蛮茶菴

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# 『日本の長い戦後』 その五 lundi 25 mars 2019
日本の既存の報道機関の本性は、要するに金儲け主義、事実報道よりも扇情的で興味本位主義。今も昔も人々を煽つて金を儲けることが仕事。つまりはイエロー・ジャーナリズム、赤新聞となんら変はりない。

『太平洋戦争と新聞』(講談社学術文庫)を読んでも、その本性が窺へる。反省と言ひながら、テンプレートは、不変で、そのまま。そこへ、生コンのやうに、時代の言葉を流し込んでゐるだけ。だから、いくらでも生産できる。
思索や思考の痕跡を探しても、それだけ無駄な時間を費やして終はることになる。朝日新聞や毎日新聞の戦時社説と、それぞれの新聞の今の社説と読み比べてみるとよい。厚顔な断定コトバが、恥ずかしげもなく、鎮座、横溢してゐる。

本来ジャーナリズムとは、つぎのやうなことを目指すものではないか。民主主義を成就するために、人々が考へるために、信頼しうる資料となるために、裏付けされた情報を、右左の関係なく、より具体的に、知らせること。

日本に権威主義が蔓延る。その元凶が朝日新聞。

その昔、御茶ノ水の丸善で、「これ書評に取りあげませうかね、先生喜ぶでせうね」さういふことを耳にした。それを今でも覚えてゐる。その本は新聞の書評欄に掲載される。つまりは大丈夫だといふハンコが押され、評価が定まり、売れる、といふわけだ。社名を名乗り、名前を告げ、名刺を差し出し、挨拶するのをそれとなく、偶然、その場に居合わせ、目撃した。

それこそ、そこに自然発生的に忖度が誕生する。それが続けば、続くほど、書き手は新聞社の意向に沿つたものを書くやうになる。そこに委員会ができ、その人たちの選択眼で選ばれ、傾向は固定化していく。購読者は掲載されたものを、ほぼ無条件に信じ、購入し、読む。

20190325

情報社会のいまでも、書店に行くと各新聞社の書評ページが貼られてゐる。需要に応へるために、さういふ供給をしてゐるのである。

あるとき、知人の別荘に招かれ、そこで壁一面、本の埋まつた背表紙を見る機会があつた。そのとき、その書架には、自分の手元にあるものと、ほとんど同じ本が並んでゐた。つまりは知人も自分も書評に掲載された通りの読書を、嬉々として、善として、無意識下で、してゐただけなのだと、思ひ知らされた。

つまりは新聞社の思惑通りの読書しかしてゐなかつたことを思ひ知らされた。要は日本のインテリゲンジャも所詮新聞社の子飼ひ、新聞社の手のひらで踊らされてゐるのである。まづ、それに気づかないのだから、そこを抜け出すことはできない。

毎年八月になると、無理にでも、必ず思ひ出さされる戦争のこと。毎年決まつて懺悔させられる。しかし八月十五日が過ぎれば、途端にその類いの話は、時期外れとして、相手にされず、雲散霧散、消えていく。以降話題にすること自体禁忌(タブー)となる。特権階級の住み心地の良い村社会では自己犠牲して禁忌を破る者など存在しない。

『日本の長い戦後』を読んでゐて、違和感で堪らず、以前読んだ『憎むのでもなく、許すのでもなく』(吉田書店)を取り出し、拾ひ読みをはじめた。

この本を未読の人のために、帯に書かれた文章を紹介しておく。

1944年1月、ユダヤ人一斉検挙の犠牲となった6歳の著者は、収容所に送られる直前脱出する。戦後もまた辛く長かった・・・・。沈黙し続けてきた自らの壮絶な物語を静かに紡ぎ出した1冊。精神科医の立場で、トラウマから逃れる方法も多角的に分析。

二冊の本はつぎのやうに終はつてゐる。

新しい世界秩序に必要なのは、歴史に起因する感情的なわだかまりが事態を膠着させている現状を打破すべく、創意を生かして譲歩と妥協を実現することだ。私たちにとってそれは、第二次世界大戦について日本を有罪とするか無罪とするか曖昧にした。不定形の中間地帯にある快適な安全地帯から勇気をもって出ていくことを意味する。そしてその勇気に報いて、かつての敵や被害者は、日本を赦すという可能性を模索しなければならないだろう。

20190325

・・・中略・・・
トラウマの記憶は、ばらばらなものを統合する可能性も、まとまっていたものを分断する可能性も宿す。解消されないまま、見えなくなることもある。しかしこうしたかたちで文化的トラウマが残ることによって、国民としてのアイデンティティは刷新される。文化的トラウマは、次世代が国の歴史を完全に理解することはをむづかしくしているが、人々はそのトラウマがあるからこそ国の未来像を描くための営みを積み重ねていくのであり、その営みのなかで記憶は生きつづけることになる。
                (『日本の長い戦後』P.196 - P.197 )


 私に許しを求めた者は、誰もいなかった。例外は自分たちの祖父母が犯した罪について、いまだに罪悪感を覚えるドイツの若者たちである。なぜ彼らは、私に許しを求めたのだろうか。ある男が婦女暴行の罪を犯したとしても、その息子が刑務所に入れられることなど、ないではないか。
 すべての宗教は、自分たちの近親者が犠牲になった意図的あるいは無意識な悪について、許すように求めている。・・・略・・・
 われわれは、山火事や水害などの自然災害に許しを与える必要を感じない。自然現象に憎しみを覚える者はいない。それは警戒すべき対象だ。自然災害から身を守るためには、自然をうまく制御するために、その仕組みをよく理解しなければならない。それは、加害者を突き止めて断罪する作業ではなく、たとえば自然災害で収穫物を失った農民が、水文(すいもん)学の専門家になることである。
 ナチズムや人種差別について私が思うのは、そのようなことだ。ナチズムや人種差別に加担した人々は、現実から切り離された表象に服従した。・・・中略・・・彼らは、そうした不条理な表象に従うために行動した。彼らは服従することによって団結し、団結することによって自分たちは強者だという感覚に浸った。・・・略・・・
 私にとっての選択肢は、罰するか、許すかではなく、ほんの少し自由になるために理解するか、隷属に幸福を見出すために服従するかである。憎むのは、過去の囚人であり続けることだ。憎しみから抜け出すためには、許すよりも理解するほうがよいではないか。
       (『憎むのでもなく、許すのでもなく』 P.319 - P.320 )


20190325

日本語で表現するとトラウマとは心的外傷。翻訳して漢字で現すと意味が曖昧にならずに済む。さうでないと、都合よく、曖昧なまま、言葉をつかつてしまふ。心的外傷者とは、心に外傷があつて、努力をしやうとしても、また、どれだけ意欲を掻き立て努力をしても、どうしても外傷が邪魔して、あることができない状態の人のことをいふ。そのあることとは、とうぜん、心的外傷をもつ人によつて異なり、多種多様、凡百、複雑怪奇、一様ではない。 

目立つことなく、正常で問題を起こすわけでもなく生活してゐる人のなかにも、心的外傷者はゐる。なにかの拍子に心の傷が疼き、意気消沈、自信喪失、自棄してしまふ人がゐる。

さういふ人に、二つのどちらを選ぶか、と訊かれたら『憎むのでもなく』のほうを選ぶ。なぜなら心的外傷からの恢復は、こちらのほうが期待できるから。


蛇足だが、『憎むのでもなく』か『サラの鍵』か、読んだ前後は定かではないが、これらの作品から第二次世界大戦下のフランスのユダヤ問題を知つた。勉強してゐないので、恥ずかしいが、それほどなにも知らないのが実情である。その無知さにつけ込んだトラウマ洗脳。報道機関の責任転嫁も甚だしい。


                         






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