蛮茶菴

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# 責任を問はれるのは朝日新聞社だ その四 vendredi 12 mai 2017
さて、今回はまた朝日新聞の社説なるものに戻つて、書かれてゐることを検証してゆく。

辞書にない言葉 
 反対運動を支援してきた市民団体「のりこえねっと」の辛淑玉(シンスゴ)さんは、番組で「運動を職業的に行っている」などと中傷されたとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送人権委員会に人権侵害を申し立てた。

この文章は、一見すると、どこにも問題のないやうに見える。しかし、考へると、疑問の残る文章でもある。

まず「市民団体」といふ言葉。市民団体の意味を知りたくて、普段机上で使用してゐる辞書を調べたが、市民団体といふ項目ない。

そこで幾つか辞書にあたつてみたが、国語辞書に掲載されてゐたのは第二版日本国語大辞典と大辞泉の二冊だけだつた。これらはともに小学館の出版物である。定義は「市民運動などを行うために結成された集団」となつてゐる。

20170512
   < 写真は撮影者の視線である >

さらに「市民運動とは」と調べると「既成政党や労働組合から独立した、市民を主体とする政治社会運動」となつてゐる。では「市民とは」と調べると「都市に住んでゐる人」「行政区画の市に住む人。市の住人」となつてゐる。
それでも納得できなかつたので、市民団体は NPO や法人に類するものかと調べたが、さうでもなかつた。 NPO や法人になるには、それぞれ審査基準があつて、それを満たさないといけない。しかし、ここでいはれてゐる「市民団体」なるものは第三者に見える基準を持たない団体である。

念のために第一版日本国語大辞典も調べてみた。こちらには、この辞書が出版された時点では「市民団体」といふ言葉は存在しなかつた。おそらく時を同じくしたころの大辞泉にも掲載されてゐないだらう。なぜなら大辞泉は日本国語大辞典に基づいて編集されてゐることが予想されるからである。

では、と考へて、用語辞典「現代用語の基礎知識」を調べてみた。二〇一七年版にはなかつたが二〇一六年版にはあつた。しかしここに掲載されてゐる「市民団体」は、その意味からして、市民団体「のりこえねっと」と似ても似つかないものだつた。

ネット検索すると、「市民団体」について、興味深い指摘もあつた。しかし、それはまだだれもが認める市民権を得るところまではいつてゐないと考へて、取り上げないことにした。

日本語はだれでも容易に造語ができる。だからかういふ問題が出てくる。また、それを承知して、都合よく言葉を巧妙に利用する人が存在するのも事実である。

20170512
   < 写真は撮影者の感動である >

手前味噌な罠
たとへば、この社説なるものの出だしの文章ーー事実に基づかず、特定の人々への差別と偏見を生むような番組をテレビでたれ流すーーが、つぎのやうな文章だつたら、読む人にどのやうな反応をもたらすか。

 事実に基づかず、基地反対運動をする人々への差別と偏見を生むような番組をテレビでたれ流す。あってはならないことが起きた。

まず書き手の立場が明白になる。だから「『ニュース女子』 #91」を見知つてゐる人は、読んで、立ち止まるだらう。待て、違ふ。なんと偏狭で政治的な発言だらう、と思ふのではないか。

単語ひとつ替へるだけで、これだけ印象が異なる。それに「たれ流す」も不快感をもたらす相手を見下げた下品な表現だ。

この文章だと、まさに『イメージ Ways of seeing』(ちくま学芸文庫)で指摘する通りの結果を見ることができる。つまり「人間のものも見方は、その人がなにを知つてゐるか、なにを信じてゐるかによつて、変はつてくる」が実践されてゐるのを目の当たりにする。

本来、読む人に、事実を伝へるために具体的に書こうとすれば「基地反対運動をする人々」になるはずだ。だが、なぜか「特定の人々」とぼかした表現にする。さうすることで、意味深長に、読み手の注意を先に引き延ばすやうに思はれがちだ。

しかし、なぜかういふ表現にするのか、熟考すべきである。

つまりは印象操作。つぎにくる「差別」と「偏見」を際立たせるめの印象操作である。「市民団体」なる言葉もしかりで「のりこえねっと」を政治活動的な団体ではなく、たんなる市民の集まりなのだと思はせるために「市民団体『のりこえねっと』」としてゐる、と解釈することができる。

表現によつて、反応は変はる。だから、かういふ表現をする。それは悪質で、暴力的だ。

読む人に「のりこえねっと」の活動が見えてこない。見えてこないことには、「中傷」「人権侵害」の訴へが、正当なものか、どうか、判然としない。

20170512
   < 写真は撮影者の訴へである >

言葉は発するものに反へる
読み進めればわかるやうに、この社説なるものを書いた人は、放送法なるものを持ち出して「報道は事実をまげないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と主張して、「『ニュース女子』 #91」の報道責任を追及してゐる。

この主張は、よりよい民主主義を実現させるためのものであり、考へるための根幹にかかはる知る権利を保証するものである。しかし、それがなされてゐないとすれば、重大な問題になる。

放送法を遵守してゐないのは「『ニュース女子』 #91」のほうか、はたまた朝日新聞のこの社説なるもののほうか。

ところで、この引用を、そのまま、この社説なるものを書いた当人にあてはめると、どうか。

引用した当人は、引用文を真摯に読み、真摯に受け取り、真摯に自らに課し、真摯にそれを実践してゐるのか。

まさか!

読んでわかるやうに、公的ともいへる新聞紙面を占有して、一方に与しただけの、まるで裸の王様のやうな駄文を壮語してゐるだけだ。





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