蛮茶菴

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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その六 jeudi 18 mai 2017
 権力の介入を防ぎ、放送・表現の自由を守るためにNHKと民放連が設立した第三者機関のBPOにとっても、存在意義が問われる案件だ。視聴者・国民が納得できる対応を求めたい。

権力とは?
この世は一筋縄ではゆかない。問題は、普段は身を潜めてゐて、表に出てこない。しかし、一旦ことが起こると、噴出する。上記一文にしてもさうだ。

日本国語大辞典第二版によると権力とはつぎのやうに定義されてゐる。

第一義「他人を強制し服従させる力」。第二義「法律でいう他への強制力。特に国家や政府の有する政治的権力」となつてゐる。「権力の介入」といふと、まず最初に思ひ浮かべるのが、第二義のほうだらう。

第二義の定義はわかるやうでわからない。法律とは本来人間が集団で生活するための決め事である。しかし決めたからといつて、それが遵守されるわけではない。なすがままにしておけば、決め事は決め事でなくなり、形骸化する。形骸化させないめに決め事を守るための決め事が必要になる。法律を法律たらしめるための法、強制力の誕生である。さうでなければ法律は機能しない。

20170518
   < これも力関係? >

決め事とニュアンス
法律は国に生きる全ての人の約束事、だから各人の感情や思ひやこだはり、つまりニュアンスのはいり込む余地はない。車で違反を犯して切符をきられることを思ふだけで良い。どれだけ釈明しても聞いてもらへない。車を運転する人ならだれも一度は経験あるだらう。法が法であるためにはさうする以外ない。

ところでもう一度思ひ出してもらひたい。辛淑玉を舐めまわすかのやうな映像をつくつたテレビ朝日のあの番組を。決め事の世界に、感情の差異を持ち込む。従軍慰安婦の日本と韓国、ともに決め事、約束事、法律のなんたるかを知らないから、いつまでたつても問題は解決しない。

法律概念の希薄な法律発展途上国のアジアにおいては、それでも通用するかもしれない。しかし、法律が生きてゐる国ーー一度約束したことは破棄されるまで生き続ける国からすれば、決め事にニュアンスを持ち込むこと自体考へられない不可解なことである。

20170518
   < 委ねるか、祈りの世界に >

権力のなせる業
権力をもつ、それははなにも国家や政府に限らない。マス・メディアも充分すぎるほど権力をもつてゐる。言葉尻や言質を捉へるのはまだ可愛い。意のままに操るために情報を操作、捏造する。

わが想ひを達成するために、わが論を正当化させるために、手はじめに世論を味方につける。そのための常套手段がアンケート調査。さうしてそれを根拠に都合よくわが論をはる。いまはそのカラクリを知る人も出てきた。しかしそれはまだ一握り。大多数はこの情報を疑ひもなく信じる人の集まり。だからこのイカサマ手法はいまも生き、いまも使はれ続けてゐる。

朝日新聞社は、傘下に数多の企業を従へる巨大メディアである。もちろん映像制作の企業も従へてゐる。だからそれとの相乗効果も生まれる。影響力は計り知れない。その新聞社が紙面の社説なるものを利用して非難する。

「報道は事実をまげない」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」と正論の「お題目」を唱へる。だが、この社説なるもののどこに、それがあるのか⁉︎これほど人を小馬鹿にし、人を欺く裏腹な言動はない。

「存在意義が問われる」「国民が納得できる対応」を!などと、歌舞伎よろしく大見得を切る。この大見得の大言壮語、見方によつては 、衆目だけを集めるためのもの。本来の狙ひは、それを担保に、BPO に対しては圧力をかける。巨大メディアのもつ権力をちらつかせる。さう読まれても已むを得ない表現である。

20170518
   < 衆目を集めるには、まず注意を喚起させる >

どこにもない自由
「表現の自由」といふ「お題目」。さてどうなのか、このときといふときにこの自由は保障されてゐない。事実、消費税が設定されるときも、その消費税が増税されるときも、歯牙にもかからない一部弱小メディア以外は、全メディアは必要だとするおなじ論調。言論の自由が守られてゐるから起きるべきして起きた論調なのだ、といふしかない。

政策をめぐつて対立が生じるのが必然、だがしかし、なぜか保革関係なくどこのメディアもおなじ論調。言論の自由を叫びながら、自ら率先して一方向の権力になびいてゐる。世の中一筋縄でいかない証左。

さういふ現実がある。しかし、それでも言論の自由を叫ぶ。さらに矛盾を極めるのは、相反するものの保障されるべき当然の権利を徹底的に攻撃して破壊する。叩く理由はわが原理(イデオロギー)に反するから。だから表現の自由といつても、「わが」表現の自由、「他」の表現の自由はない。この社説といふものも、それを実行して見せてくれてゐる。

例を挙げればきりがない。腐るほどある。表現の自由のないところには思想も学問の自由も、あらゆる自由は存在しない。そのことで自らの首を絞めてゐるにもかかはらず、自由を謳歌してゐるのは実は被害者なはずの、叫ぶ人たちだけだ。さういふ仕組みになつてゐる。

20170518
   < 弱者はほんとうのところ強者といふわけ >

印象操作
第三者機関とは口当たりのよい言葉である。人はこの言葉に騙されがちである。 BPO にしても、監督される側が出資して監督する第三者機関を作る。これが真の第三者機関か。これで第三者機関としての独立性が守れるのか。人間は弱いもので金になびく。人選にしても透明感がもてない。

さらにここでもうひとつ。ここで使はれる「国民」といふ言葉、この単語を覚えておいてもらひたい。つづく文章にもおなじ仕掛けが施されてゐる。ただ単語ひとつを入替へる。だが、この操作が、制御できない異様な効果を発揮し、猛威を振るふ。

かういふ言葉の技法だけはよく心得てゐて、巧妙、狡猾、露骨に、更にえげつなく利用する。これに対処するにも、手の施しやうがない。マス・メディアのマス・メディアたる所以で、この言葉は、疑はれることもなく、広く速く深く強力に伝播する。



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