蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 報道する自由 報道しない自由 vendredi 18 août 2017


盆の最中に、豪華列車「四季島」の人身事故がニュースになつた。ニュースの力点はどこの置かれてゐたかといへば、単に「初の」といふ点である。「WHY」とか「HOW」ではない。本来「WHY」と「HOW」が特殊だとニュースになるが、この事故にはそれはない、だがニュースになつた。報道する側の選択、つまり「報道する自由」でニュースになる。「報道しない自由」で報道しなくても一向に問題ならない出来事である。

これも同じ時期にテレビ朝日が報道したニュース。見出しは「東京・福生で、10代の少女にわいせつな行為をしたとしてアメリカ軍横田基地で働く男が逮捕されました」。わざわざ「アメリカ軍横田基地」と断るのだから、事件を起こしたのはとうぜん基地に勤務するアメリカ軍人かと思ふとさうではない。

20170818
   < 注意を奪はれるのではなく注視する人となる >

容疑者名は日本人名である。なぜ勤務先を「アメリカ軍横田基地」とするのか。勤務先が異なれば見出しには登場しないだらう。つまりは不要な文言である。ところでなぜ「アメリカ軍横田基地」とあへていふのか、印象操作を滑り込ませるためである。しかしこれも「報道する自由」らしく臆面なく報道してゐる。果てしなくゲスな報道である。






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# 膨大な税金を閉会中審議の茶番劇に vendredi 4 août 2017
カメラの前で、百万円の札束を、寄付主に返しに来たのだと、言つて見せ、その映像が流れた。すると、ネット上では、両端の一万円札以外は白紙の紙束だと失笑がおきた。

自民党・葉梨康弘

   < 核心を突く理想な質疑 >

公明党・竹谷とし子


七月一日、土曜日、十七時、秋葉原で、今度は本物の札束を見せ、「百万円渡したら渡したつて言へ」と絶叫しながら、おなじみの絵面がTVで流れた。

本質と乖離した失笑にも値しないこの茶番劇、それをカメラに収めてニュースの一コマとしてTVで放映する。ニュースが問題のなにを明らかにしたのか。なにも。

膨大な税金を費やしたこの茶番劇、だれが、いつ、どのやうな形で有権者に説明し責任をとるのか。

参考ために野党の質疑ふたつ。上記動画と比較してどちらが週刊誌報道か考へてもらひたい。
共産党・小池晃


民進党・福山哲郎


この質疑の落差はなにを意味するのか。本来なら、閉会中審議を開設させた野党が本質を解明し、事実を有権者に明らかにする責務がある。







| comments(2) | trackbacks(0) | 18:20 | category: ひと言 |
# なぜ根本問題を論じない? lundi 31 juillet 2017
棚上げされる本質
木を見て森を見ずのことば通り、爲政者個人の細部の問題に時間をかけるのをいい加減に切り上げて、半世紀に亘つて獣医学部が認可されてこなかつた森の問題を論じ、その原因を具体的かつ詳細に解明するのがことの本質である。


 < 対象問題を半世紀の門前拂ひ問題に絞れば? >

俗にいふ岩盤規制で利益をまもられる既得権益者は、どこまでも既得権益を堅持、保持しやうと画策する。わが身安泰、保全のために、新規参入者を拒む構図が生まれる。日本に限つたことではないだらうが、どの分野でも、至る所にこの構図を見ることができる。

今回の問題に限定していへば、その硬直した構図を堅持するために、国民の見えないところで、特定の団体(日本獣医師会)に手を貸し続けてゐたのが文部科学省。なぜ手を貸すのか?依頼されて設けた規制を壊さないことで、手を貸す文部科学省のなかに利益を享受できる人間が存在するからである。旨い汁が吸へる人間が存在するからである。


 < 前川喜平 天下り関与時の国会での答弁 >

原因を明らかに
根本原因を究明し、明らかにしない限り、新薬の発見も覚束ない。原因究明を問はずに、表層の問題に時間をかけ、表層の問題を追求して、仮にその問題を解決したとしても、原因の根本問題は残つたままである。

ありふれた見方だが、表層だけに力を傾注して、そちらに注意を向けさせて、本質問題からは人の目をそらせる手法。かういふ愚にもつかない審議に一日二億円といはれる税金が費やされる。


  < 練りに練つた石破四条件 >

知らぬ間に
どこまでも果てしなく落ちて行く。学問研究分野が劣化すれば、とうぜん日本の国の力も、文化力も劣化してゆく。その劣化に力を貸して余りあるのが国会議員と国会審議。悲惨で、皮肉で、悲しい最高傑作の愚行カリカチュア(風刺画)。

いや、かういふ最高傑作のカリカチュア(風刺画)を作れるのだから、まだまだこの国は劣化しない、といふ声も聞こえる。だが、盛衰の理の通り、日本は、確実に、発展途上国となつてゐる。いま繰拡げられてゐることは、その途上の最中なのだ。




| comments(0) | trackbacks(0) | 11:02 | category: ひと言 |
# 「知る権利」を犯す「報道しない自由」を裁判所に訴へやう dimanche 30 juillet 2017
誤解した自由
「報道しない自由」とは、どの出来事をニュースとするかしないかの取捨選択をいふのであつて、報道側に不都合な事実を報道しない自由ではない。

しかし現実は、ニュースになつても報道側の主張にそはない事実、つまり報道側の意にそはない事実は、報道されない。本来報道に、ジャーナリズムの規範と倫理の外に、報道側の主張があることじたいが矛盾してゐるのである。

20170730
 < 平和もいいが、まず基本的人権を! >

人を欺くための「報道しない自由」
「報道しない自由」は、日本国憲法に保障された日本国国民の基本的人権の侵害であり、「知る権利」の奪略である。正しく知ることができなければ、正しく考へることもできない。さうでなければ判断が間違つてしまふ。

それを許さないのであれば民主主義の根幹の基本的人権、「知る権利」の蹂躙、破壊である。

だからこそ「報道しない自由」を盾にして偏向報道を地上波で流し、人々を愚弄してゐるマスメディアを裁判所に訴へやう!








| comments(0) | trackbacks(0) | 21:15 | category: ひと言 |
# 十八歳有権者が「報道しない自由」を論じたら samedi 29 juillet 2017
詭弁
報道する側が権利として「報道しない自由」を主張することで、報道されない事実がある。もし「報道されない事実」が報道されたら、これまで報道されてきた報道と整合性が取れなくなる。さういふ「報道されない事実」があつたと知つても、考へが硬直化した人には、新情報、つまり「報道されない事実」を取入れて更新することは、面倒くさく、嫌さが先に立つて、できないだらう。

期待できるのは
二〇一五年に公職選挙法が改正され、十八歳の人たちが有権者に加はつたいま、これらの若い人に、「報道しない自由」とは?と、論じてもらふとどうなるだらうか。報道側が主張する「報道しない自由」とは異なる多様な根本的な意見が出てくるだらう、現実する以前から期待してしまふ。考へが硬直化した世代には期待がもてないのだから、せめて頭の柔らかい若い世代に期待したい。

報道されない閉会中審議の加戸元愛媛県知事の答弁


ヘソが茶を沸かす
メディアはもつともらしく権力の監視者だといふが、多くの人から見れば、その言葉がそのままマスメディアに当て嵌る。「報道しない自由」を隠れ蓑に、人を欺いてゐるのはマスメディアだ。なぜ加戸元愛媛県知事のこの発言を報道しないのだ?機関紙ならまだしも、不特定多数の国民を対象にしてゐて報道しないのは「知る権利」の侵害、剥奪である。

さういへば、秘密保護法の審議の時点ではマスメディアは「知る権利」を盾に抵抗した。それがいま、マスメディアは「報道しない自由」を盾にとつて、だれもがもつ基本的人権のひとつ「知る権利」の権利を剥奪する加害者になつてゐる。これをどう説明するのか。

常識は非常識
報道がいふ「報道しない自由」とは、一般常識の文脈では通用しない理窟である。これが自分が生きる国の進路を決めてしまふかと考へると暗澹としたやりきれない気持になつてしまふ。

もうひとつの参考動画
文科省の規制そのものが歪んでゐた












| comments(0) | trackbacks(0) | 20:20 | category: ひと言 |
# 「報道しない自由」といふ詭弁 lundi 17 juillet 2017
「報道しない自由」とは
仮にここにA、B、Cの事件があつたとする。報道する側は、選択自由があつて A、B、Cのどの事件を報道してもよい。

しかし、一度おおやけに報道されたものは、公平に、偏りなく、十全に報道されるべきである。当たり前のことである。これが報道倫理である。

だが現実は「報道しない自由」を報道する側が矮小化して、解釈して、報道側に不都合な事実を報道しないといふ実際が存在する。これが日本のメディアでまかり通つてゐる事実である。この異様性は日本のメディアの現実である。これは放送法に照らしても禁を犯してゐる。

「報道しない自由」とは、報道する側にとつて不都合な事実を無視して報道してもよいといふことではない。この当たり前の事実を、報道に関はる人すべてが理解してゐないやうだ。だからあり得ないことが、現実に起きてゐる。その現実をだれも指摘できない愚かな現実が日本にある。隣の国とおなじである!


低脳な政治家や専門家たち
この国のインテリと称される専門家たちや政治家の知能程度の低さといつたら目を覆つてあまりある。

専門家の言つてゐることも芸人の言つてゐることも、似たり寄つたりで大差ない。肩書きばかりが立派だが、中身は空つぽ、虚ろな音がするばかり。


   < 百聞一見に如かず。不都合な動画は即座に削除される >

核心から程遠く
憲法問題も森友学園問題も加計学園問題も時間と税金の無駄遣いばかりが奨励されて、本質は一切論じられない。当然責任論なんてものはどこにも登場しない。

政治家と専門家とメディアの連中は、グルになつて、問題の核心をずらし、忌避するから、時間と税金ばかりが浪費されて、いつまでたつても問題の核心に触れられない。

政治家たちも専門家たちもメディアの連中も、人間を廃業して、すでに魂を換金してしまつてゐる。それほど腐つてゐると断言しても間違ひない。

鉄槌を喰らへ
最近驚いたのは「報道しない自由」といふ詭弁である。偏向報道を釈明するために、報道側にも報道の自由があると恥ずかしげもなく言ふ。

もし日本外国特派員協会で日本のメディアが考へる「報道しない自由」の見解を示したら、世界各国の記者は驚き、つぎは呆れ返つて腹を抱へて嗤ふだらう。ぜひ実現して、嗤ひ者になり、ぜひぜひ非難の集中砲火を浴びてもらひたい。


| comments(0) | trackbacks(0) | 19:18 | category: ひと言 |
# リテラシー能力0点のBPO その三 samedi 8 juillet 2017
神は細部に宿る。それに誂へむけの YouTube の動画があつたのでこれを貼りつけておく。神が宿るといはれる細部がいかに問題にされなければならないかがよく分かる質疑応答だ。

これは、一橋大学の大学祭実行委員会から講演依頼がありながら、反対運動によつて予定した大学祭の講演が中止になつた講演予定者の作家百田尚樹が、中止に至つた経緯を日本外国特派員協会で語つた動画である。




もう一つの方はこの説明会に集まつた人からの質疑に応答したものである。皮肉にも、最初の質問者は反対署名に集まつた一万人を問題にした。1:18 くらいのところから

また、この質問に対する応答は 3:09 くらいから


これでこの問題は終了したのではなく、19:00 あたりから質問にたつた一橋大学卒業の記者が、予期しない事実ーー現在一橋大学の学生数は、各学年千名くらい、二学年で二千名くらい、(一橋の)学生はほぼゼロだと思ひますーーと述べた。

署名の「数字」だけを問題にした一万人だが、その実体は、教員を除き他は全て学外の人。さらにその実体をみていくとイデオロギーに染まつた人たちといふのがうかがへる。

数字はいかやうにも操作できる。それを肝に銘じて置く必要がある。考へもせず、ただ情報を受取つてゐると、意味のない誤つた情報を発信してしまふ結果にもつながる。




| comments(0) | trackbacks(0) | 18:09 | category: ひと言 |
# リテラシー能力0点のBPO その二 vendredi 7 juillet 2017
神が宿るところ
東京と沖縄の会見場に掲げられた横断幕に、すでに、虚僞が溢れてゐる。「沖縄ヘイト・デマ」と決めつける「沖縄」がそれである。

たまさか届いたワイン便りを読んでゐたら「地理的産地表示の愚かさについて」といふ小見出しが目に止まつた。

かう書いてある。「北海道中の33あるワイン会社が皆で「北海道産」を名乗ろう。輸入原料の会社も、遠くからぶどうを仕入れている会社も「オール北海道」でいきましょう。」

この理窟はよいところ取りをして、らくして儲けたい人たちの考へさうなことだ。

20170707
   < 日々の営みがあつて、はじめて >

「とても詳しくワインの世界や実情を知っている私としましては、この運動に大反対です。ワインの世界だけは歴史的に近代化の波にも、グローバル経済の理論にも負けず、少量生産の独自性を貫いてきました。真に良いワイン作りを目指すのなら、決して広域地域名を横並びで使用すべきではありません。」

もの作りだけでなく「考へる。表現する」ことにおいてもおなじことがいへる。

たかが単語一つのことーー「沖縄」といふ気づかれにくい印象操作ーーと思ふかもしれないが、それが人に及ぼす影響を考慮すると、看過することはできない。

もしこれが正確に「TOKYO MXによる沖縄米軍基地移設反対活動家たちへのヘイト・デマ放送に関する記者会見」と名打たれてゐたら、だれも注目しないだらう。それでは困る。だから、注目を集めるために、「沖縄ヘイト」とすり替へたのだ。





| comments(0) | trackbacks(0) | 15:39 | category: ひと言 |
# リテラシー能力0点のBPO その一 lundi 3 juillet 2017
本來の情報の姿
情報リテラシーが言はれて久しいし。ネット社会になり、玉石混交、雑多・多様な情報が溢れ、錯綜し、無限に拡散する現在、四六時中、絶えず、だれかれ区別なく、有無を言はせず、情報が襲ひかかつてくる。情報化社会の実態である。

しかしあふれてゐる情報がすべて重要であるはずがない。無価値な情報が、意図的に操作され、意味ありげに情報空間を支配してゐる場合もある。さういふ情報に絡め取られ、意味のない無駄な時間を過ごさないためにも、情報は選別する必要がある。

カネか?ヒトか?
だが日本ではなぜか情報を選別する教育も実施されもせず、その指針も示されないままである。かつてそれを教育課程に組込む話があつたさうだが、ある業界筋からの申入れで、ダメになつたといふ話を聞いたことがある。理由は売れなくなるから。

営業不振な新聞業界が、消費税値上げの報道をし、その一方で生き延び手段として、文科省へ、新聞を読む授業導入の提案をし、新聞の売込みをしてゐる。これからも類推できるやうに、情報リテラシーの授業の話は信憑性の高い話である。

20170703
   < 身勝手そのもの >

日本とはさういふ国でもある。日本の民主主義が劣化するにもかかはらず、目の前の経済的利益が優先され、肝心のものが打ち捨てられる。もし多くの日本人が情報選別能力を身につければ、情報の精度も、民主主義の精度も格段によくなる。われら日本人はさういふ能力を有してゐる。さうでありながら、それがなされないのも日本である。

だから検証されることのない、一面的な主張だけの中身のない情報が、まかりとおる。そのことを端的に示してゐるのが「TOKYO MXによる沖縄ヘイト・デマ放送に関する記者会見」の動画である。




| comments(0) | trackbacks(0) | 16:58 | category: ひと言 |
# 「軽微」「微罪」なら許される? dimanche 18 juin 2017
雑誌『婦人之友』五月号の東京新聞・中日新聞論説委員の佐藤直子の「あなたが見えない」といふ記事のことを前回(六月十二日)のこのブログで書いた。

不正確なものは
前回は触れなかつたが、この記事には多数の問題表現がある。まづ目につく欠点は隷従した安易な言葉の使ひ方である。安易なのだから、とうぜん結果として正確性に欠けることになる。正確性に欠けるのだから、必然的に信頼できるものとはならない。

もし疑問を持つ人に公開の質疑の場を設け、それを実施し、記録し、のちに文字起こしして記録文書として、再度この雑誌で発表すれば、この記事には中身がないといふのが、歴然と示されるだらう。

20170618
   < 小さくとも生あるものは >

二重の裏切
なによりも人の顔に泥を塗るやうな、場違ひなネルソン・マンデラを引き合ひに出すこと自体が失礼である。さういふ中身のない記事がこの雑誌に掲載されてゐる。

しかしこの記事を読んで信じてしまふ定期購読者がゐるのだから、また如何ともしがたい罪作りである。定期購読者といふのは出資者、身銭を切つて雑誌を購入し、ひいては婦人之友社の存続を支へ続けてゐる人たちである。

さうであるにもかかはらず、その人たちの信頼を裏切り、あげく真実を届けやうとしない、二重の裏切行為をしてゐるのである。

20170618
   < その生を生きやうとする >

法律なんて
いま保釈中の山城博治が、なぜかスイスのジュネーブの国連人権理事会で話をした。その発言の全文が六月十六日の東京新聞紙上に掲載された。そのなかに「私は抗議活動の最中、微罪で逮捕され、その後、二回さかのぼって逮捕されました」といふ箇所がある。

冒頭の自己紹介「平和的な抗議運動を行っている山城博治」にも「厚顔で恥知らずな」と思ひながらも苦笑してしまふが、それよりも気になるのは、佐藤直子と山城博治に共通して見える法律の軽視である。

「軽微なものばかり」「微罪」。これらのふたつの主観的な言葉は、法に基づく逮捕に対する不当性の主張をうかがはせる。それだけでなく社会の根幹をなす法の軽視、無視をもうかがはせる。さういふことが、この言葉で、言はれてゐるのである。

これがどこからも問題にされない。また非難の声も上がらない。それが、いまの日本の閉塞した現状そのものをあらはしてゐる。

20170618
   < ひたすらなものに目を奪はれる >

信じることは素晴らしいのか
情報を信じてゐるだけでは、待つてゐるだけでは、真実は見えてこない。信仰を強制されることはある意味隷従を強いられるのとおなじである。自由でありたいと稀求するのなら、せめて、真実を知るための努力ーー疑問を持つことや問ひかけることをする必要がある。


以下が山城博治の国連人権理事会の話の内容である。それに対する反対意見を述べたのが沖縄の一私人、我那覇真子である。これも動画のアドレスと同時にそこに翻訳された字幕をも掲載しておく。

繰り返しになるが【ノーカット配信】沖縄ヘリパッド移設反対派リーダーが逮捕〜これが暴力行為の決定的証拠だ!【ザ・ファクト】も添付しておく。


 私は沖縄における米軍基地による人権侵害に対し、平和的な抗議運動を行っている山城博治です。
 日米両政府は沖縄の人々の強い反対にもかかわらず、新たな軍事基地を沖縄に建設しようとしています。
 市民は沖縄の軍事化に反対して毎日抗議活動を行っています。日本政府はその市民を弾圧し、暴力的に排除するために大規模な警察力を沖縄に派遣しました。
 私は抗議活動の最中、微罪で逮捕され、その後、二回さかのぼって逮捕されました。勾留は五カ月間にも及びました。
 面談は弁護士以外との接見を一切禁じられ、家族とも会うことを許されませんでした。私は自供と抗議運動からの離脱を迫られました。
 これらは当局による明らかな人権侵害です。
 しかし私も、沖縄県民もこのような弾圧に屈しません。私は、日本政府が人権侵害をやめ、(ここで規定時間が過ぎたので終はりになる)
新しい軍事基地建設に反対する沖縄の人々の民意を尊重することを求めます。


わたしは日本の沖縄県から来た我那覇真子です。

わたしは沖縄の現状を報告するとともに、暴力的な反米基地活動家山城博治が十五日に国連のこの場を悪用しやうとしてゐることをみなさまに報告したいと思ひます。

沖縄では地元住民の人権と表現の自由が外部からやつて来た基地反対活動家や共産主義者、さらに偏向したメディアによつて脅かされてゐます。

これらの人たちは自分たちの人権と表現の自由を盾に、考へが異なる人たちの人権と自由を抑圧してゐます。

そのなかの一人山城博治は地元の経済活動に対する威力業務妨害、公務執行妨害、基地不法侵入、傷害などの複数の犯罪で逮捕され、現在保釈中の身です。その彼こそが人権と表現の自由を脅かしてゐる張本人です。

彼は日本政府が人権と表現の自由を脅かしてゐるといふでせう。しかしそれは真実ではありません。それどころか刑事被告人である彼が日本政府に渡航を許され、この場で話すことを許されてゐることじたい、日本では人権と表現の自由が尊重されてゐることの証です。

わたしは国連の正義と公平性を信頼し、みなさまが沖縄の真実を理解し、必要であれば山城博治や活動家たち、偏向したメディアを非難するなど、正しい対処がなされることを信じてゐます。

被害者を代弁し感謝申し上げます。







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