蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 「あなたが見えない」 lundi 12 juin 2017
婦人之友 五月号
最近のこのブログに目を通してくれた友人から、「婦人之友」五月号に『あなたが見えない』という記事が掲載されてゐることを教へられた。副題は「沖縄・抵抗の現場から 山城博治さんの釈放に思う」である。

届いたメイルの文面から察すると、この雑誌を定期購読してゐて、たまたま掲載されてゐた「あなたが見えない」の記事を読んだやうである。そのあと、これも偶然で、このブログを読み、貼りつけてあつた動画ーー【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】ーーを見たさうだ。

20170612
   < これもひとつの意思表示 >

もうひとつの現実
さうしてその落差に衝撃を受けた、さうだ。

あの手荒に人の頭を扱い押さえつけ、罵声としか思えない言葉を浴びせ続ける態度と執拗さを見てゾッとした。

映像の内容が悲惨だつたり、言葉が辛辣だつたりすると、それが焼きついて、いつまでもそのイメージが残り、しんどくなる、といふのだ。

たしかに映像を見ると衝撃をうける。さらに我慢して、自分のこととして見ると、たしかに自分の息子ぐらいの年齢差の若者の頭を力づくで押さへつけてゐる。

かりに筆者の佐藤直子に子供があり、息子が業務でかういふ場所に行かねばならず、業務中にかういふ仕打ちをうけたとしたら、仕方のないこととして、この事実がないこととして無視できるのか。

多くの人たちは、親からはもちろんのこと、他のだれからも、頭を力づくで押さへつけられるやうな屈辱的な行爲を受けたことは、絶無といつて、ないだらう。

また背後から、頭髪を鷲掴みにし、伏せた顔を無理やり持ち上げておいて、後日公開展示して晒すために、容赦なく顔写真を撮る。もちろん氏名、住所、年齢、職業をも調べ上げて晒すのである。

20170612
   < 無断で人の土地に侵入すれば >

屈辱と恐怖
いかに仕事とは言へ、公然と辱められるこの屈辱感は想像を絶するものがある。これは、心のキズとなつて、生涯消えないのではないか。

最も卑劣なのは、抵抗できないことを承知して、加害に及んでゐることである。それは映像から見て取れる。もし抵抗し反撃しやうものなら、それは逆に格好の攻撃材料になる。

さてこの記事を読んでみた。最初に念頭に浮かんだのは、無名の一個人ならこの記事は掲載されるのか、といふ疑念だつた。逆にいふと東京新聞・中日新聞の論説委員の肩書きをもつ人間が書いたものだから掲載されたのではないか、と思つた。

真実とは
朝日新聞の「私の視点」のタイトルを連想させるこの「視角」、そこに掲載された記事を読むとなんともいへないやり切れなさを感じてしまふ。前回引用したW.リップマンの「真実」はどこにもないのである。

ここでもう一度W.リップマンの真実の働きーー隠されてゐる諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるやうな現実の姿を描き出すことーーを確認しておく。

あるのは朝日新聞の社説とおなじ「裁き」だ。単純に左を根拠にした、左でないからダメだ、といふ裁きがあるだけだ。

この手のものはプラスチック・ワードといふ正体不明で便利で意味のない言葉を多用する。タイトル「視角」の下に配置されたただ三行の要約を見ただけでも「県民世論」「新基地建設」「沖縄」「市民」と便利な言葉が散らばつて、簡便に使はれてゐる。裏を返せばなにも考へてゐない証である。

20170612
   < この手の意味するものは >

光をあてる
これらの言葉の実態はなにか。言葉の裏に隠されてゐる事実を白日の下に晒していけば、記事とは正反対の事実が描き出されかねない。

その一つの例として、この記事にも写真が掲示されてゐるが、運動方針とし掲げられた「座り込みガイドライン」によると「私たちは非暴力です。コトバの暴力も含め誰もキズつけたくありません」となつてゐる。しかし動画を見ると全く逆のことが行はれてゐる。

この記事でネルソン・マンデラにたとへられる山城博治が、動画で、かう捨て台詞を吐いてゐる。

「つぎ来たら、タダじやすまないぞ。お前さあ、さういふ目つきしたらタダじやおかんよ、小僧!いいかお前、つぎ来たら簡単じやすまんぞ!うちのテントに連れ込むからな!」。

では座り込みガイドラインの言葉ーー「私たちは非暴力です。 コトバの暴力も含め誰もキズつけたくありません」ーーは一体なんなのか。意味のない言葉を並べただけの文でしかない。

20170612
   < 口癖 私たちの税金で >

矜持はどこに
W.リップマンの言葉を首肯するのなら、ジャーナリストは隠された事実に光をあて、真実を人びとに知らせるのではなかつたか。肩書きからすると佐藤直子はジャーナリストだ。そのジャーナリストが、ジャーナリストの矜持をもちあはせてゐない。

この記事はつぎのやうに語つてゐる。「器物損壊、傷害・公務執行妨害、威力業務妨害の4つで起訴されているが、その中身は軽微なものばかり」「那覇地裁前では連日、釈放を求めるデモが行われた。世論の力が保釈へと動かしたのだろう。しかし、山城さんの現場復帰を阻むためか、条件に事件関係者との接触禁止という制限がつけられた」

言質をとらへるやうで触れたくないが、なにをもつて「中身は軽微」と判断するのか。つぎにデモが保釈に結びついたやうに書かれてゐるが、文章が台無しになるからなのか、支払はれた保釈金七百万円のことはどこにも書かれてゐない。

20170612
   < 世論は操作されるもの? >

罪もカネ次第
ところで一般的に保釈金の相場は百二十万円から三百万円といはれてゐる。それが相場の二倍を超える金額を支払つてゐる。その解釈の仕方は二通り考へられる。重罪犯罪か高額所得者か。

山城博治の肩書きは沖縄平和運動センター議長で、これで生計を立ててゐるやうである。プロの政治活動家なのだらう。この職業で七百万円の保釈金が出せるといふことは、人が羨む収入を得てゐるのだらう。

もうひとつは重罪犯罪だといふ考へ方である。さうなると「中身は軽微」とは言へなくなる。単に保釈されたのではなく、保釈金を支払つて保釈されたのだ。このとき、もう一人の逮捕者は保釈金が払へず勾留が続いた。

また保釈中は事件関係者との接触禁止処置はとうぜんなされることであつて、それをわざわざ「現場復帰を阻むためか」と書くのは印象操作だ。

迷惑な関連づけ
多くの人はこの記事の題名になつてゐる『あなたが見えない』といふ歌のことは知らないだらう。この歌は南アフリカの人たちがいつかマンデラ氏を取り戻すのだといふ願ひを込めて獄中にゐたネルソン・マンデラ元大統領の事を歌つた歌ださうだ。

友人はメイルのおはりに、(山城博治に)さういふ「印象」をつけたかつたのか、と書いてあつた。





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# 覚醒せよ、といふ聲ありて jeudi 8 juin 2017
裏を知ると
朝日新聞の社説を十回に亘り取り上げて考へてみた。そこから判つたことは、かういふことをあれこれ考へ、文字にしてみてもなにも変はらない。ただ無駄な時間を費やし、いたずらに時を過ごしてゐるだけだといふ無力感や徒労感が残るだけだ。

思ひ知らされるのは、日本の既存メディアの能力は信じられないほど低いといふことである。なによりも致命的なことは、日本のメディアはメディア本来の務めを果たしてゐない。自らそのことに気づいてゐないことにある。

さうでありながら、日本の既存メディアは独裁者のごとく振舞ひ、人びとに号令を発する。見当はずれのとんでもない号令は社説などといふものに顕著に現れる。これに拍車をかけるのは、無批判に報道を信じる人びとの存在である。

20170608
   < こちらは驟雨 >

務めの放棄
ニュ−スと真実とは同一物ではなく、明確に区別されなければならない。ニュースの働きは一つの事件の存在を合図することである。真実の働きはそこに隠されてゐる諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるやうな現実の姿を描き出すことである。

上記文章は、もう百年も昔のことにならうとするものだが、アメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマンが著はした「世論」(岩波文庫)からの借用である。

百年前のリップマンはニュースと真実を、さらにそれらの「働き」を峻別してゐる。この峻別はいまも堅守されなければならない。しかし日本の現実はさうはなつてゐない。ニュースの事実が真実を蔑ろにしてしまつてゐる。

ニュースの特性は、出来事の存在を広く告知する。努力の必要がないからか、日本のメディアは、このことは守つてゐる。しかし、真実の働きーー隠されてゐる諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるやうな現実の姿を描き出すーーといふと、これはどこにもない。自己都合で無視し、それだけで終はつてゐる。

20170608
   < あちらは青空 >

害でしかない末路
リップマンが言つた「真実」がない。だからメディアのニュースは人びとに届かない。常に一面的に駄つしてしまつてゐる。社説を見てもわかるやうに、この一面的な情報に基づいて考察するのだから、どれだけ考へても結果は、継ぎ接ぎだらけの惨めなものになる。当然である。

だから「【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】」のやうな隠されてゐる諸事実が明らかにされると、もみ消しや無視に躍起になるのだ。

その結果が朝日新聞や東京新聞の一連の記事である。白日に晒された隠された諸事実、その染みを消せるかのごとき言論の滑稽さがそこかしこで散見できる。一度落ちると、どこまでも落ちることができる。それがよくわかる。




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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その十 jeudi 1er juin 2017
朝日新聞の社説といふものに付き合つてきたが、これでやつと最後の段落まできた。読み流すのではなく、かうして読んでみると書いたものの程度が見えてくる。しかしそれだけでなく、見過ごしきたいくつかのことを考へる契機にもなつた。そのことはまた別の機会に書く。

さて最終段落といふと結論といふことになる。その結論はかうである。

 放送は健全な民主主義を発展させるためにあり、番組は明らかにその逆をゆく。対立をあおり、人々の間に分断をもたらすことに放送を使う行いは、厳しく批判されなければならない。

結論とは正解?
結論とは、証明された正解のやうに思ひがちだが、さうではなく、あくまでも一個人のひとつの見方、見解でしかない。われら日本人は、年齢に関係なく、何事においても、常に、正解があると思ひ込んでゐるところがある。またさう思はされてゐる。

教育課程を振り返つてみても、われら日本人はみんな同じでなければいけないと教へられてきてゐる。だから示された答といふものに異議を唱へると、その異議を解消し、みんなとおなじになるやうに、さらに詳細に諭しはじめる。

他の民族のあり方はさまざまだらうが、こと日本人にとつては、「和」は特別な意味をもつやうに思へる。

便利な言葉
ところで言ふに事欠いて、「健全な民主主義」といふ。かういふものが存在するなら見せてもらひたい。これは詭弁にしかすぎない。納得させるためには、どういふものが健全な民主主義なのか、説明が必要だ。かういふのを意味なく、手軽に、どこにでも挿入できるプラスチック・ワードといふのだ。

20170601
   < まさに沛然と降る >

もう一つの事実
問題になつてゐるTV「番組は明らかにその逆をゆく」と断定する。しかしこれだつて一つの見方でしかない。もちろんさうでないといふ反対の意見、見方もある。

では問題になつてゐるTV番組を人々にみせ、番組が民主主義に寄与するかどうか調査をすればよい。その結果に基づいて、実証的に、この結論が導き出されるのなら納得がいく。しかしここでのこの結論は裏付けのない勝手な思ひ込みでしかない。

「対立をあおり、人々の間に分断をもたらす」といふ。しかしこれも実際にその現象は確認されてゐないだらう。あくまでもこれも一個人の一見解にしか過ぎない。

さらに「厳しく批判されなければならない」と言葉が続く。かうなるとヒステリーを起こしてゐると見なされても仕方ない。もう少し冷静になつて、問題のTV番組を見て、分析してもらひたい。少なくとも公的な紙面に発表するのだから、熟考に、熟考を重ね、検証に検証を重ねても、過ぎるといふことはない。

20170601
   < リセット:道路に及ばず大気中の塵芥も >

空洞と化した民主主義
民主主義とは多数決、さう誤解して、付和雷同し、一つ方向へ、偏りなだれ込むものではない。われら一人ひとりが自律的に考へるのが理想である。考へるための基本的な情報を提供をするのがジャーナリズムの務めだ。

さてジャーナリズムの根本となるその務めは果たされてゐるのか。それを見直す必要がある。さうでないと民主主義は空念佛に終わつてしまふ。間違つても、ジャーナリストやジャーナリズムが人々の先頭に立つて、人々を導くものではない。

だが日本の現実はさうではない。イエロージャーナリズムそのもののマス・メディア・独占企業の思惑のままである。





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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その九 mardi 30 mai 2017
 気になるのは、反基地運動に取り組む沖縄への、根拠のない誹謗(ひぼう)中傷が、この数年、高まっていることだ。舞台はネットから街頭に広がり、今回はテレビで公然と語られた。

禁忌を犯す
まずこの文章を読んで注意しなければならないことがある。単語一つの問題のやうに思ふが、これが論点を曖昧にし、問題をすり替へ、狂はせてしまふ。
問題はこの部分「気になるのは、反基地運動に取り組む沖縄への」である。

「沖縄への」とここで言葉をすり替へてゐる。この社説といふものの文頭に立ち返ると、そこには「特定の人々への」となつてゐた。それがここでは「沖縄への」になつてゐる。すり替へられた単語を元に戻す。さうしてもう一度読み直してもらひたい。

➡︎ 気になるのは、反基地運動に取り組む特定の人々への、根拠のない誹謗(ひぼう)中傷が、この数年、高まっていることだ。舞台はネットから街頭に広がり、今回はテレビで公然と語られた。

「特定の人々」が「沖縄」に変はつたことで、どのやうな印象変化が起きてゐるか、考へてもらいたい。

20170530
  < メディアが取り上げない住民運動 >

ネーミングの魔力
だれがネーミングしたかわからないが「オール沖縄」といふ名称がある。実態がなにを指してゐるのか不確かだが、そこから受ける印象は沖縄全部といふ意味が伝はつてくる。ネーミングとしては成功してゐる。

もう一方「チーム沖縄」といふのがある。ここから聯想されるものは全体ではない印象を受ける。オール沖縄と比較するとネーミングとしては失敗である。

『戦う民意』(角川書店)といふ沖縄県知事が著した本がある。「民意」が沖縄県民の総意であるかのやうな印象を受ける題名の本だ。そこからもわかるやうに、ここでもネーミングに成功してゐる。

戦ふ民意の調査をしたら、数人だといふこともあり得る。でも言葉はひとり歩きする。本を手に取る人は民意の詳細に関心を拂はない人もゐるだらう。戦ふに意識を取られ、そちらだけを読み、沖縄を理解したつもりになる人もゐるだらう。ネーミングが効果を及ぼしてゐる。

20170530
   < 生活が消えてなくなるかも知れない不安 >

情報操作・印象操作
これらを見てもわかるやうに、単語ひとつ操作するだけで受け取る印象が圧倒的に変はる。さういふ操作がこの単語に施されてゐるのである。文章を書く人間としては、これはしてはならないことである、と同時に許してはならないことである。

ましてや、この社説といふものを書いた人間が、ジャーナリストの端くれであるのなら、なおさらである。情報操作に手を染めてゐるのである。良識や良心といふ言葉を使ふ以前の問題で、事実を伝へることを使命とするジャーナリストなら常識以前の、恥ずべき行爲である。

この単語の入れ替へは情報操作、印象操作であり、許せない悪質な犯罪行爲である。大メディアといふ朝日新聞の社説といふものが、信じられない、かういふ巧妙で悪質な犯罪行爲をおこなつてゐるのである。責任はだれがとるのか?いつもと変はらない知らぬ顔の半兵衞を決め込むのか。

また「根拠のない誹謗(ひぼう)中傷」と決めつけてゐるが、なにをもつてさう断定するのか、こちらも尋ねたい。

YouTube に下記のやうに長い題名がついた動画がある。この動画は規制がないやうで、常時参照できる。時間を割いて、ぜひ見てもらひたい。知られたくない平和運動の実態がここにある。


20170530
   < メディアが取り上げる場所とさうでない場所 >

【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】

マス・メディアにとつて、「その八」で指摘したやうに、かういふ平和運動家の実態が知られるのが、報道に際して差し障りがあるのだらう。またこの動画に出てくる大阪弁で捲し立てる男性のやうな人のことをプロ市民といふのだらう。(下記にその男性の言葉を一部文字起こしした)

「写真撮つたれ、写真撮つたれ!」
「写真撮つたれ、写真撮つたれ!」
「破廉恥な連中や、恥知れ、あほう。」
「お前ら自分でなにしよるのか、わかつてるのか!」


蛇足だが、活動してゐる平和運動家たちはヴィデオを向けられると「個人情報」「肖像権」をもちだし、レンズに手を伸ばしてくる。さういふ映像が YouTube には数多くある。




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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その八 lundi 29 mai 2017
 放送法は、報道は事実をまげないですることや、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。MXテレビは、番組の意図や放送までの経緯、社内のチェック体制などを早急に検証し、社会に広く説明すべきだ。

20170529
   < 視点を変へる 全体を意識して >

縛られた報道
ここで問題になつてゐるTV番組「ニュース女子」のなにが問題になるのかわからない。この番組では、マス・メディアがこれまで報じてゐない、人々が知ることのできなかつた事実を放送しただけではないか。

事実は複雑で多面的である。単純に思へる事実であつても、単純な事実などといふものは在り得ない。報道とは事実の編集結果である。編集過程において不要とみなされた事実は割愛される。しかしその判断はメディアによつて異なる。その相違がそれぞれのメディアの報道特色となつてゐる。

「ニュース女子」の報道は、これまでマス・メディアが報道してこなかつた不要とみなして割愛してきた事実を報道したことにある。ある意味ます・メディアには運動に対するイメージがあつて、そのイメージにそぐはないもの、そのイメージを汚すものは割愛する、といふ暗黙の了解があり、その基準に基づいて報道がなされてきたと考へられる。

自己規制がなされ、狂信の結果、贔屓の引き倒し現象が起きる。これはなんら不思議なことではない。さうしてこの状態が常態化すれば、当然逆転現象ーー非日常が日常になる現象が起きる。

さうみなすと異常現象が異常現象でなくなるのが理解できる。

空理空論
放送法をもちだすマス・メディアのこの社説といふものを読んでも空念佛を聞かされるだけで、白けるだけだ。

「報道は事実をまげないこと」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。空念佛そのもの。実際は主張を振りかざすだけで、自らもなにも実践してゐないのが歴然と見て取れる。

この社説といふものを書いた人間は、MXテレビに「番組の意図」「放送までの経緯」「社内のチェック体制」などを社会に説明すべきだとしてゐる。

しかし二〇一四年九月十一日の朝日新聞の謝罪会見をもちだすまでもなく、それをなによりも実行なければならないのは、朝日新聞とその傘下の報道機関そのものである。

20170529
   < 視点を変へる 部分を意識して >

「小林よしのりVS辛淑玉 誠意ある謝罪、従軍慰安婦で議論」
一 https://www.youtube.com/watch?v=J7sN7dM9YYg
二 https://www.youtube.com/watch?v=qWIlOeIV8w8
三 https://www.youtube.com/watch?v=sm4Od9f8Rbk

国家間問題を個人の感情問題にすり替へて、永久に交はらない不毛なテレビ討論を放映したテレビ朝日にも同様のことが要求されて然るべきである。

吉田調書問題も吉田清治の従軍慰安婦問題も同様である。

朝日新聞は謝罪したと主張するだらう。しかし多くの人は、あの謝罪会見にも、その後なされた第三者機関の説明にも納得できないで釈然としないままでゐるだらう。少なくともここに一向に納得がいつてゐない人間がゐる。



| comments(0) | trackbacks(0) | 20:56 | category: ひと言 |
# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その七 mercredi 24 mai 2017
巨大で大量な粗大ゴミ
かうして書いてゐると、マス・コミが、なぜ巨大で大量な粗大ゴミ、マス・ゴミといはれるのか、いやでも理解できるし、その恐ろしさ怖さも実感させられてしまふ。

マス・コミの情報を、信じて、鵜呑みにしてゐたら、その制御下、支配下に置かれ、情報奴隷となり果て、生涯真実、事実の一片すら知らないままで、人生を終はつてしまふことになる。

マス・コミに自己浄化能力は期待できない。期待できるのなら、すでに浄化作用が働いて、信頼できる情報が人々の手に届き、よりよい民主主義の実現のために力を貸して餘りあるだらう。

ところが実情はさうでない。マス・コミが民主主義を破壊してゐるのだ。信じられないかもしれないが事実だ。日々、あらゆる手段を駆使して、喧伝者、煽動者として民主主義を破壊してゐるのだ。知つての通りマス・コミは人々に、考へるための情報、正確で的確、信頼できる情報を伝へることが本分だ。だがその本分は、なおざりにされたままになつてゐる。

20170524
   < 十年も人が住まない住宅 >

民主主義を民主主義たらしめるものひとつは情報である。誘導的でない、一方に偏つてゐない公平な情報が人々に届けられる。これが基本である。人々はその情報があつて、その情報に基づいて考へ判断し、同意したり意義申し立てたりするのである。さうあるのが民主主義である。

しかし、その民主主義が危機に瀕してゐる。民主主義の根幹をなす情報が侵されてゐる。破壊してゐる張本人は、権力の監視を主張するマス・コミだ。だがこれはとんでもない主張である。権力を監視するのはわれわれ一人一人である。有権者のだれひとりとして、マス・コミに権力の監視を依頼した覚えはない。間違つてもらつては困る。

双方向性社会の力
ネット社会が誕生しても、前近代的な先導者、喧伝者、煽動者としてマス・コミは存在し続け、その暴力的猛威もそのまま存続させてゐる。

昨今、現実世界とマス・コミが発信する情報との間に信じられないほど異常な乖離が目立つ。にもかかはらず、マス・コミは、相変はらず、旧態依然で、乖離の存在すら感じとれないでゐる。マス・メディアを覗くと「ゼノンの逆説」そのままの番組がそこかしこにあふれてゐる。それが嫌といふほど目につく。

ネット社会の出現が、多くのネット利用者に、情報の多面性、多元性を知らしめ、それ以前の旧体制下で知らされてきた情報の一面一元的な歪みを明らかにした。考へれば、マス・メディアのこの報道姿勢は人々を信頼しない愚者扱ひしたものである。

また情報発信がこれまでの既存メディアに限られなくなり、ネット利用者そのものがブログやフェイス・ブック、あるいは動画などを通して、情報発信できるやうになつた。これは意図的ではなが、しかし結果的に、マス・メディアの情報操作を明らかにした形になつた。

だれもが情報発信できる昨今、マス・メディアの情報を以前のやうに全幅の信頼を置いて、安直に信じる人は減少した。当然の結果として、情報を疑ふ人々も多くなつた。

20170524
   < 考へる人のポーズに疑問を呈する人も >

喜びと心配と
違和感を感じる、疑問を感じる。これらは、考へるための入口、なんにもまして祝賀すべきことだ。なぜなら人が考へるための一歩が疑ふことにある。まちがつても「信じる」ことではない。

「われ思ふ故にわれ在り」と書き記したデカルトをデカルトたらしめたのが、「疑問」だつた。『方法序説』の圧巻は「われ思ふ故にわれ在り」の一文にあるのではなく、ここに至る直前の文章ーーどうしても疑へないものがある。ここでかうして疑つてゐる自分がゐるーーにある。

紙媒体で育つた戦争の落とし子の大量の老齢世代は、今現在、人口的に社会の多数を占め、支配的だ。その大勢を占める世代が、いまだ既存の大メディアの情報から離れられないでゐる。

これは見過ごせないことだが仕方のないことでもある。しかし、それも時間が解消してくれる。やがて世代が入替はり、新しい世代の時代になる。しかし、それが許される時間が残つてゐるかどうか。

好機到来
本来ならマス・コミは、このやうな時期に、旧体制、旧弊からの脱却を図り、体制を検証し、情報のあり方を刷新する絶好の機会を迎へてゐるはずだ。しかし、それにも気づかず、いや、あへて故意に目を瞑つてゐるのか、旧体制を維持し、自らの権力を行使すことに固執して飽きない。さうなれば当然衰退、崩壊の道は必至になる。

さて公害と害毒を「たれ流」しづづけてゐるマス・コミの社説といふものをまた見て行ことにしやう。

 問題の番組は化粧品会社DHC系列の制作会社がつくった。動画サイトでも公開されてはいるが、周波数が限られ、公共性が高いテレビ電波が使われた点に見過ごせない問題がある。

紙面が限られ、字数制限があるのだから、周波数のことなど書く必要はない。ただ「公共性の高いテレビ電波が使はれた」と書けばよい。それで過不足なく伝はる。どうしても周波数のことが書きたいのなら「周波数の限られた公共性の高いテレビ電波が」となるのが自然だ。




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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その六 jeudi 18 mai 2017
 権力の介入を防ぎ、放送・表現の自由を守るためにNHKと民放連が設立した第三者機関のBPOにとっても、存在意義が問われる案件だ。視聴者・国民が納得できる対応を求めたい。

権力とは?
この世は一筋縄ではゆかない。問題は、普段は身を潜めてゐて、表に出てこない。しかし、一旦ことが起こると、噴出する。上記一文にしてもさうだ。

日本国語大辞典第二版によると権力とはつぎのやうに定義されてゐる。

第一義「他人を強制し服従させる力」。第二義「法律でいう他への強制力。特に国家や政府の有する政治的権力」となつてゐる。「権力の介入」といふと、まず最初に思ひ浮かべるのが、第二義のほうだらう。

第二義の定義はわかるやうでわからない。法律とは本来人間が集団で生活するための決め事である。しかし決めたからといつて、それが遵守されるわけではない。なすがままにしておけば、決め事は決め事でなくなり、形骸化する。形骸化させないめに決め事を守るための決め事が必要になる。法律を法律たらしめるための法、強制力の誕生である。さうでなければ法律は機能しない。

20170518
   < これも力関係? >

決め事とニュアンス
法律は国に生きる全ての人の約束事、だから各人の感情や思ひやこだはり、つまりニュアンスのはいり込む余地はない。車で違反を犯して切符をきられることを思ふだけで良い。どれだけ釈明しても聞いてもらへない。車を運転する人ならだれも一度は経験あるだらう。法が法であるためにはさうする以外ない。

ところでもう一度思ひ出してもらひたい。辛淑玉を舐めまわすかのやうな映像をつくつたテレビ朝日のあの番組を。決め事の世界に、感情の差異を持ち込む。従軍慰安婦の日本と韓国、ともに決め事、約束事、法律のなんたるかを知らないから、いつまでたつても問題は解決しない。

法律概念の希薄な法律発展途上国のアジアにおいては、それでも通用するかもしれない。しかし、法律が生きてゐる国ーー一度約束したことは破棄されるまで生き続ける国からすれば、決め事にニュアンスを持ち込むこと自体考へられない不可解なことである。

20170518
   < 委ねるか、祈りの世界に >

権力のなせる業
権力をもつ、それははなにも国家や政府に限らない。マス・メディアも充分すぎるほど権力をもつてゐる。言葉尻や言質を捉へるのはまだ可愛い。意のままに操るために情報を操作、捏造する。

わが想ひを達成するために、わが論を正当化させるために、手はじめに世論を味方につける。そのための常套手段がアンケート調査。さうしてそれを根拠に都合よくわが論をはる。いまはそのカラクリを知る人も出てきた。しかしそれはまだ一握り。大多数はこの情報を疑ひもなく信じる人の集まり。だからこのイカサマ手法はいまも生き、いまも使はれ続けてゐる。

朝日新聞社は、傘下に数多の企業を従へる巨大メディアである。もちろん映像制作の企業も従へてゐる。だからそれとの相乗効果も生まれる。影響力は計り知れない。その新聞社が紙面の社説なるものを利用して非難する。

「報道は事実をまげない」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」と正論の「お題目」を唱へる。だが、この社説なるもののどこに、それがあるのか⁉︎これほど人を小馬鹿にし、人を欺く裏腹な言動はない。

「存在意義が問われる」「国民が納得できる対応」を!などと、歌舞伎よろしく大見得を切る。この大見得の大言壮語、見方によつては 、衆目だけを集めるためのもの。本来の狙ひは、それを担保に、BPO に対しては圧力をかける。巨大メディアのもつ権力をちらつかせる。さう読まれても已むを得ない表現である。

20170518
   < 衆目を集めるには、まず注意を喚起させる >

どこにもない自由
「表現の自由」といふ「お題目」。さてどうなのか、このときといふときにこの自由は保障されてゐない。事実、消費税が設定されるときも、その消費税が増税されるときも、歯牙にもかからない一部弱小メディア以外は、全メディアは必要だとするおなじ論調。言論の自由が守られてゐるから起きるべきして起きた論調なのだ、といふしかない。

政策をめぐつて対立が生じるのが必然、だがしかし、なぜか保革関係なくどこのメディアもおなじ論調。言論の自由を叫びながら、自ら率先して一方向の権力になびいてゐる。世の中一筋縄でいかない証左。

さういふ現実がある。しかし、それでも言論の自由を叫ぶ。さらに矛盾を極めるのは、相反するものの保障されるべき当然の権利を徹底的に攻撃して破壊する。叩く理由はわが原理(イデオロギー)に反するから。だから表現の自由といつても、「わが」表現の自由、「他」の表現の自由はない。この社説といふものも、それを実行して見せてくれてゐる。

例を挙げればきりがない。腐るほどある。表現の自由のないところには思想も学問の自由も、あらゆる自由は存在しない。そのことで自らの首を絞めてゐるにもかかはらず、自由を謳歌してゐるのは実は被害者なはずの、叫ぶ人たちだけだ。さういふ仕組みになつてゐる。

20170518
   < 弱者はほんとうのところ強者といふわけ >

印象操作
第三者機関とは口当たりのよい言葉である。人はこの言葉に騙されがちである。 BPO にしても、監督される側が出資して監督する第三者機関を作る。これが真の第三者機関か。これで第三者機関としての独立性が守れるのか。人間は弱いもので金になびく。人選にしても透明感がもてない。

さらにここでもうひとつ。ここで使はれる「国民」といふ言葉、この単語を覚えておいてもらひたい。つづく文章にもおなじ仕掛けが施されてゐる。ただ単語ひとつを入替へる。だが、この操作が、制御できない異様な効果を発揮し、猛威を振るふ。

かういふ言葉の技法だけはよく心得てゐて、巧妙、狡猾、露骨に、更にえげつなく利用する。これに対処するにも、手の施しやうがない。マス・メディアのマス・メディアたる所以で、この言葉は、疑はれることもなく、広く速く深く強力に伝播する。



| comments(0) | trackbacks(0) | 08:18 | category: ひと言 |
# 責任を問はれるのは朝日新聞社だ その五 dimanche 14 mai 2017
イメージ
『イメージ 視覚とメディア Ways of Seeing』(ちくま学芸文庫)には「見ることは言葉より先にくる。子供はしゃべるようになる前に見、そして認識する」と書かれてゐる。

人は見る。そして、それが大脳の視覚野に伝はつて認識、理解する。ディック・ブルーナの絵本を持ち出すまでもなく、イメージは直接的にかつ強烈に視覚野に伝はる。だから残像濃く、印象深く、記憶される。

20170514

たれ流す
だれもが知るやうに、テレビ朝日は朝日新聞の子会社だ。そのテレビ朝日が
つぎのやうな映像を「たれ流」してゐる。

https://www.youtube.com/watch?v=J7sN7dM9YYg

なぜテレビ朝日はかういふ番組を制作するのか。

この動画を見てわかるやうに、つまりは修飾語の問題、個人個人が感じる多い少ないの感じ方の問題、だから議論にならない、永遠にかみ合はない。

つまりは感情論
感情論を論じたら収拾がつかない。感情は微妙な差異を問題にする。差異は埋まることはない。しかし人間は集団的動物である。集団で生きなければならないのだから決め事、法律が必要になる。法律には差異の入り込む余地はない。それが法律である。

それを無視して感情論を持ち出す。感情論を持ち出して解決が見出せるのなら問題はない。しかし、その解決策はどこまでいつても見出せない。かみ合はない平行線のままである。当然である。

https://www.youtube.com/watch?v=qWIlOeIV8w8

どこまでも感情論に拘泥するのなら、政治の分野でない他の分野でするしかない。しかしそれには努力と才能が必要だ。



他意のある制作物
制作者も最初からそれを承知してこの番組を作つてゐるから始末に悪い。ここに参加して意見を述べてゐる人たちも、出口のない感情の拘泥に困窮してゐるのが見て取れる。

この番組になんの意味があるのか。辛淑玉を意味なく大写しに映しにする。印象を焼き付け商品として売出すために?辛淑玉を大写しするカメラワークを見てゐると、今日的な観点にたつとセクハラもどきに見えてくる。見るに耐えへ難い。

https://www.youtube.com/watch?v=sm4Od9f8Rbk

また辛淑玉の感情論を補強するために都合よく挿入された映像、もちろん準備されたもの。これら映像のなんと用意周到なことか!それは司会者の田原総一朗も承知のこと、要は仲間(ぐる)の出来試合。

つまりテレビ朝日は、理窟を無視して、何が何でも辛淑玉に注目を集めたいのだと宣言してゐる。いやはや公共電波を使用して会社の意向を発表してゐるのである。

さういふ親元の朝日新聞が公共性を問題にしてMXテレビの番組を「たれ流す」と非難する。本末転倒、多くの人がさう思ふだらう。

つぎにつづく文章も意味不明、その意味不明な言葉で読む人の横つ面を張り倒し、面喰らはせ、思考を停止させる。

20170514

 当事者の動きとは別に、放送番組の質の向上をめざしてBPO内に設けられている放送倫理検証委員会も、MXテレビに報告を求めている。

施された小細工
これは事実に基づいた正確な文章なのかどうか疑問が残る。他の報道によると「のりこえねっと」の訴へに基づいて、といふことになつてゐるが、ここでは「当事者の動きとは別に」となつてゐる。

「当事者の動きとは別に」とは、どういふことなのか、なにを意味してゐるのか、理解し難い。

この文章からすると「のりこえねっと」の訴へとは関係なく、放送倫理委員会そのものが報告を求めてゐる、と読める。

空虚なコトバたち
ここで立ち止まつて考へてもらひたい。ここでなんの問題もなく当然として用ゐられてゐるこれらの言葉ーー「質の向上」「BPO」「放送倫理」ーーの実態を問ふと納得できる具体的な答へが返つてくるのか。

20170514

では、尋ねる。なにをもつて「質の向上」といふのか。

「BPO」とはいかなる組織なのか。公平な基準を持つた開かれた組織なのか。

人間として守るべき道もない、道徳もモラルもない昨今、放送の「倫理」とはなんなのか。

「日常を侵食する便利で空虚なコトバたち」、まさに『プラスチック・ワード』(藤原書店)を組立てただけでできた意味のない文章、しかしある種の人には心地よいコトバの並び、かういふ文章が人の心を揺さぶるだらうか。




| comments(0) | trackbacks(0) | 18:42 | category: ひと言 |
# 責任を問はれるのは朝日新聞社だ その四 vendredi 12 mai 2017
さて、今回はまた朝日新聞の社説なるものに戻つて、書かれてゐることを検証してゆく。

辞書にない言葉 
 反対運動を支援してきた市民団体「のりこえねっと」の辛淑玉(シンスゴ)さんは、番組で「運動を職業的に行っている」などと中傷されたとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会に人権侵害を申し立てた。

この文章は、一見すると、どこにも問題のないやうに見える。しかし、考へると、疑問の残る文章でもある。

まず「市民団体」といふ言葉。市民団体の意味を知りたくて、普段机上で使用してゐる辞書を調べたが、市民団体といふ項目ない。

そこで幾つか辞書にあたつてみたが、国語辞書に掲載されてゐたのは第二版日本国語大辞典と大辞泉の二冊だけだつた。これらはともに小学館の出版物である。定義は「市民運動などを行うために結成された集団」となつてゐる。

20170512
   < 写真は撮影者の視線である >

さらに「市民運動とは」と調べると「既成政党や労働組合から独立した、市民を主体とする政治社会運動」となつてゐる。では「市民とは」と調べると「都市に住んでゐる人」「行政区画の市に住む人。市の住人」となつてゐる。
それでも納得できなかつたので、市民団体は NPO や法人に類するものかと調べたが、さうでもなかつた。 NPO や法人になるには、それぞれ審査基準があつて、それを満たさないといけない。しかし、ここでいはれてゐる「市民団体」なるものは第三者に見える基準を持たない団体である。

念のために第一版日本国語大辞典も調べてみた。こちらには、この辞書が出版された時点では「市民団体」といふ言葉は存在しなかつた。おそらく時を同じくしたころの大辞泉にも掲載されてゐないだらう。なぜなら大辞泉は日本国語大辞典に基づいて編集されてゐることが予想されるからである。

では、と考へて、用語辞典「現代用語の基礎知識」を調べてみた。二〇一七年版にはなかつたが二〇一六年版にはあつた。しかしここに掲載されてゐる「市民団体」は、その意味からして、市民団体「のりこえねっと」と似ても似つかないものだつた。

ネット検索すると、「市民団体」について、興味深い指摘もあつた。しかし、それはまだだれもが認める市民権を得るところまではいつてゐないと考へて、取り上げないことにした。

日本語はだれでも容易に造語ができる。だからかういふ問題が出てくる。また、それを承知して、都合よく言葉を巧妙に利用する人が存在するのも事実である。

20170512
   < 写真は撮影者の感動である >

手前味噌な罠
たとへば、この社説なるものの出だしの文章ーー事実に基づかず、特定の人々への差別と偏見を生むような番組をテレビでたれ流すーーが、つぎのやうな文章だつたら、読む人にどのやうな反応をもたらすか。

 事実に基づかず、基地反対運動をする人々への差別と偏見を生むような番組をテレビでたれ流す。あってはならないことが起きた。

まず書き手の立場が明白になる。だから「『ニュース女子』 #91」を見知つてゐる人は、読んで、立ち止まるだらう。待て、違ふ。なんと偏狭で政治的な発言だらう、と思ふのではないか。

単語ひとつ替へるだけで、これだけ印象が異なる。それに「たれ流す」も不快感をもたらす相手を見下げた下品な表現だ。

この文章だと、まさに『イメージ Ways of seeing』(ちくま学芸文庫)で指摘する通りの結果を見ることができる。つまり「人間のものも見方は、その人がなにを知つてゐるか、なにを信じてゐるかによつて、変はつてくる」が実践されてゐるのを目の当たりにする。

本来、読む人に、事実を伝へるために具体的に書こうとすれば「基地反対運動をする人々」になるはずだ。だが、なぜか「特定の人々」とぼかした表現にする。さうすることで、意味深長に、読み手の注意を先に引き延ばすやうに思はれがちだ。

しかし、なぜかういふ表現にするのか、熟考すべきである。

つまりは印象操作。つぎにくる「差別」と「偏見」を際立たせるめの印象操作である。「市民団体」なる言葉もしかりで「のりこえねっと」を政治活動的な団体ではなく、たんなる市民の集まりなのだと思はせるために「市民団体『のりこえねっと』」としてゐる、と解釈することができる。

表現によつて、反応は変はる。だから、かういふ表現をする。それは悪質で、暴力的だ。

読む人に「のりこえねっと」の活動が見えてこない。見えてこないことには、「中傷」「人権侵害」の訴へが、正当なものか、どうか、判然としない。

20170512
   < 写真は撮影者の訴へである >

言葉は発するものに反へる
読み進めればわかるやうに、この社説なるものを書いた人は、放送法なるものを持ち出して「報道は事実をまげないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と主張して、「『ニュース女子』 #91」の報道責任を追及してゐる。

この主張は、よりよい民主主義を実現させるためのものであり、考へるための根幹にかかはる知る権利を保証するものである。しかし、それがなされてゐないとすれば、重大な問題になる。

放送法を遵守してゐないのは「『ニュース女子』 #91」のほうか、はたまた朝日新聞のこの社説なるもののほうか。

ところで、この引用を、そのまま、この社説なるものを書いた当人にあてはめると、どうか。

引用した当人は、引用文を真摯に読み、真摯に受け取り、真摯に自らに課し、真摯にそれを実践してゐるのか。

まさか!

読んでわかるやうに、公的ともいへる新聞紙面を占有して、一方に与しただけの、まるで裸の王様のやうな駄文を壮語してゐるだけだ。





| comments(0) | trackbacks(0) | 17:57 | category: ひと言 |
# 責任を問はれるのは朝日新聞社だ その三 mardi 9 mai 2017
あへて本文から離れて脱線するが、いはせてもらひたいことをいはせてもらふ。

この社説なるもの(あへてさういふが)を読むと、「この紋所が目に入らぬか」式のことしか書いてゐないのがよくわかる。

検証したり論じたりする以前に、まず自分の立場ーー左に立つか右に立つかーー有りきで、一方に与し、その立場から論じてゐる。だから結論は「この紋所が目に入らぬか」式になる。これはなにも考へてゐない証左だ。

実際に結論はだれもが予測する地点に着地してゐる。これでは紙面の無駄つかひ、読むものの時間の浪費でしかない。さらに悪質なのは、購読する人を見下し、その上購読料を掠めとつて、威張り踏ん反り返つてゐる。

立場といふものは、右(みぎ)左(ひだり)関係なく、おなじ側に立つてゐるつもりでも、異なるものだ。同じ立場にゐるつもりでも、事細かに聞き質して行くと、背中合はせの正反対といふ場合もある。

さうでありながら、この社説なるものは、根拠のない思ひ込みの善悪を振りかざして、愚にもつかない単純な論法を繰り広げてゐるだけである。

20170509
   < だれもがおなじ自由、おなじ権利をもつ >

第一段落の冒頭を見るだけで、すでに結論は予測できる。その程度のことしか書いてゐない。書き手は予定調和の自己満足の世界を書いて自己陶酔してゐる。購読者は、なにも知らず、迷惑にも、それに立ち会はされてゐるだけである。

よりよい民主主義を実現してゆくために、本来考へなければならない問題点は、この社説なるもののどこにも見出せない。マス・メディアやある学者たちは、オウムの一つ覚えよろしく、アメリカの安受売りーー「メディアは權力の監視者だ」ーーを唱へてゐるだけだ。

立場が変はると自らが「權力者」に取つて代はる。それを知りながら、気づかないふりをして、自らが權力者に成り代はり、自らのメディア媒体を利用して、弱者に權力を行使してゐる。これに立ち会はされる購読者は、わざわざ金を支拂はされて、悲惨な目にあつてゐるわけだ。これぞマス・メディアの歪んだ性悪さだ。列挙すれば切りがない。

ところでここに、マス・メディアがなにがあつても報道しない動画がある。 YouTube で見ることができる。しかし、これもいつか閲覧ができなくなるだらうから、ここに題名だけでも明示しておく。現在この動画を知る人は多いだらう。それによつて基地反対運動の実態を知ることができる。


「【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!」


さらにこの動画には続編がある。そこでは「(前回の)動画がクソだから撮らせない」と撮影を拒否してゐる場面がある。

この動画も文字起こしすれば、多くの問題が明示されるだらう。さうして考へる契機につながるはずだ。

20170509
   < 現実がどうあれ、せめて希望だけは >

最初「プロ市民」と聞かされても、この自分はなにも連想できなかつた。しかしこの動画を見て「プロ市民」といふ造語に心底得心がいつた。

日本は、民主主義の制度を取り入れてゐるから、民主主義国家である、と思つてゐる人がゐるかもしれない。しかし、この動画を見ると日本が民主主義国家であるとは信じられない。

日本の民主主義といふのは、表面的な体裁だけで、実際は憲法も存在しない、詭弁と暴力が支配する国に見えてくる。とくに沖縄の基地反対運動の実態をしるとさう思へて仕方がない。

たしかに憲法では思想の自由、学問の自由が謳はれてゐる。しかし、これが保障されてゐるのは左に属する人だけである。右に属する人にはそれらは認められてゐない。私学ではあるが、同志社大学の学長選挙を思ひ出すだけで充分である。

またこの社説なるものを読んでも同様のことが行はれてゐるのがわかる。




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