蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 「報道しない自由」といふ詭弁 lundi 17 juillet 2017
「報道しない自由」とは
仮にここにA、B、Cの事件があつたとする。報道する側は、選択自由があつて A、B、Cのどの事件を報道してもよい。

しかし、一度おおやけに報道されたものは、公平に、偏りなく、十全に報道されるべきである。当たり前のことである。これが報道倫理である。

だが現実は「報道しない自由」を報道する側が矮小化して、解釈して、報道側に不都合な事実を報道しないといふ実際が存在する。これが日本のメディアでまかり通つてゐる事実である。この異様性は日本のメディアの現実である。これは放送法に照らしても禁を犯してゐる。

「報道しない自由」とは、報道する側にとつて不都合な事実を無視して報道してもよいといふことではない。この当たり前の事実を、報道に関はる人すべてが理解してゐないやうだ。だからあり得ないことが、現実に起きてゐる。その現実をだれも指摘できない愚かな現実が日本にある。隣の国とおなじである!


低脳な政治家や専門家たち
この国のインテリと称される専門家たちや政治家の知能程度の低さといつたら目を覆つてあまりある。

専門家の言つてゐることも芸人の言つてゐることも、似たり寄つたりで大差ない。肩書きばかりが立派だが、中身は空つぽ、虚ろな音がするばかり。


   < 百聞一見に如かず。不都合な動画は即座に削除される >

核心から程遠く
憲法問題も森友学園問題も加計学園問題も時間と税金の無駄遣いばかりが奨励されて、本質は一切論じられない。当然責任論なんてものはどこにも登場しない。

政治家と専門家とメディアの連中は、グルになつて、問題の核心をずらし、忌避するから、時間と税金ばかりが浪費されて、いつまでたつても問題の核心に触れられない。

政治家たちも専門家たちもメディアの連中も、人間を廃業して、すでに魂を換金してしまつてゐる。それほど腐つてゐると断言しても間違ひない。

鉄槌を喰らへ
最近驚いたのは「報道しない自由」といふ詭弁である。偏向報道を釈明するために、報道側にも報道の自由があると恥ずかしげもなく言ふ。

もし日本外国特派員協会で日本のメディアが考へる「報道しない自由」の見解を示したら、世界各国の記者は驚き、つぎは呆れ返つて腹を抱へて嗤ふだらう。ぜひ実現して、嗤ひ者になり、ぜひぜひ非難の集中砲火を浴びてもらひたい。


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# リテラシー能力0点のBPO その三 samedi 8 juillet 2017
神は細部に宿る。それに誂へむけの YouTube の動画があつたのでこれを貼りつけておく。神が宿るといはれる細部がいかに問題にされなければならないかがよく分かる質疑応答だ。

これは、一橋大学の大学祭実行委員会から講演依頼がありながら、反対運動によつて予定した大学祭の講演が中止になつた講演予定者の作家百田尚樹が、中止に至つた経緯を日本外国特派員協会で語つた動画である。




もう一つの方はこの説明会に集まつた人からの質疑に応答したものである。皮肉にも、最初の質問者は反対署名に集まつた一万人を問題にした。1:18 くらいのところから

また、この質問に対する応答は 3:09 くらいから


これでこの問題は終了したのではなく、19:00 あたりから質問にたつた一橋大学卒業の記者が、予期しない事実ーー現在一橋大学の学生数は、各学年千名くらい、二学年で二千名くらい、(一橋の)学生はほぼゼロだと思ひますーーと述べた。

署名の「数字」だけを問題にした一万人だが、その実体は、教員を除き他は全て学外の人。さらにその実体をみていくとイデオロギーに染まつた人たちといふのがうかがへる。

数字はいかやうにも操作できる。それを肝に銘じて置く必要がある。考へもせず、ただ情報を受取つてゐると、意味のない誤つた情報を発信してしまふ結果にもつながる。




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# リテラシー能力0点のBPO その二 vendredi 7 juillet 2017
神が宿るところ
東京と沖縄の会見場に掲げられた横断幕に、すでに、虚僞が溢れてゐる。「沖縄ヘイト・デマ」と決めつける「沖縄」がそれである。

たまさか届いたワイン便りを読んでゐたら「地理的産地表示の愚かさについて」といふ小見出しが目に止まつた。

かう書いてある。「北海道中の33あるワイン会社が皆で「北海道産」を名乗ろう。輸入原料の会社も、遠くからぶどうを仕入れている会社も「オール北海道」でいきましょう。」

この理窟はよいところ取りをして、らくして儲けたい人たちの考へさうなことだ。

20170707
   < 日々の営みがあつて、はじめて >

「とても詳しくワインの世界や実情を知っている私としましては、この運動に大反対です。ワインの世界だけは歴史的に近代化の波にも、グローバル経済の理論にも負けず、少量生産の独自性を貫いてきました。真に良いワイン作りを目指すのなら、決して広域地域名を横並びで使用すべきではありません。」

もの作りだけでなく「考へる。表現する」ことにおいてもおなじことがいへる。

たかが単語一つのことーー「沖縄」といふ気づかれにくい印象操作ーーと思ふかもしれないが、それが人に及ぼす影響を考慮すると、看過することはできない。

もしこれが正確に「TOKYO MXによる沖縄米軍基地移設反対活動家たちへのヘイト・デマ放送に関する記者会見」と名打たれてゐたら、だれも注目しないだらう。それでは困る。だから、注目を集めるために、「沖縄ヘイト」とすり替へたのだ。





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# リテラシー能力0点のBPO その一 lundi 3 juillet 2017
本來の情報の姿
情報リテラシーが言はれて久しいし。ネット社会になり、玉石混交、雑多・多様な情報が溢れ、錯綜し、無限に拡散する現在、四六時中、絶えず、だれかれ区別なく、有無を言はせず、情報が襲ひかかつてくる。情報化社会の実態である。

しかしあふれてゐる情報がすべて重要であるはずがない。無価値な情報が、意図的に操作され、意味ありげに情報空間を支配してゐる場合もある。さういふ情報に絡め取られ、意味のない無駄な時間を過ごさないためにも、情報は選別する必要がある。

カネか?ヒトか?
だが日本ではなぜか情報を選別する教育も実施されもせず、その指針も示されないままである。かつてそれを教育課程に組込む話があつたさうだが、ある業界筋からの申入れで、ダメになつたといふ話を聞いたことがある。理由は売れなくなるから。

営業不振な新聞業界が、消費税値上げの報道をし、その一方で生き延び手段として、文科省へ、新聞を読む授業導入の提案をし、新聞の売込みをしてゐる。これからも類推できるやうに、情報リテラシーの授業の話は信憑性の高い話である。

20170703
   < 身勝手そのもの >

日本とはさういふ国でもある。日本の民主主義が劣化するにもかかはらず、目の前の経済的利益が優先され、肝心のものが打ち捨てられる。もし多くの日本人が情報選別能力を身につければ、情報の精度も、民主主義の精度も格段によくなる。われら日本人はさういふ能力を有してゐる。さうでありながら、それがなされないのも日本である。

だから検証されることのない、一面的な主張だけの中身のない情報が、まかりとおる。そのことを端的に示してゐるのが「TOKYO MXによる沖縄ヘイト・デマ放送に関する記者会見」の動画である。




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# 「軽微」「微罪」なら許される? dimanche 18 juin 2017
雑誌『婦人之友』五月号の東京新聞・中日新聞論説委員の佐藤直子の「あなたが見えない」といふ記事のことを前回(六月十二日)のこのブログで書いた。

不正確なものは
前回は触れなかつたが、この記事には多数の問題表現がある。まづ目につく欠点は隷従した安易な言葉の使ひ方である。安易なのだから、とうぜん結果として正確性に欠けることになる。正確性に欠けるのだから、必然的に信頼できるものとはならない。

もし疑問を持つ人に公開の質疑の場を設け、それを実施し、記録し、のちに文字起こしして記録文書として、再度この雑誌で発表すれば、この記事には中身がないといふのが、歴然と示されるだらう。

20170618
   < 小さくとも生あるものは >

二重の裏切
なによりも人の顔に泥を塗るやうな、場違ひなネルソン・マンデラを引き合ひに出すこと自体が失礼である。さういふ中身のない記事がこの雑誌に掲載されてゐる。

しかしこの記事を読んで信じてしまふ定期購読者がゐるのだから、また如何ともしがたい罪作りである。定期購読者といふのは出資者、身銭を切つて雑誌を購入し、ひいては婦人之友社の存続を支へ続けてゐる人たちである。

さうであるにもかかはらず、その人たちの信頼を裏切り、あげく真実を届けやうとしない、二重の裏切行為をしてゐるのである。

20170618
   < その生を生きやうとする >

法律なんて
いま保釈中の山城博治が、なぜかスイスのジュネーブの国連人権理事会で話をした。その発言の全文が六月十六日の東京新聞紙上に掲載された。そのなかに「私は抗議活動の最中、微罪で逮捕され、その後、二回さかのぼって逮捕されました」といふ箇所がある。

冒頭の自己紹介「平和的な抗議運動を行っている山城博治」にも「厚顔で恥知らずな」と思ひながらも苦笑してしまふが、それよりも気になるのは、佐藤直子と山城博治に共通して見える法律の軽視である。

「軽微なものばかり」「微罪」。これらのふたつの主観的な言葉は、法に基づく逮捕に対する不当性の主張をうかがはせる。それだけでなく社会の根幹をなす法の軽視、無視をもうかがはせる。さういふことが、この言葉で、言はれてゐるのである。

これがどこからも問題にされない。また非難の声も上がらない。それが、いまの日本の閉塞した現状そのものをあらはしてゐる。

20170618
   < ひたすらなものに目を奪はれる >

信じることは素晴らしいのか
情報を信じてゐるだけでは、待つてゐるだけでは、真実は見えてこない。信仰を強制されることはある意味隷従を強いられるのとおなじである。自由でありたいと稀求するのなら、せめて、真実を知るための努力ーー疑問を持つことや問ひかけることをする必要がある。


以下が山城博治の国連人権理事会の話の内容である。それに対する反対意見を述べたのが沖縄の一私人、我那覇真子である。これも動画のアドレスと同時にそこに翻訳された字幕をも掲載しておく。

繰り返しになるが【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】も添付しておく。


 私は沖縄における米軍基地による人権侵害に対し、平和的な抗議運動を行っている山城博治です。
 日米両政府は沖縄の人々の強い反対にもかかわらず、新たな軍事基地を沖縄に建設しようとしています。
 市民は沖縄の軍事化に反対して毎日抗議活動を行っています。日本政府はその市民を弾圧し、暴力的に排除するために大規模な警察力を沖縄に派遣しました。
 私は抗議活動の最中、微罪で逮捕され、その後、二回さかのぼって逮捕されました。勾留は五カ月間にも及びました。
 面談は弁護士以外との接見を一切禁じられ、家族とも会うことを許されませんでした。私は自供と抗議運動からの離脱を迫られました。
 これらは当局による明らかな人権侵害です。
 しかし私も、沖縄県民もこのような弾圧に屈しません。私は、日本政府が人権侵害をやめ、(ここで規定時間が過ぎたので終はりになる)
新しい軍事基地建設に反対する沖縄の人々の民意を尊重することを求めます。


わたしは日本の沖縄県から来た我那覇真子です。

わたしは沖縄の現状を報告するとともに、暴力的な反米基地活動家山城博治が十五日に国連のこの場を悪用しやうとしてゐることをみなさまに報告したいと思ひます。

沖縄では地元住民の人権と表現の自由が外部からやつて来た基地反対活動家や共産主義者、さらに偏向したメディアによつて脅かされてゐます。

これらの人たちは自分たちの人権と表現の自由を盾に、考へが異なる人たちの人権と自由を抑圧してゐます。

そのなかの一人山城博治は地元の経済活動に対する威力業務妨害、公務執行妨害、基地不法侵入、傷害などの複数の犯罪で逮捕され、現在保釈中の身です。その彼こそが人権と表現の自由を脅かしてゐる張本人です。

彼は日本政府が人権と表現の自由を脅かしてゐるといふでせう。しかしそれは真実ではありません。それどころか刑事被告人である彼が日本政府に渡航を許され、この場で話すことを許されてゐることじたい、日本では人権と表現の自由が尊重されてゐることの証です。

わたしは国連の正義と公平性を信頼し、みなさまが沖縄の真実を理解し、必要であれば山城博治や活動家たち、偏向したメディアを非難するなど、正しい対処がなされることを信じてゐます。

被害者を代弁し感謝申し上げます。







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# 「あなたが見えない」 lundi 12 juin 2017
婦人之友 五月号
最近のこのブログに目を通してくれた友人から、「婦人之友」五月号に『あなたが見えない』という記事が掲載されてゐることを教へられた。副題は「沖縄・抵抗の現場から 山城博治さんの釈放に思う」である。

届いたメイルの文面から察すると、この雑誌を定期購読してゐて、たまたま掲載されてゐた「あなたが見えない」の記事を読んだやうである。そのあと、これも偶然で、このブログを読み、貼りつけてあつた動画ーー【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】ーーを見たさうだ。

20170612
   < これもひとつの意思表示 >

もうひとつの現実
さうしてその落差に衝撃を受けた、さうだ。

あの手荒に人の頭を扱い押さえつけ、罵声としか思えない言葉を浴びせ続ける態度と執拗さを見てゾッとした。

映像の内容が悲惨だつたり、言葉が辛辣だつたりすると、それが焼きついて、いつまでもそのイメージが残り、しんどくなる、といふのだ。

たしかに映像を見ると衝撃をうける。さらに我慢して、自分のこととして見ると、たしかに自分の息子ぐらいの年齢差の若者の頭を力づくで押さへつけてゐる。

かりに筆者の佐藤直子に子供があり、息子が業務でかういふ場所に行かねばならず、業務中にかういふ仕打ちをうけたとしたら、仕方のないこととして、この事実がないこととして無視できるのか。

多くの人たちは、親からはもちろんのこと、他のだれからも、頭を力づくで押さへつけられるやうな屈辱的な行爲を受けたことは、絶無といつて、ないだらう。

また背後から、頭髪を鷲掴みにし、伏せた顔を無理やり持ち上げておいて、後日公開展示して晒すために、容赦なく顔写真を撮る。もちろん氏名、住所、年齢、職業をも調べ上げて晒すのである。

20170612
   < 無断で人の土地に侵入すれば >

屈辱と恐怖
いかに仕事とは言へ、公然と辱められるこの屈辱感は想像を絶するものがある。これは、心のキズとなつて、生涯消えないのではないか。

最も卑劣なのは、抵抗できないことを承知して、加害に及んでゐることである。それは映像から見て取れる。もし抵抗し反撃しやうものなら、それは逆に格好の攻撃材料になる。

さてこの記事を読んでみた。最初に念頭に浮かんだのは、無名の一個人ならこの記事は掲載されるのか、といふ疑念だつた。逆にいふと東京新聞・中日新聞の論説委員の肩書きをもつ人間が書いたものだから掲載されたのではないか、と思つた。

真実とは
朝日新聞の「私の視点」のタイトルを連想させるこの「視角」、そこに掲載された記事を読むとなんともいへないやり切れなさを感じてしまふ。前回引用したW.リップマンの「真実」はどこにもないのである。

ここでもう一度W.リップマンの真実の働きーー隠されてゐる諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるやうな現実の姿を描き出すことーーを確認しておく。

あるのは朝日新聞の社説とおなじ「裁き」だ。単純に左を根拠にした、左でないからダメだ、といふ裁きがあるだけだ。

この手のものはプラスチック・ワードといふ正体不明で便利で意味のない言葉を多用する。タイトル「視角」の下に配置されたただ三行の要約を見ただけでも「県民世論」「新基地建設」「沖縄」「市民」と便利な言葉が散らばつて、簡便に使はれてゐる。裏を返せばなにも考へてゐない証である。

20170612
   < この手の意味するものは >

光をあてる
これらの言葉の実態はなにか。言葉の裏に隠されてゐる事実を白日の下に晒していけば、記事とは正反対の事実が描き出されかねない。

その一つの例として、この記事にも写真が掲示されてゐるが、運動方針とし掲げられた「座り込みガイドライン」によると「私たちは非暴力です。コトバの暴力も含め誰もキズつけたくありません」となつてゐる。しかし動画を見ると全く逆のことが行はれてゐる。

この記事でネルソン・マンデラにたとへられる山城博治が、動画で、かう捨て台詞を吐いてゐる。

「つぎ来たら、タダじやすまないぞ。お前さあ、さういふ目つきしたらタダじやおかんよ、小僧!いいかお前、つぎ来たら簡単じやすまんぞ!うちのテントに連れ込むからな!」。

では座り込みガイドラインの言葉ーー「私たちは非暴力です。 コトバの暴力も含め誰もキズつけたくありません」ーーは一体なんなのか。意味のない言葉を並べただけの文でしかない。

20170612
   < 口癖 私たちの税金で >

矜持はどこに
W.リップマンの言葉を首肯するのなら、ジャーナリストは隠された事実に光をあて、真実を人びとに知らせるのではなかつたか。肩書きからすると佐藤直子はジャーナリストだ。そのジャーナリストが、ジャーナリストの矜持をもちあはせてゐない。

この記事はつぎのやうに語つてゐる。「器物損壊、傷害・公務執行妨害、威力業務妨害の4つで起訴されているが、その中身は軽微なものばかり」「那覇地裁前では連日、釈放を求めるデモが行われた。世論の力が保釈へと動かしたのだろう。しかし、山城さんの現場復帰を阻むためか、条件に事件関係者との接触禁止という制限がつけられた」

言質をとらへるやうで触れたくないが、なにをもつて「中身は軽微」と判断するのか。つぎにデモが保釈に結びついたやうに書かれてゐるが、文章が台無しになるからなのか、支払はれた保釈金七百万円のことはどこにも書かれてゐない。

20170612
   < 世論は操作されるもの? >

罪もカネ次第
ところで一般的に保釈金の相場は百二十万円から三百万円といはれてゐる。それが相場の二倍を超える金額を支払つてゐる。その解釈の仕方は二通り考へられる。重罪犯罪か高額所得者か。

山城博治の肩書きは沖縄平和運動センター議長で、これで生計を立ててゐるやうである。プロの政治活動家なのだらう。この職業で七百万円の保釈金が出せるといふことは、人が羨む収入を得てゐるのだらう。

もうひとつは重罪犯罪だといふ考へ方である。さうなると「中身は軽微」とは言へなくなる。単に保釈されたのではなく、保釈金を支払つて保釈されたのだ。このとき、もう一人の逮捕者は保釈金が払へず勾留が続いた。

また保釈中は事件関係者との接触禁止処置はとうぜんなされることであつて、それをわざわざ「現場復帰を阻むためか」と書くのは印象操作だ。

迷惑な関連づけ
多くの人はこの記事の題名になつてゐる『あなたが見えない』といふ歌のことは知らないだらう。この歌は南アフリカの人たちがいつかマンデラ氏を取り戻すのだといふ願ひを込めて獄中にゐたネルソン・マンデラ元大統領の事を歌つた歌ださうだ。

友人はメイルのおはりに、(山城博治に)さういふ「印象」をつけたかつたのか、と書いてあつた。





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# 覚醒せよ、といふ聲ありて jeudi 8 juin 2017
裏を知ると
朝日新聞の社説を十回に亘り取り上げて考へてみた。そこから判つたことは、かういふことをあれこれ考へ、文字にしてみてもなにも変はらない。ただ無駄な時間を費やし、いたずらに時を過ごしてゐるだけだといふ無力感や徒労感が残るだけだ。

思ひ知らされるのは、日本の既存メディアの能力は信じられないほど低いといふことである。なによりも致命的なことは、日本のメディアはメディア本来の務めを果たしてゐない。自らそのことに気づいてゐないことにある。

さうでありながら、日本の既存メディアは独裁者のごとく振舞ひ、人びとに号令を発する。見当はずれのとんでもない号令は社説などといふものに顕著に現れる。これに拍車をかけるのは、無批判に報道を信じる人びとの存在である。

20170608
   < こちらは驟雨 >

務めの放棄
ニュ−スと真実とは同一物ではなく、明確に区別されなければならない。ニュースの働きは一つの事件の存在を合図することである。真実の働きはそこに隠されてゐる諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるやうな現実の姿を描き出すことである。

上記文章は、もう百年も昔のことにならうとするものだが、アメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマンが著はした「世論」(岩波文庫)からの借用である。

百年前のリップマンはニュースと真実を、さらにそれらの「働き」を峻別してゐる。この峻別はいまも堅守されなければならない。しかし日本の現実はさうはなつてゐない。ニュースの事実が真実を蔑ろにしてしまつてゐる。

ニュースの特性は、出来事の存在を広く告知する。努力の必要がないからか、日本のメディアは、このことは守つてゐる。しかし、真実の働きーー隠されてゐる諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人びとがそれを拠りどころとして行動できるやうな現実の姿を描き出すーーといふと、これはどこにもない。自己都合で無視し、それだけで終はつてゐる。

20170608
   < あちらは青空 >

害でしかない末路
リップマンが言つた「真実」がない。だからメディアのニュースは人びとに届かない。常に一面的に駄つしてしまつてゐる。社説を見てもわかるやうに、この一面的な情報に基づいて考察するのだから、どれだけ考へても結果は、継ぎ接ぎだらけの惨めなものになる。当然である。

だから「【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】」のやうな隠されてゐる諸事実が明らかにされると、もみ消しや無視に躍起になるのだ。

その結果が朝日新聞や東京新聞の一連の記事である。白日に晒された隠された諸事実、その染みを消せるかのごとき言論の滑稽さがそこかしこで散見できる。一度落ちると、どこまでも落ちることができる。それがよくわかる。




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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その十 jeudi 1er juin 2017
朝日新聞の社説といふものに付き合つてきたが、これでやつと最後の段落まできた。読み流すのではなく、かうして読んでみると書いたものの程度が見えてくる。しかしそれだけでなく、見過ごしきたいくつかのことを考へる契機にもなつた。そのことはまた別の機会に書く。

さて最終段落といふと結論といふことになる。その結論はかうである。

 放送は健全な民主主義を発展させるためにあり、番組は明らかにその逆をゆく。対立をあおり、人々の間に分断をもたらすことに放送を使う行いは、厳しく批判されなければならない。

結論とは正解?
結論とは、証明された正解のやうに思ひがちだが、さうではなく、あくまでも一個人のひとつの見方、見解でしかない。われら日本人は、年齢に関係なく、何事においても、常に、正解があると思ひ込んでゐるところがある。またさう思はされてゐる。

教育課程を振り返つてみても、われら日本人はみんな同じでなければいけないと教へられてきてゐる。だから示された答といふものに異議を唱へると、その異議を解消し、みんなとおなじになるやうに、さらに詳細に諭しはじめる。

他の民族のあり方はさまざまだらうが、こと日本人にとつては、「和」は特別な意味をもつやうに思へる。

便利な言葉
ところで言ふに事欠いて、「健全な民主主義」といふ。かういふものが存在するなら見せてもらひたい。これは詭弁にしかすぎない。納得させるためには、どういふものが健全な民主主義なのか、説明が必要だ。かういふのを意味なく、手軽に、どこにでも挿入できるプラスチック・ワードといふのだ。

20170601
   < まさに沛然と降る >

もう一つの事実
問題になつてゐるTV「番組は明らかにその逆をゆく」と断定する。しかしこれだつて一つの見方でしかない。もちろんさうでないといふ反対の意見、見方もある。

では問題になつてゐるTV番組を人々にみせ、番組が民主主義に寄与するかどうか調査をすればよい。その結果に基づいて、実証的に、この結論が導き出されるのなら納得がいく。しかしここでのこの結論は裏付けのない勝手な思ひ込みでしかない。

「対立をあおり、人々の間に分断をもたらす」といふ。しかしこれも実際にその現象は確認されてゐないだらう。あくまでもこれも一個人の一見解にしか過ぎない。

さらに「厳しく批判されなければならない」と言葉が続く。かうなるとヒステリーを起こしてゐると見なされても仕方ない。もう少し冷静になつて、問題のTV番組を見て、分析してもらひたい。少なくとも公的な紙面に発表するのだから、熟考に、熟考を重ね、検証に検証を重ねても、過ぎるといふことはない。

20170601
   < リセット:道路に及ばず大気中の塵芥も >

空洞と化した民主主義
民主主義とは多数決、さう誤解して、付和雷同し、一つ方向へ、偏りなだれ込むものではない。われら一人ひとりが自律的に考へるのが理想である。考へるための基本的な情報を提供をするのがジャーナリズムの務めだ。

さてジャーナリズムの根本となるその務めは果たされてゐるのか。それを見直す必要がある。さうでないと民主主義は空念佛に終わつてしまふ。間違つても、ジャーナリストやジャーナリズムが人々の先頭に立つて、人々を導くものではない。

だが日本の現実はさうではない。イエロージャーナリズムそのもののマス・メディア・独占企業の思惑のままである。





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# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その九 mardi 30 mai 2017
 気になるのは、反基地運動に取り組む沖縄への、根拠のない誹謗(ひぼう)中傷が、この数年、高まっていることだ。舞台はネットから街頭に広がり、今回はテレビで公然と語られた。

禁忌を犯す
まずこの文章を読んで注意しなければならないことがある。単語一つの問題のやうに思ふが、これが論点を曖昧にし、問題をすり替へ、狂はせてしまふ。
問題はこの部分「気になるのは、反基地運動に取り組む沖縄への」である。

「沖縄への」とここで言葉をすり替へてゐる。この社説といふものの文頭に立ち返ると、そこには「特定の人々への」となつてゐた。それがここでは「沖縄への」になつてゐる。すり替へられた単語を元に戻す。さうしてもう一度読み直してもらひたい。

➡︎ 気になるのは、反基地運動に取り組む特定の人々への、根拠のない誹謗(ひぼう)中傷が、この数年、高まっていることだ。舞台はネットから街頭に広がり、今回はテレビで公然と語られた。

「特定の人々」が「沖縄」に変はつたことで、どのやうな印象変化が起きてゐるか、考へてもらいたい。

20170530
  < メディアが取り上げない住民運動 >

ネーミングの魔力
だれがネーミングしたかわからないが「オール沖縄」といふ名称がある。実態がなにを指してゐるのか不確かだが、そこから受ける印象は沖縄全部といふ意味が伝はつてくる。ネーミングとしては成功してゐる。

もう一方「チーム沖縄」といふのがある。ここから聯想されるものは全体ではない印象を受ける。オール沖縄と比較するとネーミングとしては失敗である。

『戦う民意』(角川書店)といふ沖縄県知事が著した本がある。「民意」が沖縄県民の総意であるかのやうな印象を受ける題名の本だ。そこからもわかるやうに、ここでもネーミングに成功してゐる。

戦ふ民意の調査をしたら、数人だといふこともあり得る。でも言葉はひとり歩きする。本を手に取る人は民意の詳細に関心を拂はない人もゐるだらう。戦ふに意識を取られ、そちらだけを読み、沖縄を理解したつもりになる人もゐるだらう。ネーミングが効果を及ぼしてゐる。

20170530
   < 生活が消えてなくなるかも知れない不安 >

情報操作・印象操作
これらを見てもわかるやうに、単語ひとつ操作するだけで受け取る印象が圧倒的に変はる。さういふ操作がこの単語に施されてゐるのである。文章を書く人間としては、これはしてはならないことである、と同時に許してはならないことである。

ましてや、この社説といふものを書いた人間が、ジャーナリストの端くれであるのなら、なおさらである。情報操作に手を染めてゐるのである。良識や良心といふ言葉を使ふ以前の問題で、事実を伝へることを使命とするジャーナリストなら常識以前の、恥ずべき行爲である。

この単語の入れ替へは情報操作、印象操作であり、許せない悪質な犯罪行爲である。大メディアといふ朝日新聞の社説といふものが、信じられない、かういふ巧妙で悪質な犯罪行爲をおこなつてゐるのである。責任はだれがとるのか?いつもと変はらない知らぬ顔の半兵衞を決め込むのか。

また「根拠のない誹謗(ひぼう)中傷」と決めつけてゐるが、なにをもつてさう断定するのか、こちらも尋ねたい。

YouTube に下記のやうに長い題名がついた動画がある。この動画は規制がないやうで、常時参照できる。時間を割いて、ぜひ見てもらひたい。知られたくない平和運動の実態がここにある。


20170530
   < メディアが取り上げる場所とさうでない場所 >

【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】

マス・メディアにとつて、「その八」で指摘したやうに、かういふ平和運動家の実態が知られるのが、報道に際して差し障りがあるのだらう。またこの動画に出てくる大阪弁で捲し立てる男性のやうな人のことをプロ市民といふのだらう。(下記にその男性の言葉を一部文字起こしした)

「写真撮つたれ、写真撮つたれ!」
「写真撮つたれ、写真撮つたれ!」
「破廉恥な連中や、恥知れ、あほう。」
「お前ら自分でなにしよるのか、わかつてるのか!」


蛇足だが、活動してゐる平和運動家たちはヴィデオを向けられると「個人情報」「肖像権」をもちだし、レンズに手を伸ばしてくる。さういふ映像が YouTube には数多くある。




| comments(0) | trackbacks(0) | 14:47 | category: ひと言 |
# 責任を問はれるのは巨大メディアの朝日新聞社だ その八 lundi 29 mai 2017
 放送法は、報道は事実をまげないですることや、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。MXテレビは、番組の意図や放送までの経緯、社内のチェック体制などを早急に検証し、社会に広く説明すべきだ。

20170529
   < 視点を変へる 全体を意識して >

縛られた報道
ここで問題になつてゐるTV番組「ニュース女子」のなにが問題になるのかわからない。この番組では、マス・メディアがこれまで報じてゐない、人々が知ることのできなかつた事実を放送しただけではないか。

事実は複雑で多面的である。単純に思へる事実であつても、単純な事実などといふものは在り得ない。報道とは事実の編集結果である。編集過程において不要とみなされた事実は割愛される。しかしその判断はメディアによつて異なる。その相違がそれぞれのメディアの報道特色となつてゐる。

「ニュース女子」の報道は、これまでマス・メディアが報道してこなかつた不要とみなして割愛してきた事実を報道したことにある。ある意味ます・メディアには運動に対するイメージがあつて、そのイメージにそぐはないもの、そのイメージを汚すものは割愛する、といふ暗黙の了解があり、その基準に基づいて報道がなされてきたと考へられる。

自己規制がなされ、狂信の結果、贔屓の引き倒し現象が起きる。これはなんら不思議なことではない。さうしてこの状態が常態化すれば、当然逆転現象ーー非日常が日常になる現象が起きる。

さうみなすと異常現象が異常現象でなくなるのが理解できる。

空理空論
放送法をもちだすマス・メディアのこの社説といふものを読んでも空念佛を聞かされるだけで、白けるだけだ。

「報道は事実をまげないこと」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。空念佛そのもの。実際は主張を振りかざすだけで、自らもなにも実践してゐないのが歴然と見て取れる。

この社説といふものを書いた人間は、MXテレビに「番組の意図」「放送までの経緯」「社内のチェック体制」などを社会に説明すべきだとしてゐる。

しかし二〇一四年九月十一日の朝日新聞の謝罪会見をもちだすまでもなく、それをなによりも実行なければならないのは、朝日新聞とその傘下の報道機関そのものである。

20170529
   < 視点を変へる 部分を意識して >

「小林よしのりVS辛淑玉 誠意ある謝罪、従軍慰安婦で議論」
一 https://www.youtube.com/watch?v=J7sN7dM9YYg
二 https://www.youtube.com/watch?v=qWIlOeIV8w8
三 https://www.youtube.com/watch?v=sm4Od9f8Rbk

国家間問題を個人の感情問題にすり替へて、永久に交はらない不毛なテレビ討論を放映したテレビ朝日にも同様のことが要求されて然るべきである。

吉田調書問題も吉田清治の従軍慰安婦問題も同様である。

朝日新聞は謝罪したと主張するだらう。しかし多くの人は、あの謝罪会見にも、その後なされた第三者機関の説明にも納得できないで釈然としないままでゐるだらう。少なくともここに一向に納得がいつてゐない人間がゐる。



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