならないことがあるはずです。報道の使命は、なによりもまづ、できごとを「伝へること」「知らせること」です。いま起きてゐる熊本地震のこともさうです。伝へなければ、知られないまま、孤立無縁のままでせう。権力批判よりもまへに、「伝へ知らせる」ことがなければ報道の存在意義はありません。情報を待つ人たちに出来事を鳥瞰的に「伝へ知らせ」、その情報に基づいて人々が考へ、撰擇、判断できるやうに、偏りのない情報を提供するのが報道の使命のはずです。

日本が民主主義国家を標榜し、ほんとうに民主主義国家たらうとするのなら、中立公正に情報を伝へ知らせる使命は、尊重すべき基底的な事柄なはずです。いま一票の格差が問題にされてゐますが、その格差以前の問題として、人々のひとり一人に、出来事を俯瞰的に「伝へ知らせる」こと、さうしてその情報に基づいて、人々のひとり一人が考へ、撰擇・判断できるやうに情報提供するのが報道の使命の最たるもののはずです。だから、偏りのない中立公正な報道が必要とされるのです。

イエロージャーナリズム
しかし、目指す理想どうりに行かないのが現実です。世の中には、自分の都合のいいやうに事柄を動かしたい人々がゐます。権力批判する報道も、そのひとつです。権力批判を掲げながら、報道もまた権力を持ちます。自分たちの意図をもつて煽動する「イエロージャーナリズム」なるものがあります。権力批判に百パーセントの人が賛同するのなら、そのやうな報道には問題はありませんが、どこかに必ず反対する人がゐます。それが現実です。その人たちにとつては、反対意見を述べて人々を先導する報道は煽動であつて、「イエロージャーナリズム」そのものに見えるでせう。

そもそも筑紫哲也の考へーー「報道は権力批判という基本姿勢を持つのが健全な姿」ーーに疑問を投げかける人々にとつては、筑紫哲也が関はつた報道そのものが「イエロージャーナリズム」です。また、権力をもつのは、必ず政権与党とは限りません。いつもどこかに全体主義的傾向が潜んでゐるこの日本では、報道もまた権力者です。

報道が利用する世論結果も、客観的中立公正性が保証されるものではありません。その実態はといへば、設問も設問者の都合にあふやうに、恣意的、意図的に作成され、慾しい結果が得られるやうに設問に手が加えられてゐます。この世論調査の結果を利用、悪用し、中立公正を前面に押し出して、多くの無名の人を代弁するかのやうに、個人的な意見を吐くのが報道です。さうして、人々の上に君臨し、教へ、導かうとするのが、日本の報道です。さういふ意味では、日本の報道は「イエロージャーナリズム」そのものです。

20160429
   < 最初は原発は問題ありませんと教へられた >

理想は理想のためだけに存在する
また人々ひとり一人をさしおいて、人々と関係なく、人々を代弁する姿勢を示し、しかも人々を無視し、人々をさしおいて、報道が権力を批判をするのは、本末転倒です。報道は、報道担当者の考へや意見を述べる場ではなく、問題となつてゐる出来事を具体的、多様多面的に、かつ詳細に「伝へ知らせる」のが報道の使命のはずです。

ことばの暴力装置
言語学的見地からして、断定・断言の威力は驚異的で、頭が、体から離れ、すつ飛ばされるやうな強力な暴力性を発揮します。だから、なにも考へられず、思考が停止してしまふのです。批判が基本姿勢だと断定・断言されると、常に批判的な検証態度をもつて読むものに臨んでゐないと、従順に、肯定し、さうなのだと安直に信じ込んでしまひます。

断定・断言はそれほど効き目があり、強力で、印象的に脳裏に刻み込む効果をもち、一度さう信じてしまふと、訂正すべき新しい情報がもたらされ、間違ひが明白になつても、修正が効かず、最初に信じたことをあくまでも頑なに信じ続けます。さういふ例は、少し注意を拂ひ、周囲を観察すれば、身近でいくらでも断定・断言の弊害を発見することができます。それほど断定・断言の弊害は身近にあふれてゐます。

ジャーナリストの仕事とは?
海外のジャーナリストが著した遺伝子組換へを問題にした『モンサント』(作品社)といふ作品があります。この本を読みながら、日本のジャーナリスムは、また日本のジャーナリストと名乗る人のだれ一人として、かういふ仕事は間違つてもできないだらう、といふ感想を抱きます。この本を読み返すたびに、この思ひが繰り返し、繰り返し頭をもたげてきます。それほど日本のジャーナリスム、ジャーナリストは役割を果たしてゐません。戦争取材だけが、ジャーナリスムの仕事ではありません。かういふ表に出てこない見えない戦争の実態を明らかにするのもジャーナリスムの重要な役割です。

権力に尻尾を振りながら
だが、いかに日本の報道が、権力の奴隷となつてゐるかをあからさまに示したのは、消費税五パーセントから八パーセントに値上げする過程の報道です。足並みを揃へた増税賛成一点張りばかりの報道、反対した報道はどこにもありませんでした。政權与党に迎合し、権力に尻尾を振つてゐる報道機関ばかりです。批判どころか、権力の奴隷になつてゐたのがよくわかりました。その報道機関が、恥ずかしげもなく、声なき人々を代弁して、権力批判をするといふのです。見たくもない茶番劇を見せられるやうです。

二〇一六年四月三日、パナマ文書なるものが出てきました。大企業や大富豪のtax haven(租税回避)が取りざたされてゐます。日頃権力批判してゐても、なぜかかういふ問題は不問にします。また、このタイミングで熊本地震が重なりました。だから報道も地震報道に集中せざるを得なくなり、なほのことパナマ文書は遠のきます。しかし、いまトムクルーズ主演の映画『ザ・ファーム』を見ると、パナマ文書そのものの生きた現実が映画にあるのがよくわかります。

20160429
   < さういはれて驚くほどの補助金をいただきました >

議員弁護士と元検事議員の実力
衆議院予算委員会で取り上げられた「保育園落ちた日本死ね!!!」もお粗末の極みです。このごろネットで新聞記事を目にしてに異様に感じることがあります。目的語のない「取材してわかつた」といふ、あへて目的語を省略した表現を目にするのです。前東京都知事の石原慎太郎の会見などを見てゐて思ふのですが、ジャーナリストのはずの記者たちが、相手の発表をきいて、形だけの質問をして、それをそのまま記事にする。かうなるとジャーナリストとしての生命は終はりなはずですが、それを誤魔化すやうに、目的語をなくし、さも取材したかのやうに、「取材してわかつた」で逃げてゐるのです。

「保育園落ちた日本死ね!!!」を問題にした福島瑞穂、山尾志桜里の両国会議員もその技法を踏襲してゐるやうです。接触の試みも、調査も、確認も、なにもしないまま、ネットに書かれた文章だけを根拠にして質問する。この日本では、確証となるべく反対尋問をされたものでもない確証のとれない証言がまかり通つてゐます。それを弁護士と元検事の国会議員が、重大問題として取り上げるのです。信じられないことです。

爲政者も爲政者なら
またそれに応へる爲政者も爲政者です。互ひに承知して、茶番劇をやつてゐるとみなされても仕方ないほど愚にもつかない質疑応答です。時間だけをいたずらに費やする愚の骨頂の応酬でしかありません。

記者も記者
朝日新聞の記者は「日本死ね」と書き込んだ匿名者に接触したと報道してゐますが、さてほんとうでせうか。「『保育園落ちた日本死ね!』匿名ブロガーに記者接触』(2016.0304 仲村和代署名記事)、この見出しからして怪しいものです。ほんとうに接触した記者がゐたのでせうか、ゐたのなら具体的に「本社記者」と明記するはずです。

仮にもプロがかういふ舌足らずな見出しを書いて、プロですといつてゐるのです。また同様、記事を読んでも、曖昧さ疑問のあふれた記事です。これは署名だけした作文記事ではないでせうか。さう疑はれても仕方のない記事です。見出しからして意味不明。本文も意味不明。「記者」はいつまでたつても正体不明の「記者」のままです。

ふつうなら「記者」が特定されるはずです。それが、さうならない。なぜか。理由を問はれて、まさか個人情報に準じて「記者」にしましたと、言ひ出すのではないかと疑ひたくなります。それにしても、ここでも国会議員の前者二人と同様に、確証の得られない疑問だらけの記事を掲載してゐます。この厚顔に、驚かされ、しかし感心してしまひます。精神が奴隷になつてゐるからできるのでせう。

20160429
 < 一度事故が起きると、これまで聞かされたことが真実でないのがわかります >

国会は劇場
元女検事の質問も中身のない話ばかりです。いま日本でパートタイマーとして働いて、給料が二十五万円になる人がゐるのでせうか。この二十五万円に対して、だれ一人として問題にして、異義を唱へた議員はゐません。この議員もしかり、報道もしかりです。パートタイマーで二十五万円稼ぐには、どうやうな職種で、どれだけの時間働けば、この金額を手に入れることができるのでせう。それがパートタイマーの大部分の人のことでせうか。さうではないでせう。

また一方、爲政者は求人が増えたと数字をだして自慢します。しかし、具体的に、どこがどう増えたかのは言ひません。全体の数字だけを示しても、同時に細部の数字を明確にしなければ、意味をなしませんし、全体の数字を出してくるのは誤魔化しの常套手段です。さういふ中身のない議論を、一見対立を演じながら、しかしその実仲良く空論を楽しんで、時間を浪費してゐるのです。この時間代金の出所どころは納税した税金です。

要はタコが自分の足を喰ふやうな茶番です。日本の国会は政治をする場所ではありません。茶番劇を演じる劇場なのです。だれひとり真剣に議論する人などゐないのです。もしさういふ人がゐたなら、さういふ人は空気が読めないとして爪弾きにされるのでせう。日本は民主主義とどれだけ懸け離れた国なのでせう。





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# 同志社大学の学長選挙にみる同志社大学の民主主義 その二 dimanche 13 décembre 2015

前回ブログを更新したのは十一月末日でした。それからすでに十日以上経つてゐます。しかし、この自分にとつては、まだ未解決の、気になる問題として『「安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明」文』(以下「声明」)が頭に残つてゐます。


「声明」は四つの段落かなり、第一段落はつぎのとおりです。

 2015年7月13日に開かれた衆議院平和安全法制特別委員会の中央公聴会において、同志社大学の現学長・村田晃嗣教授は与党推薦の公述人として出席し、現在審議されている集団的自衛権の容認を含む安保法案に対し、国際政治学者として肯定的立場からの発言をおこないました。わたしたちは同志社大学教職員として、村田教授のこの発言を看過できません。


20151213


公聴会での村田晃嗣の発言はこちらの動画をみてください。


第一段落を読んで最初に疑問に思ふことですが、動画を見てもわかるやうに、村田晃嗣は、公述前に、「一個人として」、と断つてゐます。さらに動画の字幕を見ましても同志社大学法学部教授となつてゐて、同志社大学学長といふ肩書きはどこにもありません。


同志社大学関係者にとつては学長なのでせうが、世間一般の大多数の視聴者にとつては、紹介されたテロップどおり、村田晃嗣は一私立大学の一教授と理解するのが自然ではないでせうか。


20151213


学長職を問題にするのは、本来学内の問題です。それをわざわざ「声明」として学外に持ち出したことが「問題」なのではないでせうか。動画を見てもわかるやうに村田晃嗣公述人は「一個人」、「国際政治学者」として、と断つてゐます。


さういふことからも「声明」で「同志社大学の現学長」と表記するのは誤りで、もし正確を記すなら「同志社大学社会学部教授・村田晃嗣」とするのが当然です。さうすると「声明」の第一段落はかうなります。


20151213


 2015年7月13日に開かれた衆議院平和安全法制特別委員会の中央公聴会において、同志社大学社会学部教授・村田晃嗣は与党推薦の公述人として出席し、現在審議されている集団的自衛権の容認を含む安保法案に対し、国際政治学者として肯定的立場からの発言をおこないました。わたしたちは同志社大学教職員として、村田教授のこの発言を看過できません。


読んでわかるとおり、第一段落で表明された「看過」非難そのものが不当になります。それを承知で、村田晃嗣個人の考へを非難したとしたら、違憲問題です。


20151213


しかし「同志社大学の現学長・村田晃嗣」とすると様相が変はつてきます。だから、さうしたのでせうか。「声明」の第一段落と肩書きを書き改めた文章を読み比べてください。まづ、どちらが文章として成り立つか、明白でせう。読んで受け取る印象も変はつてきます。印象操作が行はれてゐる、と受け取れることもできます。


つぎに第二段落を見てゆきます。すこし長くなりますが引用します。

 現在審議中の安保法案は、自国が直接攻撃されなくとも「自衛」の名のもとに、「同盟国」とともに武力を行使することを、限定的であれ、容認しようというものです。これは現行憲法の枠組を明白に踏み越えた法案であり、これが成立するかどうかは国際社会における今後の日本のあり方を大きく左右するような分かれ目となっています。そうした状況において、村田教授は、憲法違反かどうかの判断を差し置いて、「国際情勢」の変化という観点から、法案に対して明確な賛意を議会の場で表明したのです。村田教授は、問題を憲法学者と安全保障の専門家との見解の相違として整理していますが、国際情勢に対応しなければならないからといって憲法違反の法律を制定したとすれば、立憲主義の原則をないがしろにすることになります。それに村田教授の公述は、中国を仮想敵国とした日米同盟の強化を積極評価する立場からこの法案に賛成するという、学術的というよりはむしろきわめて政治的な観点からの演説でした。


20151213


まず第二段落の字句の修正をしたいと思ひます。


「議会の場」 → 「公聴会の場」

「演説」   → 「公述」


第二段落を読みながら、ゼノンの「アキレスと亀」のパラドックスを思ひ出してしまひました。おそらく餘談なのでせうが、「アキレスと亀」の話を聞いてゐた聴衆の一人がゼノンに向け石を投げ、当たるのを確認して、「痛いだらう」、といつたといふ挿話を思ひ出しました。


20151213


「声明」は日本国憲法を堅持した立場、もう一方は自からが専攻する「国際政治学者」の立場、互ひに歩み寄りの餘地はないやうです。ですから平行線を辿るのは必至です。実際、石を投げられ「痛い」思ひをしてから対処ができるのでせうか。国際世論がほんとうに頼りになるのでせうか。国家間の関係は複雑で、理窟どおりに単純に考へられません。さう考へると国際世論は期待はもてないでせう。


つぎに学術的と政治的といふ言葉を使用してゐますが、これこそどんな場合にでも内容空疎に使へるプラスチック・ワードの見本使用のやうです。言葉を誤解なく用ゐるためには、「学術的」でないといふのはなにをもつて学術的でないといふのか、また「政治的」といふのはなにをもつて政治的といふのかを明示すべきでせう。「声明」はその明示性に欠けます。単に言葉を操つてゐるだけ、説明責任を果たしてゐないません。


20151213


また「声明」は村田晃嗣の公述に対して憲法違反、立憲主義をもつて異を唱へてゐます。しかし同時に、日本国憲法は「すべて国民は、個人として尊重される」「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」「学問の自由は、これを保障する」と唱つてゐます。さうすると「声明」もおなじく村田晃嗣個人に対して、憲法違反、立憲主義を犯してゐることになるのではないでせうか。


さて第三段落です。

 これが「国際政治学者としての個人の見解」であると前置きしてからの発言であるとはいえ、本件をマスメディアは、同志社大学学長による安保法案への支持表明として報じました。実際、憲法学者の多くが反対するなかで、賛成の旗幟を鮮明にした学者を学長とする大学として、本学の名前が日本社会のなかで広く知られることになりました。わたしたちは、今回の学長の発言が、良心教育を基軸とした同志社大学のイメージを大きく損なう結果をもたらしたと考えています。


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この段落を読んで、まず疑問に思つた箇所−−「本件をマスメディアは、同志社大学学長による安保法案への支持表明として報じました」−−があります。この件に関して、「声明」の有志はメディアに異議申し立てをしたのでせうか。もしメディアが「同志社大学学長」と報道したなら偏向報道になるはずです。この「声明」はそこを明らかにしてゐません。もし抗議すべきところをしてゐなかつたとしたら、しない方こそ片手落ちを犯すことになります。


この段落で「良心」といふ言葉がでてきます。同志社大学を知るひとにとつては、「良心」は特別な意味をもつやうです。村田晃嗣も同志社大学で「良心学」の講義をしてゐます。そこから村田晃嗣の「良心」の考へ方もうかがひ知ることができます。


20151213


同志社大学の「良心学」、それをなぜ村田晃嗣が講義してゐるのでせうか。まるで良心を持たない村田晃嗣が良心の講義をしてゐるやうに思へます。もしさうだとしたら、同志社大学は同志社大学公認の「ペテン学」を講義してゐることになります。こちらの方が餘程恥ずかしいのではないでせうか。


いよいよ最後の四段落目になります。

 わたしたち平和を希求する同志社大学教職員有志は、現行憲法に違反する安保法案の成立に反対します。また、その法案に対し、本学の学長職にある教授が公的な場で支持を表明したことについて、心から恥ずかしく思います。同志社大学が教育理念の一つの柱に掲げてきた国際主義と、今回の村田教授の個人的見解とが一致するものではないことを、ここに表明するものです。


第三段落でもわかるやうに、村田晃嗣は「国際政治学者としての個人の見解」と断つてゐます。この公聴会にも同志社大学学長としてではなく、国際政治学者の一教授として呼ばれたはずです。学長として、学長の発言を求められれば、個人としての発言は認められないのは明白です。普通なら学校に持ち帰り、会議にかけ、さうして学校の意見としてまとめて持ち帰るのが筋でせう。しかし、ここはあくまでも一国際政治学者としての意見を求められてゐるのです。学長職を持ち出すのは議論の筋ではありません。学内問題を学外に問題とするからかうなるのです。恥ずかしいのはどちらになるのでせうか。


20151213


同志社大学の有志諸君は、真のリベラリスト・ソクラテスのやうにほんとうに考へることを実践してゐるのでせうか、疑問に思へて仕方がありません。「不倫は文化だ。戦争は文化ではない」と絶叫するタレントと共通するものがあるやうに思へてしまひます。


TVでみかける田原総一朗は、六十年安保のとき、反対運動をしてゐた学生の誰一人として安保法案を読んでゐなかつたと告げてゐます。同志社大学の有志諸君も同様で日本国憲法を最初から最後まで通読したことがあるのでせうか。


20151213


もし通読したといふのなら、日本国民が敗戦翌年の昭和二十一年にかういふことを考へる餘裕があつたのでせうか。先日亡くなつた野坂昭如の『火垂るの墓』は多くの人が知るところです。闇市が蔓延り、喰ふことに必死だつた時代に、国民の総意に基づく憲法の成立が可能だつたのでせうか。


昭和二十一年の日本は占領軍統治下でした。当時は日本国は存在しませんでした。アナール学派的に当時を想像したら、当時の日本人のだれが民主国家の国民と信じてゐたでせうか。昭和二十年皇居広場で敗戦を知つて「申し訳ない」と泣いた人たちは臣民意識をもつてゐたはずです。吉田茂が「臣・茂」と署名したことは有名です。その当時にできた日本国憲法です。


20151213


同志社大学有志のなかには全文を繰り返し、繰り返し読んだといふ人がゐるかもしれません。それなら、日本国憲法の前文はなんのためにあるのでせうか。前文で述べられることは真実なのでせうか。なぜ日本国憲法は前文を必要とするのでせうか。前文と憲法本文の整合性はあるのでせうか。教へてもらひたいものです。


不謹慎といふ人がゐるかもしれませんが、日本国憲法を一冊の読み物として読むとき、上記のやうな疑問が生じてきます。





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