蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 雄弁な語り手 mercredi 17 aout 2016
身近で連想できる夏の風物といへば、それぞれ異なるでせうが、これもその一つであることは間違ひありません。

20160817

暦のうへで立秋が過ぎると朝の光にもどこか秋の気配が忍び込んできます。

20160817

さうでありながら真昼の炎天下の光はまだまだ夏そのものを主張してやみません。

20160817

しかしその光の下でも、植物は、着実に、秋を準備してゐます。




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# 本を読む難しさ mercredi 13 juillet 2016
たかが本を読むだけのことですが、このところ、読むことが難しい、と思はれて仕方がありません。集中したつもりで本を読んでゐるのですが、その集中とは裏腹に、なにも理解せず、ただ印刷された文字の上面だけを追つかけてゐるのではないか、と自分を疑ふことがあります。

多くの読書人の例に漏れず、この能無しも、読書人を真似て、重要と思はれる箇所に、付箋紙を貼り付けたり、ときには、鉛筆で、線を引いたりして本を読みますが、さてどれだけ理解してゐるのか。自分では、密かに自負して、理解したつもりになつてゐますが、本当のところはどうなのでせう。とんでもない勘違ひや表層的な理解だけで、さらに最も重要なところに気がつかず、理解したつもりになつてゐるのではないか、といふ思ひにとらはれることがあります。

20160713

今朝の読書でも、この句ーー石も木も眼(まなこ)にひかるあつさかな(向井去来)ーーを読んで愕然とさせられました。繰り返しなん回か読んでゐる詞華集のなかの一句ですが、これまでこの句に気づかずに、やり過ごしてゐたのです。

この時期、夏の日の晴天の光景そのものをうたつたものです。夏が好きで、炎天下を長距離歩くことさへ厭はない、この自分ですが、かういふ句を気づきもしないで、見逃し、これまで、読んだつもりになつて、のんべんだらりと頁を繰つてゐたのです。

2-16-713

「すべての命あるものは唯一無二である。」この一文はワシーリー・グロスマンの『人生と運命』で読んだものです。事実を述べただけの文章ですが、この事実にも、どれだけ立ち止まり、注意を拂つたでせうか。いや、注意どころではない、この事実に気づきもせず、ただ字を追ひかけてゐただけなのが実際です。

本を読んでも、かういふ読み方しか、このボンクラはできません。さうしてあるとき、かういふ自分の散漫な読み方を知つて、愕然としてしまふのです。落ち込みます。落ち込んでどうしやうもなくなり、もう本を読むのはやめた、俺はダメだ、と極論に走ります。

2-16-713

しかし、どうしてだかわかりませんが、時が経つと、また懲りもせず本を開いてゐるこのボンクラがゐるのです。なにごとも一見簡単そうですが、しかし、当事者になつて、実際やてみると簡単なものなんて、なにもないことがわかります。読むこともさうです。それがほんとうのことなのでせう。

いまのところ、いい意味での健忘症が幸ひして読書は続けてゐます。読書で、コペルニクス的に、なにかが激変するわけではありませんが、やはり変化をもたらしてくれますし、知る喜びも、まだ、幸ひに、萎縮もしなければ、硬直化もせず、干からびもせずに健在のやうです。

ときおり、自分の能力のなさが嫌になりますが、それはそれとして、これからも、おおらかに、気楽に、読書を楽しみたいと思ひます。読書で知らなかつたことが見えてくることもあります。

補:去来の句を詠むとブログ「かめとらの奄美生活」のこちらの写真を思ひ出します。よかつたらクリックしてみてください。まさにそのものだと思ひます。





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# わが家の庭の木に巣を作つた鳩のその後 dimanche 26 juin 2016
六月十日 卵を抱く親鳩
20160626

20160626

六月十五日 まだ卵を抱いてゐる様子
20160626

六月十七日 孵化した模様
20160626

20160626

六月二五日 雛の目が覗いてゐる
20160626

六月二六日 成長のスピードを感じさせる
20160626

20160626





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# 百日紅(さるすべり)をみながら mardi 24 aout 2015

田んぼの土手に咲いてゐるこの百日紅の枝ぶりが氣にいつてゐます。


20150824


久しぶりにこの土手を歩きましたが、来ない間に風景が変はつてゐるのに驚きました。かつてあつた農家がなくなつて、そこに夏草が茂つてゐました。


20150824


この農家の手前の櫻も氣にいつてゐました。農家がなくなつてわかります。農家と櫻の組合せがよかつたのだと思ひます。


20150824


もし生きてゐたら、来年の春にはそれを確かめたいと思つてゐます。


20150824


ところで氣にいりの百日紅、カメラをむけると肉眼よりも発見することがたくさんあります。


20150824


花の散り方にも氣がつきます。かうして固まつた状態で落ちるのだと、今更ながら氣づかされます。


20150824


落ちる場所によつても、まだまだ人の目を楽しませてくれます。人間もさうあれば、と思ひますが、どうなのでせうか。さうありたい願ひますが、これはなかなか難しいことだと思ひます。






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# この色に魅せられて vendredi 10 juillet 2015

七月四日昼過ぎ、移動してゐて、カーヴに差し掛かつたところで、この花の色が鮮明に目に止りました。


カーヴを過ぎ、他の車の往來もなく、道行く人もゐなかつたので、運轉してゐた車を道路脇に停め、通り過ぎた曲がり角まで、カメラをもつて、歩いて戻り、目に止つた色を冩眞に納めました。


20150710


後日、この冩眞を見ながら、その場に居合はせなかつた人が、これをみて、どのくらい印象深かつたのか、想像するだらうか、と愚にもつかないことを思つたりしました。


さういふことを思ふのは、自分の自信のなさの証かもしれない、と考へたりした日でした。





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# あなたが當時者だつたらこれらの質問にどう応へますか samedi 4 juillet 2015

ベストセラー作家百田尚樹の發言をめぐつてのジャーナリストたちの後日の質問を取りあげました。質問からなにがみえるでせうか。またこれらの質問が「あなた」にされたとしたら、「あなた」はなんと応へますか。


報道圧力:大西議員発言詳報「マスコミが第3の権力?」

毎日新聞 2015年06月30日


−−代議士の口から、広告料をなくしたほうがいいという規制をするための発言はなかったのですか。

−−与党の国会議員がそういった発言をすることによって、メディア規制につながってしまうという懸念はありませんか。

−−結果的に木原稔自民党青年局長が更迭され、大西氏を含む3人が厳重注意処分を受けた結果はどのように考えますか。

−−大西氏が勉強会で発言したことは、特段問題があったとは思わないということですか。

−−報道各社は、大西氏が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番だ。我々政治家には言えない、まして安倍首相は言えない、文化人、民間人が経団連に働きかけてほしい」と言ったと報道している。働きかけてほしいというのは、圧力をかけるように要請しているということではないですか。

−−批判されるのは自由だと思いますが、経団連を使って圧力をかけることに言及されてるということは、言論弾圧をされようとしているのではないですか。

−−趣旨としては、朝日新聞の報道を考えたときに、あの場でははらわたが煮えくり返ってしまって、思わずああいう言い方をしてしまったが、真意ではないということですか。それとも、ああいった事例を考えたときには、そうすべきだという考えをお持ちですか。

−−意見ではなくて質問だったということですか。

−−一部のマスコミを懲らしめるためには、いまでも場合によっては経団連などに働きかけをするのはありうると考えますか。

−−質問だとは思うが、ご自身そういうやり方もあると思ったのですか。

−−どうしてあの場であえて質問したのですか。

−−方法論を考えているんなら、言論の自由を規制しようという考えがあるということではないですか。

−−懲らしめる気がないのに、なぜ広告料を引き揚げるべきだという選択肢を思いつくのですか。

−−あるのですか。

−−大西氏の名誉にもかかわるので確認したい。まず、民主主義とか一般論ではなくて、大西氏は、特定の会社名を挙げたが、そういった報道をしている社に対して、経団連を使って広告収入を絶つという方法で懲らしめるというお考えが、前提としてあったのですか、なかったのですか。

−−党の処分に対しては、メディアが曲解して書いたことで野党が強く出ていて迷惑をかけるから身を引いたと。それは発言が問題があったとは思わないということですか。


20150704

   < なぜこれらのボードはブルーのままなのですか >


百田尚樹氏が「本気でつぶれたらいい」と語る沖縄の新聞を米軍はどう思っているのか?海兵隊将校に聞いた (2015年6月29日  質問者:堀潤


Q

地元の新聞メディアは反対の意見が大勢を占めていて偏っているという声も聞きますが、どう捉えていますか?

Q

海兵隊が沖縄に駐留する一番の理由は何でしょうか。

Q

ネパールへも行きましたよね。

Q

国内の世論は、軍事的な抑止力も大きいと思います。中国や北朝鮮への対応はどの程度の役割を想定していますか?

Q

沖縄の皆さんの選択と安倍政権との方針が対立しているということについてはどう考えていますか?

Q

日本側で県外、沖縄以外に移設するという条件が整えば、県外でも任務の遂行は可能なのでしょうか?

Q

日本側で県外、沖縄以外に移設するという条件が整えば、県外でも任務の遂行は可能なのでしょうか?

Q

辺野古の反対運動をしている方々からは、綺麗な海を埋め立てて欲しくないという声が聞こえてきます。辺野古でなくてはならない理由というのは何なのでしょうか?

Q

実際に沖縄県外に移した場合、陸海空と一体運用できる範囲は本土のどの辺りまでになるのでしょうか?

Q

沖縄にアメリカ軍の基地が集中していて、本土の方でも受け入れに関する議論がされていけばよいなと思っています。米軍の基地が沖縄に集中している利点は何か?逆にリスクはどんな点にあるのか教えて下さい。

Q

総合的な計画を定めていけば、様々な選択肢を日本側で用意するのは不可能ではないということですね。

Q

日本国内では安全保障の法律を議論しているところですが、フィリピンやベトナムでは中国軍の活動が活発になっていますね。海兵隊は中国の動向をどう見ていますか?

Q

基地の中に沢山の沖縄の人たちが働いていたり、フリーマーケットを開いたりして地元との交流を続けてきましたね?どういう目的でそうした交流を続けてきたのでしょうか?

Q

何が目的ですか?

Q

戦後70年が経過してかつての敵国同士が友好関係を築いた稀有な存在。日本はアメリカによって守られてきたと思うが、ご自身は日本に対してどのような使命感で任務に当たっていますか?

Q

アメリカ軍は日本を守るためにいるわけではない、日本を守ってくれないという意見を言う人もいますが実際にはどうなのでしょうか?

Q

「おもいやり予算」によって米軍の施設が維持されています。これからも必要でしょうか?

Q

基地の問題をめぐっては沖縄県内からは反発の声もあがっていますがどう対応していきますか?

Q

地元の新聞メディアは反対の意見が大勢を占めていて偏っているという声も聞きますがどう捉えていますか?

Q

日本はリスクを開示することを恐れてリスクの開示を控える傾向が強いと思っています。原発の情報などもパニックを恐れて抑制されました。リスク開示についてはどのような考えをお持ちでしょうか?

Q

基地があることで攻撃の対象になるとか、先日ハワイで墜落事故を起こしたオスプレイの情報など、日本側は説明を十分にしているとは言えないという批判があります。海兵隊が考える、沖縄に駐留することのリスクとはどのようなものを想定していますか?

Q

基地があることにより攻撃対象になりやすいということについてはどう考えていますか?

Q

海兵隊としては日本で沖縄と政府の対立が起きていることについてどのような解決策を望むのか双方へのリクエストを教えてください。

Q

辺野古は唯一の解決策だという政府の考え方については同意しますか?







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# ゴミ屋敷 vendredi 12 juin 2015

ゴミ屋敷と一口でいひますが、ゴミ屋敷にも二通りあるやうで、ゴミを捨てられなくてさうなる場合と他人が捨てたゴミを回収してきてさうなる場合とです。


ゴミが捨てられなくてゴミ屋敷になつた家の人とその家に咲いた桃花の美しさで話をする機会がありました。話をきくと、ゴミと思はれるもののひとつひとつに、思ひ出があるのです。捨てられない理由が推測できました。さいなると、この家人の命が尽きるまで、この状態がつづくでせう。


それとは別のゴミ屋敷、こちらは、ゴミを出す日に、指定のゴミ収集車が來る前に、町内のゴミ捨て場を巡回して、ゴミを選別しては持ち帰るた、それが溜まるに溜まつてゴミ屋敷になる、といふものです。


わが町でも、さういふゴミ漁りをする車が、危険物のゴミの日に、やつてきます。ゴミは一斉に捨てられるわけではないので、何回か巡回してきます。巡回してくると、その度に車を停め、車から降りては、ゴミを調べます。調べて意に適ふものがあると、自分の車に積み込み、持ち帰ります。


あるとき、その車の持主の家が判明しました。その近所では、ゴミ屋敷になつてゐるその家に、困るがなんの手立ても講じられない状態に置かれてゐる、といふ話をききました。


20150612


この家は、新築で売出された二軒の家の一軒、最初は駐車場に荷物があり、片づかないのかなと思つたのが、いつのまにか、家の周囲を隙間なく、はたまた高く積み上げられるやうになりました。さうなると、否が応でも目につくものです。


それに単純に想像するに、二軒のうちの一軒を購入した隣家の思ひ、當然ローン支拂中でせう、その隣家の胸の内を察するとことばもありません。


駅から五分のこのゴミ屋敷の裏には、売り出し中の土地もあります。しかし、そこには「好評売出し中」の幟が数ヶ月もたつたままで、買手がつかなひやうです。それは當然でせう。買ふ人がいたら「どうして?」「なぜ?」ときいたみたいのは人情です。


聞くところによると、ゴミを撤去するやうに、といふと大きな聲を出して、食つて掛かつてくるさうです。公的機関も強制力がなく、忠告で終はりださうです。


どうしやうもなく、泣いてゐるのは近隣ばかり、直接交渉してもダメ、公的機関に訴へてもダメ、ローンも支拂中、これではドブにカネを捨てるもおなじといふ氣持にもなるでせう。


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# どうする?當て嵌めて考へてみたら lundi 8 juin 2015

ぐうわ

寓話といへばイソップ。その他にはといへば『ラ・フォンテーヌの寓話』。その『ラ・フォンテーヌの寓話』の第一話に「蝉と蟻」があります。


銅板画家でも挿絵画家でもあるギュスターヴ・ドレ( 1832 - 1888 )がその場面を描いたものがあります。


寓話といふと、子供向けで、なにかふんわりした包み込むやうなものを聯想しがちですが、それは勝手な思ひこみで、實際は結構厳しい結末が待つてゐたりします。


『ラ・フォンテーヌの寓話』の「蝉と蟻」の結末もその例に洩れず、非情です。生き延びるために食べ物を分けてくださいと頼みにきた蝉にむかつて、蟻が「夏の間歌つてゐたのですか、結構なことですこと、では今度は踊れば」といつて話は終はります。


20150608


憎き敵

日曜日一週間ぶりに畑に出かけました。ジャガイモ、なす、キュウリなどの作物は、雨が降つたおかげで、順調に育つてゐます。しかし、それを上回るやうに、雑草も成長し、作物をおびやかしてゐます。


みると、芽を出してゐた空芯菜がどこにもありません。また、大きくなつて、収穫時期を迎へたなすが、枝にぶら下がつたまま、半分ほどつつかれてゐました。なすのつついた傷口をみると、十中八九、カラスです。


畑仲間が、カラスのつついたものは捨てないとダメだといひます。理由はカラスはなにを喰つてゐるかわからない、どんな病原菌をもつてゐるかわからない、だからだといふのです。せつかく食べごろになつたなすには未練がありますが、さういはれると納得せざるを得ません。だから仕方なく捨てました。


20150608


対策を立てねば

これはこれで終りましたが、さてこれから實をつける畑の作物をどうするかです。雑草どころの問題ではありません。対策を講じず、なにもしなければカラスの好きなやうに荒らされるだけで、こちらの口には、なにも入らなくなつてしまひます。


畑仲間の話によると、土曜日、カラスが近くの畑に仕掛けてあつた獣捕獲用の罠にかかつて逃げられなくなり、それに氣づいた他のカラスが一羽二羽とやつてきて、電線にとまり、電線をまつ黒に埋め尽くした、といふのです。ほんとは、普段から、それだけのカラスがゐるのです。だから対策が必至になります。


かつて中國では雀を退治するために、全土にわたつて四六時中バケツなどを叩いて音を出し、雀を、飛び続けさせ、とまつて休めないやうにして、雀といふ雀をすべて殺したさうです。日本では、とてもさういふ真似はできませんし、所詮無理なことです。


では、どうするか。あくまでも個人で対処するしかできません。個人でできることといへば、せいぜいネットを張り、被害にあはないやうに予防するだけです。そのために、ネット等を購入し、ネットを張巡らし、作物を保護するしか方法がありません。


20150608


寓話同様現實世界も

さて、寓話の世界に入ります。あちらの國の韻を踏む音楽的な文章を書くなど、とても及びませんが、せめて寓話的な視點にたつて、日本を取り巻く環境なかで起きてゐることを考へると、カラスを演じてゐる國があるのがわかります。


日本はどうするのでせう。なにもしなければ国際関係上では「是」として認めたことになります。日本獨特の曖昧性は国際関係では通用しません。だから否応なく対処せざるを得ません。さてどうするのでせう。舵取りを間違へたら、前にもまして困難に見舞はれるでせう。


劣化した日本の教育

主義主張に寄りかかるのでは考へることにはなりません。だれもが、自分の問題として、自分の頭で考へる必要があります。ひよつとしたら、これまで受けてきた教育では、考へる訓練はなく、従つて考へることができないのがわれわれではないだらうか。


このブログの七日の谷山雄二朗の話を聞いてゐて、谷山雄二朗があれだけ冷静に物怖じせず、かといつて力みもせず、自然体で話せるのは、教育の訓練がもたらしたもの、もちろん谷山雄二朗個人の勉強があるが、それは教育の基盤があるからできることです。日本の教育程度はそこまで到達してゐるとは、とてもいへない、それが日本の教育現状です。






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# 好きな言葉「やしきもり」 lundi 1er juin 2015

都市化した町を離れ、郊外に行くと家を取巻く緑をみかけます。日本国語大辞典第二版では、「やしきもり」は「屋敷守」となり、屋敷を取巻く木といふ意味では、「屋敷林」が用ゐられてゐます。


20150601


しかし、個人的には「やしきもり」は「屋敷森」であつてもいいのではないかと思ひつづけてゐます。「守」と「森」が同音のうへ、森で家を守るといふ意味で、さらに森「もり」のほうが林「りん」よりも音的に落ちつくのではないかとひとり思つてゐます。


しかし、とかく考へても屋敷そものもがすでに死語になつてゐて、どうでもいいことなのかもしれません。







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# 入梅を告げるマタタビ vendredi 29 mai 2015

夕方、葉が白くなつたマタタビの冩眞を撮つてゐたら、自分の家の周囲を掃除してゐた年配の男性が、マタタビの葉が白くなるといふことは、入梅の印なのだと教へてくれました。


20150529


また、マタタビの白くなつた葉が元の緑色に戻るころ、梅雨が開けるのだ、とも話してくれました。


ネットで調べてみても真僞のほどはわかりませんが、それでもなぜか、この話、信用してもいいかな、と思つてしまひます。







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