蛮茶菴

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# 岡田英弘著作集、これまでにない著作集 mercredi 6 février 2019
著作集といはれるもの
自分の書棚に著作集があるくらいの人なら、著作集といふものがどんなものであるか知つてゐる。どの著作集もさうだが、これまで単行本として発表してきたものを集め、さらにその周辺的な雑記を加えて、お茶を濁したものが相場である。

気に入りに書き手がゐて、その人の作品が出版されるたびに、購入して読んできた読者にとつて、著作集が出版されると聞くと、さういふ編集だと知りつつ、それでもやはり気になつて、購入してしまふ。

しかし、この著作集なるもの、所詮は目先を変へ、商売を優先して、売らんがために編集したものだから、集めてきたものは大したものでもない。

読者は安心のために書架に並べるけど、再読するときは、やはり自分の読んだ跡が残る単行本を取り出して読むのが普通だらう。

稀有な著作集
しかし、こと岡田英弘の著作集はそれらのものとは異なる。完全に相違すると断言できる。

20190206

岡田英弘を知つたのは昨年の暮れのことである。最初、図書館で著作集犬鮗擇蠅篤匹鵑如△海凌佑僚颪い燭發里蝋愼して、手元に置いて、読むべき本だと判断した。さて、最初に購読した本は『歴史とはなにか』である。

その他にもおなじ著者の単行本数冊ーー『世界史の誕生』『日本史の誕生』『倭国』『倭国の時代』『中国文明の歴史』などーーも購入した。後日知つたことだが、これらはロングセラーで、絶版を心配して、慌てて購入する必要などなかつたのだと。

『歴史とはなにか』を読んでから、宣伝用の黒地の帯の背に白抜き文字で「歴史とは何か」と書かれた著作集気鯑匹鵑澄さうして脱帽した。理由は、多くの著作集のやうに、単行本になつた『歴史とはなにか』を再録してゐないことである。

単行本も著作集も共に生きる
もちろん購入するときに著作集の「はじめ」を一読して購入したのだけど、「はじめ」で断つてゐる通りの編集著作になつてゐる。これだと単行本も著作集もともに生きてくる。読み手としては、読み違ひも生じることなく、単行本の行間と行間を知ることができ、理解が深まる。申し分ないものである。

偶然はじめた最初の読み方が、手応へがありよかつたので、この読み方を踏襲して、『世界史の誕生』を読んでから著作集兇鯑匹鵑澄いまは『日本史の誕生』を読んでから著作集靴鯑匹鵑任陲襦もうすぐ著作集靴眛瀕擦垢襦

つぎは著作集犬帽圓たいところだが、その前に、急ぐことなく『倭国』『倭国の時代』を読む計画である。









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# 『面従腹背』予約待ち五十六人 samedi 12 janvier 2019
単純に、手に入れ難い食べたい肉が簡単に手に入るので、この生協に加入して、配達してもらつてゐる。月に一度、届けられる註文書の束が厚くなる時がある。さまざまな案内が届けられる。そのなかに、読書案内もある。

二〇一九年、一月のオススメ本に『面従腹背』があつた。いまや、安倍憎しの人たちに大モテの人物である。さういへば、この生協の主催で、この元官僚の講演会もあつたと記憶する。それはそれとして、この本のオススメ理由に目を移すと、見出しはかうなつてゐる。

  あったことを
  なかったことにはできない・・・・・

なかなか意味深だと思ひながら、オススメ理由に進んだ。

・・・誰もが日常的に「面従腹背」する場面に遭遇している。学校で、地域で、会社で、「私」は「私たち」として振舞わねばならない時がある。そしてその「振舞い」こそ個人の真価が問われるのだ。なぜなら「私」と「私たち」は完全に一致することはありえない。著者は・・・強大な官僚組織の中で、一人の個人として最善を尽くす努力を貫いてきた。・・・

一見りつぱなことが書かれてゐるかのやうにも読めるが、突つ込みどころ満載の美辞麗句を並べただけの付替、取外し自由な「プラスチック・ワード」そのものの文章にも見えてくる。

20190112

この元官僚は、天下り斡旋を積極的に推進してゐて、それが政府に知れて、退職前に解雇されたといふ。一般企業ではあり得ないが、解雇されたにもかかはらず、相当な額の退職金は、減額されることもなく支給されたさうである。二〇一七年二月七日の予算委員会で江田憲司が天下り問題でこの元同僚の元官僚を追及してゐる。この事実を「私」と「私たち」の理窟にあてはめてみると、つぎのやうになる。

元官僚の「私」と元官僚の同僚たちの「私たち」とは、天下りの件では完全に一致してゐて、省内公認で天下りを推進してゐる。面従腹背を信条とするアウトローな「私」もその一員であつた。それどころか「私」と「私たち」は一心胴体だつた。あはよくば、「私」も、天下り斡旋問題が、元同僚の江田賢治に暴露されなければ、リーダーとして美味しい汁が吸へたはずだつた。さうなれなかつたのが、唯一後悔の種である。

ところで、「私たち」とは違ふ「個人として最善を尽くす努力を貫いてきた」「私」の姿はどうであつたかといふと、これも報道された通り、常習的に、昼日中、勤務時間中に、公用車を使用して新宿歌舞伎町に赴き、「貧困調査」を実施してゐたのである。ここにこそ、「面従腹背」なアウトローの「私」の「真価」が、餘すところなく発揮されてゐるはずである。

さて、元官僚のこの本の中身は、と思つて、市の図書館を覗いてみた。なんと予約待ちが五十六人もゐた。更にこの本を蔵書する市の図書館は二十五館中九館もあつた。TVのワイドショーを見る覗き見趣味なのか。

これを終はるにあたり、最後に、もう一度、この本をおススメする見出し文を読んでもらひたい。

  あったことを
  なかったことにはできない・・・・・

もつともである。言葉とは恐ろしいものである。









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# 「ウォー・ギルト・プログラム」と云ふ本について lundi 5 novembre 2018

JUGEMテーマ:学問・学校


法政大学出版局から『ウォー・ギルト・プログラム』といふ本が出たので、なにか新しい発見があるのかと思ひながら読んでみたが、どこにもそれらしきものがなく、期待外れにおはつてしまつた。

著者は女性である。どういふ理由か知らないが、日本の出版物は、女性だと、なぜか生年月日を明示しない。しかし時として、誕生日を明示する必要がある場合もある。特に時代を活写しようとするならば、ことさら重要になつてくる。

時代を知るのは、文字だけでは、十分でない。肌の感覚を通して、時代を知る必要にせまられる場合もある。アナール学派の書物がが注目されたのは、さういふ部分があつたからだらう。

この本の副題は「GHQ情報教育の実像」である。GHQがプログラムした教育の普及のために「眞相箱」といふラジオ番組が用意され、それがラジオで、それもゴールデンタイムに放送されたことが取り上げられてゐる。

「実像」に迫りたいならば、当然その時代を再現する必要がある。追体験し、時代を味はふ。さういふことをして、やうやく、時代の幾分かを知ることができる。ある面では社会学者としての態度も必要になつてくる。

現在の椅子に座つて、どれほど丁寧に過去の資料に目を通してみても、なにも生まれてこない。さういふことから、研究書には著者の年齢が必要になつてくる。

20181105

ところで娯楽のない時代、人々はラジオにどのやうに接してゐたか、それを知ることで、影響力も推し量れるといふものである。今日のやうに、静寂を探すのが困難な時代と、静寂が普段にそこにあり、静寂が強烈に聞こえた時代では、ラジオ番組のもつ意味が根本的に異なる。

いまTVは人がゐなくても、居間で、かつてに流れてゐる。帰宅して、TVをみるわけでもないが、まづTVをつけて、空間を音で満たしておく。さうしないと不安で落ち着かないのが現在の人たちである。
一方電気が貴重で、その代金が高価だつた時代は、意味もなくラジオをつけておくこと自体、考へられなかつた。

ラジオ番組がはじまる時間になると、ラジオの前に正座し、ラジオに電源を入れ、ラジオから聞こえてくる声を、固唾を飲んで、全身全霊で聞いた時代があつたのである。TV初期の時代、チャンネル権が家長にあつたやうに、ラジオをつけるのも、だれもがつけられるわけではなく、つけてもよい人が決まつてゐた。

ましてや番組の内容を疑ふ人など、存在しなかつた。放送されるものは、すべて真実だつた時代だつたのである。

翻つて、この本では、さういふことが完全に欠落してゐる。これでは「実像」など浮かび上がる隙間は、どこにもない。読むに値しないし、もちろん研究書にもならない本である。





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# 本日閉店しました。池袋 LIBRO 書店 mardi 21 juillet 2015

ネットで情報を仕入れたパートナーの提案で、野口勲が販売する野菜の種を購入しようと昨日ジュンク堂本店まで出かけました。いまなにかと遺伝子組換へが問題になつてゐますが、野口勳の本に目を通すと、遺伝子組換へよりも以前に、種には、F1といふ別の問題がある様子がうかがへます。


池袋本店のジュンク堂にゆくには、西武デパートを横切つてゆきます。リブロのまえを通過するのですが、ジュンク堂ができてからは、リブロが接する通路は通過するだけになつた観があり、リブロには立ち寄ることはなくなりました。かつて西口にあつた芳林堂も同様の道を辿つた観があります。


20150721


昨日も同様でした。ジュンク堂で用を済まし、ヒヤカシで入つた西武の無印良品の店、そこで古書展があるのを知り、そちらに足を運びました。本漁りをしてゐて、たまたま耳にした館内放送で LIBRO の閉店を知りました。


けふがその LIBRO の閉店日です。紙の本の終焉かと、かつてな思ひ込みを描いて、昼食に寄つた LIBRO 前の軽食店の店員に、 ここにつぎはなにが入るのか、と訊いたら、すでに情報があるらしく、三省堂が、といふ返事でした。


20150721


といふことは、なにも大げさに「紙の本の終焉」を迎へるわけではなかつたようで、かつてな思ひ込みに、内心赤面しました。リブロの店の入口を覗きましたが、新刊本の派手な装飾に、尻込みしさうになり、その時点で、すでに、異次元に迷ひ込んだ感じを受けました。


本も商品ですから賣れなければなりません。しかし、さうだからといつて人目を引くことを至上にすると、と考へます。


20150721


自分の読みたい本はなかなか電子本になりません。大抵は紙の本として出版され、版を重ねる訳でもなく、それで終はりといふものが多いやうです。


一概に版を重ねない、賣れないから駄本といふわけではありません。賣れない、讀まれなくても、いい本はあります。また本の嗜好はあくまでも個人によつて左右されます。だから多くの人に讀まれる本がいいとは限りません。


20150721


しかし、電車の車中で、携帯電話を覗きこんでゐる人たちを見ても、どう考へても讀書をしてゐる氣配はありません。眼の動きや、指の動きからして、ソフトで遊んでゐるのだらうと思へます。電子本を讀んでゐる人は皆無と断言してもまんざら嘘にはならないでせう。讀書人の以前にもます減少が書店閉店の要因になつてゐるのだと考へられないでせうか。


しかし、それにしても、日々出版される新刊書の多いこと、驚いてしまひます。どの本の帯の殺し文句も、手を替へ品を替へて、讀め!讀め!といふ命令の連呼です。その一方で閉店といふ避けられない現實があるのも事實です。







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# 筆舌に尽くしがたいアリステア・マクラウドの作品 lundi 6 juillet 2015

書評なんて

新潮社のクレスト・ブックスは、表紙カヴァーの裏面に書評を掲載する形をとつてゐます。普段はこの書評は無視することにしてゐます。


なぜさうするのかといへば、作品を讀まずして書評を讀むでしまつたら、既讀者の観點から、作品をなぞることになるのでは、といふ危惧をもつからです。


せつかく本を讀むのだから、拙くても自分の視點を活かして讀みたい、と普段から心掛けてゐます。さう心掛けても、獨自な讀み方はなかなかできません。


アリステア・マクラウドの作品を讀むでゐて、数回目の讀書のとき、クレスト・ブックスに掲載されてゐる書評を讀むでみる氣になり、覗いてみました。


20150706


優れた書評は

そこで、さすがと思つたのがマイケル・オンダ−チェの書評ーーマクラウドは、われわれの時代におけるきわめて偉大な知られざる作家の一人である。……彼の物語は、フォークナーやチェーホフの作品のように、地方的かつ普遍的だ。そして、同時に永遠のものであると私は思うーーです。


たしかにマクラウドは「偉大な知られざる作家の一人」であり、マクラウドの作品は「地方的かつ普遍的」でもあり、「同時に永遠のものである」と自分にも思はれます。


マクラウドの作品を讀むでゐて、恥ずかしくなる時があります。もし仮に、自分がこの手の作品を書いたとしたら、結末は安価でありきたりな道徳訓で終つてしまふだらう、と思ふのです。なぜさうなるかといへば、それほど自分が凡庸で、無能で、詰まらない人間だからです。


20150706

   < マクラウドの作品をイメージすると >


マクラウドの作品は

マクラウドの作品は、「地方的かつ普遍的」、「同時に永遠のもの」で終ります。けふ讀むだ『秋に In the Fall』にも、これらの要素が確實に存在します。もう用なしになる老馬をめぐつての短篇に過ぎないのですが、登場人物のひとり一人が確實に描かれ、十全に生きてゐるのです。


父親、母親、語り手、語り手の弟、老馬、馬買ひの男、これらひとり一人が、だれかの補助に描かれるのではなく、ひとり一人が、マチスのいふ百パ−セントの存在感をもつて、描かれるのです。


語り手だけでなく、登場人物のだれもが、各人の転換を餘儀なくされる物語をもつてゐるのです。描写がそれらを餘すところなく語ります。


マクラウドの作品を讀むと、思想といふものは、安易な屁理窟にしか過ぎないのではないか、といふ思ひに捕はれてしまひます。それほどマクラウドは生きることを慈しんでゐるやうです。彼の本を讀むでゐて、さう感じます。







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# 本を讀むと samedi 6 juin 2015

触れると

本を讀むと、どこかに氣づかされる文章があり、それを發見し、考へる契機になります。考へる契機になるのは、はじめて教へられる事柄とは限りません。久しく忘れてゐたことを思ひ出させ、さうして、もう一度、改めて、氣づかせ、意識させる場合もあります。


先日アリステア・マクラウドの短篇集『灰色の輝ける贈り物』のなかの「広大な闇」を讀むでゐて、つぎのやうな文章に出会ひました。この出会ひは、まさに、久しく忘れかけてゐたことです。なにも、個人的で、特別なことではありません。だれにでもいへる事柄です。しかし、だれもが忘れてゐることです。つぎに引用するのがその文章です。


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   < けふ目にしたもの 朝の白い満月 >


俺は今、物事をあまりにも単純化して考えることの危険性に気づいて茫然としている。この燃えるように暑かった長い一日だけでなく、まだ短い一生を通してずっとその罪を犯してきたと気づいたのだ。そして今になってはじめてぼんやりと理解しはじめたのは、自分が二重の意味で単純化のとりこになっていたということだ。俺は「出ていく」とは物理的なことに過ぎないと思っていた。それは単に、場所を移ること、馬鹿みたいにぺらぺらと口をついて出た「ヴァンクーヴァー」といった場所の名前、あるいは、海を渡ったり州境を越えたりすることだと思っていた。そして、おまえは「自由だ」と父に言われたとき、愚かにもほんとうにそうだと思いこんだ。なんのためらいもなく。そして今、まわりにいた年配者たちは、自分が思っていたより複雑なのかもしれないという気がしている。


20150606

   < けふ目にしたもの 日差しを宿した花 >


落し穴

単純化することの危険性、つまり細部を切捨てて、簡単にまとめた結果、わかつたつもりになつてゐる、われら。


日本では『幸福論』で知られるフランスの哲学者アラン、このアランは要約やダイジェストすることに警告を發します。要約は、単純化とおなじで、わかりやすさのために、細部を切捨てます。


わざわざアランを引きだす必要などありません。われらの一生だつて、単純化すれば、つまり、要約すれば、生まれて、生きて、死ぬだけとなります。単純化したり要約することは共通因数で括つたのとおなじ見方です。


20150606

   < けふ目にしたもの メダカの子供 >


だれもがみな特別

でも細部をみると、だれもが特別な生き方をしてゐます。その特別を知れば知るほど、単純化はできなくなります。でも現實は、忙しい、暇がない、所詮みなおなじ、などといつて、ひと言で済ませてしまふのがわれわれです。


それを少しでも回避する努力を拂ふ。そのために本を讀む。それが一番効果がありさうです。だから本を讀みませう。本は何倍にも自分を豊かに育ててくれさうです。だから本を讀みませう。自分を豊かにするために本を讀みませう。人は何歳になつても豊かな氣持がもてる生き物です。だから本を讀みませう。




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# 本を讀みませう vendredi 5 juin 2015

まずは讀みませう

本を讀みませう。電子本でも、紙の本でも、媒体は問ひません。ただ本を讀みませう。まるでボドレエルの散文詩『酔ひ給へ』の冒頭のやうな出だしではじまります。


最初からいい本に出会ふはずはありません。いい本とは自分にとつてのいい本です。さういふ本に出会ふために本を讀みませう。


まず手当り次第に本を讀みませう。自由に話せるからといつて、自由に本が讀めるとは限りません。


まずはたくさん

須賀敦子( 1929 - 1998 )に『塩一トンの讀書』といふ著書がありますが、まさに題名通りの量の讀書をとおして、本を讀めるやうになつたり、いい本に出会へるやうになつたりします。


20150605


本を讀みはじめると、自分の母語でも、話す言葉と讀む言葉の間に、隔たりがあるのがわかつてきます。話す言葉とおなじやうに抵抗なく讀める本もありますが、その反対に讀むのに難しい本もあります。


惑はされない

簡単に讀めるからつまらない本とは限りません。またその逆で、難しくて讀めないから高尚な本だとも限りません。


簡単な言葉で難しいことを表現することもできれば、難しい言葉で簡単な事を表現することもできます。どちらの表現によつても、過不足なく的確に表現されてゐなければ話になりません。


まずは感じられる本を

さらに大切なことは、本を讀むで感じられるものがあるかどうかだと思ひます。なにかを感じられる場合もあれば、なにも感じられない場合もあります。


もし感じられるものがあれば、それを大切にして、それを更に具体的にしてゆく讀書をつづければいいのです。


20150605


おなじ著者の本を

さういふことが念頭にあれば、つぎに讀む本は自然に決まつてきます。感じられた本の著者の別の本を讀むことです。かういふ讀み方を實践すると、自己流讀書を矯正する役割も果たしてくれます。


おなじ書き手の本を数冊讀むでゆくと、自分の理解の程度が、どのくらいのものか、自ずから、わかつてきます。少なくとも、この讀み方は、逸脱した理解を防ぐ役割を果たしてくれます。つまり抑止的讀書となつてくれます。






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# 渡辺惣樹の仕事 dimanche 24 mai 2015

以下は渡辺惣樹の著述に関する仕事の結果です。


一本の線が、あらかじめ決められて存在したかのやうな仕事ぶりです。年々、これまで多くの人が知りえなかつた核心部を明示するかのやうな渡辺惣樹の仕事ぶりです。この充實ぶりからすると、今年はもう一二冊上梓しても不思議ではありません。つぎはどういふ内容のものなのだらう、と期待が膨らみだします。


二〇一五年 五月十四日   コールダー・ウォー(翻譯)

二〇一五年 三月十九日   ルーズベルトの死の秘密(翻譯)


二〇一四年 十二月六日   朝鮮開国と日清戦争 

二〇一四年 九月十一日   ルーズベルトの開戦責任(翻譯)


二〇一三年 十一月二一日  アメリカはいかにして日本を追い詰めたか

             (翻譯)

二〇一三年 六月二九日   日米衝突の萌芽 1898−1918


二〇一二年 七月三一日   日米開戦の人種的側面アメリカの反省1944

             (翻譯) 

二〇一二年 二月十一日   TPP 知財戦争の始まり


二〇一一年 十月二二日   日米衝突の根源 1858−1908


二〇一〇年 九月二三日   日本1852(翻譯)


二〇〇九年 十一月二五日  日本開国(翻譯)   (すべて草思社刊)


20150524

   < 紡ぎだす道具 >  


これらの本を讀むと、日本人の知らない意図を隠しもつたアメリカの姿が見えて來ます。政治の世界だから仕方がないのでせうが、それにしても、アメリカ礼讃一點張りのわれら日本人の幼稚さにも驚愕してしまひます。


こちらも人間なら、先方も人間、ともに下世話なところも併せもつてゐます。その下世話を知り尽くしての称讃であり、讃美であり、礼讃であるなら結構なのですが、さうではなく、贔屓の引き倒し、アバタもエクボの盲目状態では、とても正常(まとも)とはいへません。


われら日本人がマトモでないのは、これまでの意図的な演出を盲信させられてきた結果です。その状態を脱けだす唯一の方法は、正しく知ること、渡辺惣樹の仕事はさういふことを知り得る確信の持てる手がかりになります。







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# 『書斎のポ・ト・フ』に導かれて mardi 20 janvier 2015

オススメ

『書斎のポ・ト・フ』でお薦めだといふので、篠沢秀夫の『フランス文学講義』を讀みました。讀むと、篠沢秀夫いはく、フランス人を識るにはアレキサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』を讀まなくてはとあります。


それではと『ダルタニャン物語』を讀むことにしました。翻譯で十一巻あるので最初は躊躇しましたが讀みはじめるとこれが無類におもしろいのです。文庫で『三銃士』とでてゐますが、あれは、あそこまでの話を一区切りとしてゐるのではないかと思つたりしてゐます。後日本屋に行つたおりに確認しようと思つてゐます。


世の中にはいろいろな愉しみがありますが、讀む愉しみはこれまた格別ではないかと考へます。本を讀むでたのしくなる。この愉しみはとても言葉で表現できるものではありませむ。


20150120


ヒーローの相違

ところで日本のこの類の本には、あり得ないやうなスーパー・ヒーロが登場するのが常ですが、『ダルタニャン物語』に出て來るヒーローは四人四様で人間として限界をもつたのがいいです。現実的なカネの話が頻出するものいいです。かういふ場面をとおしてあちらの子供はカネのことを學ぶのではないでせうか。日本とは大違いです。


ひよつとすると人物像の作り方がそれぞれの國の人の考へ方にも影響するのではないでせうか。たとへば日本人はなにごともひとりで完璧にやらうとする傾向があるのではないでせうか。それに比べ完璧主義はフランス人はさほどでは、と考へたりします。


20150120


前文を讀むだら

奸計渦巻く物語を讀みながら、これだけものごとの表裏をしるのだから、もしフランス人に日本國憲法の前文を讀ませればどのやうな返答が返つてくるだらうかといふ氣持になります。ひよつとすると辛辣な返事が返つてくるのではないでせうか。


日本國憲法の前文には、現実的にはあり得ない文言があります。それでも書かれた文言を眞實として眞正面から受け止めてゐる日本人を、かれらフランス人はどうみるのでせうか。さういふ面ではわれら日本人は幼稚で餘りにも稚拙だといはれても仕方ありませむ。


あり得ないヒーロー観は、理想は善、現実は悪、さういふものの見方をするやうに日本人を育て上げたのかもしれませむ。だから日本人はいつまでたつてもビジネスライクが身につかないのではないでせうか。





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# 中韓がわかる本『朝鮮開国と日清戦争』 vendredi 16 janvier 2015

日本の近代を理解するために

昨年暮れに渡辺惣樹の本が二冊でました。一冊は翻譯で『ルーズベルトの開戦責任』、もう一冊は著作『朝鮮開国と日清戦争』、ともに草思社から上梓されてゐます。


20150116


どちらの本も日本近代をしるための必讀の書だと思ひます。本來なら國の責任で、日本の近代を教へなければならないのですが、いまだにアメリカのトラウマから抜け出せずにゐて、もつとも重要な日本の近代を直視できない状態が續いてゐるやうです。


20150116


さういふ状況下でありながら、それでも従來とは違ふ観点から、渡辺惣樹は日本の近代に照明をあて、そこから日本の近代の姿を浮かびあがらせようと努めてゐます。


疑問消失ーー誇りある半世紀

渡辺惣樹の今回の著作『朝鮮開国と日清戦争』は、『日米衝突の根源』で疑問だつた箇所をすべて明らかにしてくれてゐます。まず本を開いて最初に感じた疑問ーー幕末から明治維新、そして日露戦争の勝利。この間およそ五十年。私たち日本人に勇気と自信を与える誇りある半世紀です。この時代があるからこそ、私たちはいまでも民族の誇りを維持できていると言っても過言ではないでしょう。この疑問が『朝鮮開国と日清戦争』を讀むと跡形もなく消失します。


疑問消失ーー南北戦争

アメリカの南北戦争も『日米衝突の根源』では素描でしたが、『朝鮮開国と日清戦争』で詳細に描かれてゐます。この箇所を讀みながら、体裁よく要約されると如何に本質が喪はれるかを身を以て知りました。また同時にしたたかでなければならないことも知りました。


20150116

   < 文字を資料などに置換へると >


疑問消失ーー自由貿易、慰安婦問題

自由貿易も『日米衝突の根源』では素描で終つてゐましたが、『朝鮮開国と日清戦争』になると微に入り細を穿つ如く詳細に説明されてゐます。さうでありながら、朝鮮のことも、もちろん詳しく書いてあります。この本を讀むと韓國がいま問題にしてゐる慰安婦問題も自然に理解できてきます。なぜなのか、その姿が自然に浮かびあがつてきます。






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