蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 日本のエライといはれる人たちのオツムの程度 vendredi 24 juillet 2015

マクラウドの物語は、フォークナーやチェーホフの作品のように、地方的かつ普遍的だ。そして、同時に永遠のものであると私は思う。


これはマイケル・オンダーチェがアリステア・マクラウドの作品を評した言葉です。この文章を讀んだとき、わたしはなぜか日本の「私小説」のことを思ひました。普遍的でない未熟な作品だと。


ロマン・ロランがどこかに書いてゐます。モーパッサンの『脂肪の塊』のやうな作品は評価の対象外だといふことを。つまりは、とるに足りない秘密の告白にすぎないといふのです。さういふ類いのものをどうにも評価しようがない、といふのです。


田山花袋の『布団』は日本文学史上名作ださうです。さういはれて、それを信じて讀んで白けたことを覚えてゐます。またプロレタリア作品の名作といふ触れ込みを信じて五味川純平の『人間の条件』を讀んだときも、いともあつさり、裏切られたことを覚えてゐます。金を出して讀む本ではない、人を馬鹿にした活劇、でっち上げたスーパーマン物語の本だと思つたものです。


なぜさうなるのか。「普遍」に届いてゐないからでせう。日本の私小説といふのは不思議極まりない代物です。これでもか、これでもかと人にいへない秘密を書きつらね、さうして文士仲間から、世間から、勇気ある正直者だとほめられるのですから。告白し、懺悔して許しを請うのはいまにはじまつたことでないのがわかります。


20150724

   < 剪定する。自由と好き勝手の違ひは? >


いつからかういふ下司根性が、それも堂々と、はじまつたのでせうか。おそらくヨーロッパの自然主義文学を模倣するころからではないでせうか。この模倣も、勝手な自己都合解釈の模倣ですから始末におへません。しかし、さうでありながら、日本ではそれが主流になるのですから、なんとも手の施しやうがありません。


ポール・オースターとJ.M.クッツェーの往復書簡『ヒア・アンド・ナウ』でクッツェーはかういひます。「なにかが起きたんだ。一九七〇年代末か一九八〇年代初頭に、その結果、芸術はわれわれの内面生活における指導的役割を放棄した、僕にはそう思える。・・・中略・・・作家と芸術家が、その指導的役割に向けられた挑戦への抵抗におおむね失敗し、その失敗のために今日われわれはより貧しくなったんだと思う」と、ポール・オースターに向かつて書くのです。


日本の文化人といはれる方々は、能天気らしく「なにかが起きた」ことをしらないやうです。時代錯誤なうへに、厚顔にも、自分たちがまだ指導的役割を担つてゐるのだと信じてゐるのです。だから滑稽千萬なのです。私小説でもいつたやうに、日本の作家連中はモーパッサンよろしく、傷を舐めあつてゐる連中なのです。それが人前にでて、偉さうに喋る。これが滑稽でなかつたら、どこに滑稽があるのでせうか。


現實に向き合ふ胆力がない。さうでありながら、さういふ輩を都合よく持ち上げる第四の権力集団があります。第四の権力のある新聞社は、獨特の「角度」でもつて、報道することを社是としてゐるさうです。それを平たく、包み隠さずいへば、「自分の都合のいいやうに解釈して」報道する、といふことです。


國語の要約テスト問題なら永遠に点数をもらへない解答です。それを世間に流布し、それで世間を支配してゐるのです。異常です。だから偏向は當然です。


20150724

   < 心を鬼にして芽を摘まないと >


クッツェーが「なにかが起きた Something happened」と指摘した年から、すでに四十年ちかくが経過しようとしてゐます。その「なにか」とは、芸術家や作家が、人から信じられなくなつたことを感じてしまつたことを、どちら側も同時に感じてしまつたのが、この年代でせう。なぜさうなつたのか。指針が、ことごとく外れることで、中身は自分たちと同じだと知つてしまつたのです。


四十年前にそれに氣づいてゐる人がゐる一方で、四十年経つても氣づかない輩がゐる。なんて滑稽な珍事でせう。しかし、さうであつても、破廉恥に精神的指導的役割を果たさうとする。なんて滑稽なのでせう。まさにブラックユーモアの域を突き抜けてゐます。






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