蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 筆舌に尽くしがたい偶然の再会 dimanche 5 juin 2016
■偶然の再会
なにに再会したかといへば言葉です。みすず書房が二〇一五年十一月に出版したアレックス・ダンチェフといふ人が書いた『セザンヌ』のプロローグを読んで、感心し、もう一度読み直さうと思つて、最初に戻らうとしたら、ページのはじめにある献辞に気がつきました。

この献辞ーー人は自分のなかにすでにあるものだけをこの世で知覚する。しかし、そのあるものを知覚するには、この世界が必要だ。とはいえ、そのためには、行動と苦しみが絶対必要だーーこれは、本を読もふと決心した数十年前の若いときに出会つたあの言葉を思ひ出させました。

20160605

若い当時は、もつともらしく本の知識をひけらかす人が、鼻持ちならず、嫌で、嫌で仕方がありませんでした。当時は、本を読む意義をどこにも見出せず、そこから本の知識をひけらかす人を腹で軽蔑し、敬遠して、遠ざけてゐました。

■自分はなにもの?
しかし、当時のある時、偶然、手にして読んだ本につぎのやうな文章がありました。

「影響は類似によつて作用する。それは鏡にたとへられます。我々が既にはつきりさうなつてゐる我々の姿を見せるのではなく、我々が潜在的になつてゐる姿を見せる鏡です。アンリ・ド・レニエは『汝が未だ成り畢(おほ)せぬかの内なる同胞(はらから)』と言つてゐます。」といふ文章です。

冒頭の「影響」を「感動」に置き換へて、自分のなかにあるまだ形をなさないものが、明確な形となつたものに出会ひ、それに触発されて、人は感動するのだ、と解釈し、そのために自分は本を読むのだ、と決心したのが、本を読む始まりでした。

20160605

紆余曲折はあつたにしても、感動するために、今日まで本を読んできました。さうして、再度また、この時期、この言葉に出会つたのです。それも個人的に特別な画家『セザンヌ』について書かれた本を介して、ホーフマンスタールのこの言葉に邂逅したのです。これには筆舌に尽くしがたい感動を感じてゐます。


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