蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# もう金木犀の季節 mercredi 28 septembre 2016
毎年の、いつものことで、進歩といふものがまつたく窺へないのが、この自分。正月を迎へると、決まつて、一年を指折り数へて、その先の長さに嘆息したり、うんざりしたりする。しかし反面、安堵したりする。

しかし、蝉とおなじで、夏が過ぎるころになると、にはかに、残りの月を数へはじめて、焦りだす始末。これも毎年まさに、恒例の心の動き。

通りを歩くといい香りがし、香りのもとはと、街路樹を注視すると、金木犀が木全体に黄色の花をつけてゐる。咲いたばかりで、まだ一粒も地面に花が落ちてゐない。しかし、時間が経ち、一日二日過ぎると、やがて黄色い絨毯が道路を敷き詰めるやうになる。

20160928

家に帰ると、金木犀の花よりは大きく、しかし他のものと比較すると小さい花が咲いてゐた。花が小さければ、命も小さいのではと聯想したりする。命が小さいと、もちろん命も短いもの、さういふ思ひが脳裏をよぎる。

見落とされがちな目立たない花。しかし、写真を撮るこちら側に、小さいながら命の輝きを放ち、命の不思議さを伝へてくる。小すぎて、だれも、気にも留めない花、しかしそれでも、花開いて、命の輝きを放つてゐる。

この花も、じつは取るに足らないその他大勢のわたしたちとなんら変はりがない。人は、だれもその他大勢とは、これつぽちも、思つてゐないが、現実は正反対そのもの、その他大勢の一人にさへもなれないわれら。だからこそ、同類のかういふ小さい花に目が止まり、心動かされるのかもしれない。








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