蛮茶菴

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# 恩恵に感謝しながら dimanche 14 fevrier 2016

年末年始にしたこと

昨年は『ダルタニアン物語』(十三巻)から始まつた一年でしたが、今年はフランスの哲学者アランについて書かれた『人間的飛躍・・・アランの教育観』『教育者アラン』の讀書からはじまつた一年です。年末年始の世間がうるさくないときに、昨年暮れに出版された塩野七生の『ギリシア人の物語』でも讀みながら年末年始の休みを過ごさうと心づもりしてゐたのですが、『人間的飛躍』を讀みだしたら、その心づもりはどこへやら、塩野七生の新刊本は、二月なかば、いまだ積讀讀書の一冊になつたままです。


『人間的飛躍』を讀了すると、つぎは自然に『教育者アラン』に手が出ました。讀むのに変な構へがなかつたのが幸ひしたのかもしれません。今回は素直に理解できたと思ひます。幸ひこれらの書物は『アラン經済随筆』を讀み終へたとき、関連して購入して、途中まで讀むで、そのままになつてゐたものです。ところで、『アラン經済随筆』の「經済」の「經」からもうかがへるやうに、この本は正字正かなが用ゐられてゐます。翻譯者は橋田和道、昭和九年、西暦一九三四年生まれの人です。


20160114


一九三〇年代の人はかういふ日本語が書けるのだと羨ましく思ひます。『アラン經済随筆』は以前別の出版社から出版されてゐました。そのときは新字新かなが用ゐられてゐたやうですが、筑摩書房から再販されたときは、正字正かなになつてゐます。このことから、この変更には翻譯者の確固とした考へや意図があつてのことだと思ひます。


また、この筑摩版の表紙には高田博厚のアランのデッサン画が用ゐられてゐます。それは橋田和道が選んだのか、それとも本作りの過程で、高田博厚が著作『薔薇窓から』や『ルオー』などを筑摩書房から出してゐる関係上、編集者が提案したのかもわかりません。かういふ推測はどうでもよいことですが、筑摩版『アラン經済随筆』を購入したときは、表紙のこのデッサン画に見入つたのは事実です。


20160114


特筆することかどうかわかりませんが、橋田和道はごく普通の勤め人です。その人がアランに関する四冊もの翻譯本『アラン經済随筆』『人間的飛躍・・・アランの教育観』『教育者アラン』『アラン教育随筆』を出してゐるわけです。それから考へると、橋田和道といふ人は相当アランに魅せられてゐるのだと思ひます。と同時に、橋田和道の譯業に敬意を表します。これら譯業の恩恵に浴する人がゐるのも事実です。


アランから学んだこと

アランを讀むで留意するやうになつたことは、引用と要約についてです。むやみな引用は避ける。引用はできるだけ短く。要約には用心する。この二つの事柄は、普段讀むだり書いたりする上で、なるべく遵守しよう、と心がけてゐることです。


自分の書くものの正しさを証明するために、傍証として引用を多用する人を見かけます。アカデミックの世界では傍証なしでは済まされないのが事実です。しかし、これは、もつとも重要なところを自分で考へずに、他人が書いた物で代用して済ます方法で、実際は、自分の頭ではなにも考へてゐないのです。さういふことを覚えてをくと、讀む判断基準ができます。一見難しいことが書いてあつても、引用が多い文章は讀むに値しない、と判断しても差し支へないでせう。


20160114


これはつぎのやうなこととも通じてゐるのではないでせうか。間違つて同じ本を二冊買つてしまつた人が、一冊譲ると、讀み終へた本をくれました。さてどうするか。かういふ本は讀む必要はないでせう。なぜなら讀むでよかつたと思つた本は、自分のものとして、取つてをくのが人といふものです。既讀書を人にあげ、未讀書を取つてをく、さういふ本は讀書に値しません。愛讀書が紛失したからといつて、同じ本だからといつて、新しく購入して弁償してもらつても、喪失感が埋まらないのとおなじです。


つぎに要約です。要約とは端折り丸めることです。なにごとも、端折り丸めれば、すべて同じことになつてしまひます。斎藤美奈子はどこかで『朗読者』を端折り丸めて評論してゐますが、斎藤美奈子のあの丸め方にはなじめないもの、異論があります。非干渉主義で都合が悪くなると、人はそれを孤立主義と言ひ換へて、非難、攻撃した事実があります。さういふことからも、丸めると多くの観点を喪失、無視してしまふのがわかります。人間も生まれて死ぬだけ、といはれたら元も子もないでせう。簡便なわかりやすさには取り返しのつかない落とし穴が待ち受けてゐます。






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コメント
久しぶりの投稿読むほうもうれしいです。
普通でいられる、普通の状態でいられることのありがたさを教わりました。
学生のころアランの教育論が良く古本屋にならんでいましたが、本気で読んでいなかったのでしょう・・なんの記憶もありません。
あさってで一区切りの時間となるので少し本を読んでみましょう。
教育論なら物置のどこかにありそうです。

本を譲る云々・・・物質感、"もの"の価値というものをデータデータといっているこの時代にしっかりと認識し直さなければなりませんね。
画集はしょせん画集。
本体と対峙して語り合わなければ一枚の絵を"みた"ことにはならないように・・・。
| Genkikun | 2016/02/16 9:17 PM |

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