蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# もう金木犀の季節 mercredi 28 septembre 2016
毎年の、いつものことで、進歩といふものがまつたく窺へないのが、この自分。正月を迎へると、決まつて、一年を指折り数へて、その先の長さに嘆息したり、うんざりしたりする。しかし反面、安堵したりする。

しかし、蝉とおなじで、夏が過ぎるころになると、にはかに、残りの月を数へはじめて、焦りだす始末。これも毎年まさに、恒例の心の動き。

通りを歩くといい香りがし、香りのもとはと、街路樹を注視すると、金木犀が木全体に黄色の花をつけてゐる。咲いたばかりで、まだ一粒も地面に花が落ちてゐない。しかし、時間が経ち、一日二日過ぎると、やがて黄色い絨毯が道路を敷き詰めるやうになる。

20160928

家に帰ると、金木犀の花よりは大きく、しかし他のものと比較すると小さい花が咲いてゐた。花が小さければ、命も小さいのではと聯想したりする。命が小さいと、もちろん命も短いもの、さういふ思ひが脳裏をよぎる。

見落とされがちな目立たない花。しかし、写真を撮るこちら側に、小さいながら命の輝きを放ち、命の不思議さを伝へてくる。小すぎて、だれも、気にも留めない花、しかしそれでも、花開いて、命の輝きを放つてゐる。

この花も、じつは取るに足らないその他大勢のわたしたちとなんら変はりがない。人は、だれもその他大勢とは、これつぽちも、思つてゐないが、現実は正反対そのもの、その他大勢の一人にさへもなれないわれら。だからこそ、同類のかういふ小さい花に目が止まり、心動かされるのかもしれない。








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# すべてが有耶無耶の上で成立する国、ニッポン mardi 20 septembre 2016
東京都庁は豊洲市場問題で大揺れである。ニュースを覗けば、見たくはなくても、どこもかしこも豊洲問題ばかり。しかし、だからこそ、間違ひなく、この問題は有耶無耶になつて終はるだらう。犯人もゐなければ、責任をとる人もゐない。都庁のシステムの缺陥さへ問題にならない、だらう。
さういへば、軽自動車で地球五周分、二百三十万円相当のガソンリをつかつたといふ民進党の衆議院議員、山尾志桜里がゐる。この問題もメディアで騒がれたが、結末は有耶無耶のままである。当の本人は責任などどこ吹く風のごとく議員を続けてゐる。

この山尾志桜里が注目を集めたのは「保育園落ちた。日本死ね」を国会で問題にしたのが始まりだと記憶する。しかし、地球五周分のガソリン代問題が浮上すると、なぜか「保育園落ちた。日本死ね」問題も尻切れとんぼになつて終はつてしまつた。

日本の議論で致命的に欠けてゐるものは、カナダに住む渡辺惣樹が『アメリカの対日政策を読み解く』のなかで指摘するやうに、クロス(反対尋問)制度の欠如である。

クロス(反対尋問)とは、問題になつてゐる事柄が、議論に相当するかを判別する制度である。この反対尋問を通過することで、はじめて問題の俎上にあがることが認められる、といふものである。

もしクロス(反対尋問)を通過しないものは、議論の対象にならない、さういふ決め事が共有されてゐる国と、さうでない国の違ひは歴然としてゐる。

20160920

クロス制度の導入を大前提とすれば、国会での時間の有効利用になる。つまり国民の税金の無駄使ひをしないで済むやになる。

クロス(=反対尋問)を経ないことで大問題になつたものがある。慰安婦問題だ。いまは「慰安婦問題」となつたが、それ以前は「従軍慰安婦問題」だつたのは、だれもが知るところだ。

あれだけ長期間にわたつて問題になつた「従軍」が、かくも簡単に、「従軍」の二字が消える。ここにこの国のメディアの有耶無耶性がある。それだけに限らずこれを許してきた国にも、政治に携はる議員にも有耶無耶性がある。有耶無耶を許す国民にも責任がある。

この問題でだれが責任をとつたのか。だれも責任をとつてゐない。かういうふ有耶無耶が平然と許される国、ニッポン。それが法に基づいた近代国家といふのだから、嗤へる。

もし慰安婦問題が問題になるとき、クロス(=反対尋問)の手続きを経てゐたら、逆に問題として取り上げた福島瑞穂の責任が問はれたはずである。しかし結果からみれば、この従軍慰安婦問題で福島瑞穂は国会議員になり、こともあらうに、ひと財産築いたわけである。





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# トマトのシロップ煮 vendredi 2 septembre 2016
完熟トマト
スーパーで箱で売られてゐたトマトがあつたので、今年最後のトマトのシロップ煮を作るつもりで購入しました。購入したトマトの賞味期限切れの日が近づきさうだつたので、夕食後、期限切れの言葉に促されて、やむなく作りました。

鍋三つ
まず鍋を三つ用意しました。ひとつはシロップ煮用の鍋。そこに300cccの水と200gの砂糖を入れ、煮立ててシロップを作ります。

もうひとつの鍋はトマトの皮むき用として、水をいれ。沸騰させ、トマトの皮を湯むきする鍋として使ひます。

20160902

三つ目の鍋は、冷水をいれ、茹でだトマトを急冷して、皮を縮みあがらせる鍋として使用します。さうすると指でつまむだけで簡単に皮は取り除けます。

脱 線
かうして文章が変換されるのを眺めてゐると、つい「沸騰」といふ文字に眼が止まってしまひます。なぜ沸騰の沸は「弗」になり、なぜ「ム」にならないのか、とつまらないことに眼が止まつてしまひます。敗戦直後の国語改革と称してなされた結果がこれです。いかにも中途半端です。

冷たい酸味と甘さ
さて本題のトマトのシロップ煮に話題を戻しますが、あとは湯むきしたトマトをシロップ煮の鍋に移し、煮たてるだけ、これで終はりです。

あとは一晩放置し、翌日保管用の器に移し、冷蔵庫に入れて冷たくすれば、残暑の日中、外出先から帰つたときなど、喉の乾きやからだの疲れを癒すために、舌鼓を打つ、ちよつとした娯しみになります。




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# 言葉が色づけされ意味が変はるとき mercredi 31 aout 2016
世界の警察アメリカ
アメリカが世界の警察をやめるさうだ。それに対して、日本では喜ぶのではなく不安の声がきこえてくるやうだ。ほんとうなら喜ぶべき事柄だと思ふのだが、この自分のなかにも風評にあるやうな不安があるのも事実である。これまで他力本願が当たり前だとして生きてきたからだらう。

アメリカが世界の警察であることがそれほどいいことなのだらうか。アメリカが世界の警察であつたことの実態はなんだつたのか、アメリカが世界の警察であつたことの意味はなんだつたのか、再考してみる必要があるだらう。歴史家に限らず多くの人がはこの問題を考へる必要があるだらう。

いつ世界の国々がアメリカを世界の警察になるやうに承認したのだらうか。第二次世界大戦後に、アメリカが自らさう自称して、世界の国々に認めさせてきたに過ぎない、それが実態だらう。

しかし、なぜさう自称したのか。考へるに、世界に植民地が蔓延した時代のイギリスの座が欲しかつたからだらう。かつて資源国を植民地化して、資源を仕入れ、自国で生産した工業製品を輸出して世界を支配下に置いてきたイギリスにとつて代はりたかつたのだらう。

20160831
   < わたしは警察官だ >

非干渉主義から孤立主義へ
アメリカは、第二次大戦以前は諸外国に関して、干渉しない非干渉主義を国是としてゐた。現実的には、国の成立過程にあり、干渉するだけのものがなかつたのが実情だらう。しかし政治状況に変化が生じるとアメリカでは、非干渉主義を孤立主義として非難するやうになつた。立ち位置を変へるために言葉が色づけされた好例である。

いまは歴史修正主義の言葉の意味が変へられてゐる。歴史は、本來新資料の發見とともに、新しい見方、新しい意味が見出されてきて当然である。したがつて、ときによつては正反対の歴史になる場合もある。これが歴史の姿だらう。

しかしいまや歴史修正主義者は悪者である。主義主張が入り込むことによつて、本來の意味を無視し、あげくに別の意味を付与してしまつたのである。もちろん新資料は精査されなければいけない。さうでないと歴史修正主義者を悪しざまにいふ都合主義者と同類になつてしまふ。

20160831
   < わたしはアメリカだ >

盲信の落とし穴
言葉は生き物で、時代とともに、時代のなかで、変遷してゆくものだが、政治色をもつて変へられて行く場合もある。変へられると不都合な人たちがゐるからである。時として、どういふ人でも、集団化すると集団の一員に成り下がり、黒を白と言つて平然としてゐるものである。

アメリカの南北戦争は、他国の介入を防ぐために奴隷解放を口実にしたが、いまや口実とした理由がその戦争の理由になつてゐる。自分の名誉のためなら人は戦ふだらうが、他人の名誉のために命を投げ出す人はゐないだらう。かつて決闘が許されてゐた時代があつた。名誉のための決闘である。名誉をもつたのは特権階級の人たちだけだつた。

南北戦争はあくまでも白人対白人の戦争であつた。これは覚えておかなければならない事実だらう。戦争に参加しても黒人が白人を殺すことはあつてはならないことであつた過去の事実がある。

人間の歴史を語るとき、これらの事実を隠すほうが、よほど歴史修正主義者の悪者である。





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# 異変の起きない普段だからこそ lundi 29 aout 2016
惜しむ。なぜ、どうして惜しむのか。

なぜなら人は失つてからでしか、その大切さ、その重大さ、その貴重さを知り得ないからである。

健康な人に、健康に留意しなさい、と言つても、人は一向に留意しない。なぜなら、今現在健康でなにも不都合が生じないからである。

ただし一旦健康を損なふと、人は途端に健康オタクになる。時既に遅し、手遅れであるにもかかはらずである。

しかし、・・・。

20160829
   < ここに健康祈願で通ふ人もゐる >

さう、しかし、なのである。実際健康を失なつてからでは手遅れなのだ。

薬や医者は気休めに過ぎない。健康はあくまでも個人、その人のあり方の問題である。

健康は肉体だけの問題ではない。健康は精神の問題でもある

健康が恢復したかに見えて、人は、簡単に安心する。

だが厳密には、それは似非健康でしかない。

だから、健康なときにこそ、肉体も精神も健康であることに留意しなければならない。

しかし、かういつたからとしても、現実は、戯言でしかないのが実際である。






| comments(0) | trackbacks(0) | 16:08 | category: ひと言 |
# 再読 消しゴムで消しながら読む vendredi 26 aout 2016
本は相変はらず紙の本を読んでゐます。別に紙の本にこだはつてゐるわけではありませんが、理由は、ただ読みたい本が電子本で存在しないか、電子本として出版されないからです。電子本はかさばらなくていいのですが、紙の本と読み比べると、目の疲れに相当のひらきが出ます。特に何日も、根を詰めて、長時間にわたり、集中して読書するときは、それが顕著に現れます。

それに電子本の出はじめの頃は、紙の本の半分くらいの値段で売られてゐて、いかにも買ひ得感がありましたが、いまは、紙の本と比較すると値段はほとんどおなじです。この辺の価格設定もなんともいへません。

20160826

なによりも紙の本のいいところは、背表紙を見せて、いつでも目に触れられるやうに、本棚に並べられてゐることです。書店でカヴァーをしてもらひ、背表紙が見えなくて、なんの本かわからない状態では意味がありません。最低本の題名がわからないといけません。

人間は不思議な生き物です。なにかの拍子に、はつきりとした考へもなく、さういふ本に手が伸びたりするときがあります。言葉にできない、なんらかの必然が働いたかのやうに、書架から取り出した本に夢中になるときがあります。

20160826

もし、目の前の見えるところに本がなかつたならば、かういふ読書は生まれません。この偶然の産物ともいへる読書が、意外にも意外な結果をもたらすことがあります。だから本は、自分の手元、背表紙を読める状態にして、見えるところに置いておきませう。

二〇一一年に三度繰り返し読んだエルネスト・サバトの『作家とその幽霊たち』(現代企画室)、毎朝二三篇づつ読んでゐるアランの『教育論』(白水社)が関係したのでせうか、何気なしに手が出て読みはじめ、朝の読書の一冊に加はりました。

20160826

二〇一一年に読んだときは、勉強するぞ、と意気込んでゐたのでせう、筆記用具を準備して読んでゐました。だから当然線が引いてあります。読んだ当初は、自分が思ふところがあつて線を引いたのですが、いま、その本を読んでゐると、本と格闘してゐるのではなく、以前読んだ箇所をなぞつてゐるだけだといふことに気がつきました。

これでは本を読んだことになりません。五年の歳月が経つてゐるにも関はらず、五年前の自分の軌跡を辿つてゐるやうなことをしてゐるのですから。五年の間にこの自分が変化したはずです。その自分がいま一度、エルネスト・サバトの『作家とその幽霊たち』を読もうとしてゐるのです。

20160826

それには先入観がないのが一番です。幸ひに線はシャープペンシルで引いたもので、ボールペンや万年筆で引いたものでわありません。だから消しゴムで消せます。また都合の良いことにシャープペンシルの芯は濃く柔らかい「B」か「2B」のものを使つてゐます。消すには最適で、跡が残りません。

消して読めば以前の痕跡に気をとられることなく、はじめてのときのやうに、サバトの文章に接することができます。五年を経た自分がそこから何が読み取れるか。この自分が劣化したのか先鋭化したのか、はたまた相変はらずなのか、読むたびに自分が試される毎日です。





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# 時代を語る間取り mercredi 24 aout 2016
目に見えるわけではありませんが、時代の枠といふものがあります。この目に見えない時代の枠ですが、これから逃れることは至難です。しかし、時代が過ぎて、過去として見ることができるやうになると、かつてあれほど拘束してゐた時代の枠が、簡単に瓦解するのを目の当たりにする場合もあります。

カズオ・イシグロの『浮世の画家』を読むとそれがよくわかります。

衣服などは、誰が見ても流行り廃りは顕著に見て取れます。流行がさほどでもないと思はれてゐるサラリーマンの制服、背広でさへ、時代がはつきり現れます。

ところで、いまでこそ日本のトイレは世界一完成されたものになつてゐますが、それ以前はといへば、日本の便所は最悪だつたかもしれません。

20160824

大江健三郎はことあるごとに都合よく持ち出す「渡辺一夫」ですが、この渡辺一夫、日本人の臭覚が壊れてゐるのは日本の汲み取り式便所がいけないのだといつた人です。と同時に批判するだけでなく水洗トイレの普及に尽力したのもこの渡辺一夫です。

水洗トイレ普及以前は、日本の家屋のトイレは母屋から離れた場所、別棟か、あるいは家の端つこ、外れににありました。偶然ですが、カメラを担いで歩いてゐたら、昔を偲ばせる間取りのある貴重な家に出会ひました。これは間取りだけであつて、もちろんいまは水洗になつてゐるでせう。






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# 雄弁な語り手 mercredi 17 aout 2016
身近で連想できる夏の風物といへば、それぞれ異なるでせうが、これもその一つであることは間違ひありません。

20160817

暦のうへで立秋が過ぎると朝の光にもどこか秋の気配が忍び込んできます。

20160817

さうでありながら真昼の炎天下の光はまだまだ夏そのものを主張してやみません。

20160817

しかしその光の下でも、植物は、着実に、秋を準備してゐます。




| comments(0) | trackbacks(0) | 22:20 | category: ひとり言 |
# 民主主義破壊者、マス・メディアの暴力 dimanche 31 juillet 2016


インターネットが日常的に身近になり、情報を多面的に知ることができるやうになつたいま、都知事選ニュースもその例外ではありません。マス・メディアを代表する既存のTVや新聞の情報は奇妙におなじです。しかし YouTube などの情報をみるとさうでないのが明らかです。

そこからわかることは、マス・メディアは、公を代弁すると標榜しながら、実は、スポンサーの意向に従ふために、情報を操作し、人を誘導、欺き騙し、スポンサーの意向を実現させるために、また満足させるために、スポンサーの機関誌に成り下がつてゐるのが見えてきます。

一票の格差を憲法違反だと裁判問題にする人たちが、マス・メディアの都知事選の報道をみて、偏向報道だと声をあげ、問題にするのさへ目にしたことがありません。立場が違ふと、憲法でままられてゐるはずの基本的人権が犯されてゐても、かういふ人たちは知らぬ顔をするのがよくわかります。

谷山雄二朗のこの行動さへも、マス・メディアのどこも取り上げません。言論の自由を問題にするあの参議院議員の山本太郎さへもこれを問題にしません。ほんとうに「言論の自由」を求める活動をしてゐるのなら、実際に行はれてゐる偏向報道を見過ごすはずはないのでせうが、なぜか知らぬふりして、問題にしません、これは信じられません。あの人はその程度の人なのでせう。やることを見てゐればわかります。



急仕立ての、とつてつけた、ポーズを重要視するにわか活動家だといふことがよくわかります。山本太郎本人も、こういふ事実を看過し、なにも発言しないことからわかるやうに、感じることすらできず、自己矛盾さへも感じられない不感症人間のやうです。

PCで覗いた七月三十日のテレビ朝日の都知事選ニュースは傑作でした。呆れ果てるを通り越して笑つてしまひました。三候補報道にしても、その順番は世論調査にしたがつて、これまでなら放送順位が決められるのが定石だつたはずですが、テレビ朝日は、それを無視し、世論調査の逆の順番で報道をしました。

一番は鳥越、二番は増田、三番は小池とそれぞれの選挙活動映像を流して、報道しました。では他の十八人の候補者はといへば、一覧表を表示して終はりです。この一覧表も、他の候補者の異議申し立てを小耳に挟んだ結果、マテレビ朝日が弁解のために用意した映像だといへます。

けふ七月末日は都知事選の投票日です。もしかりに今回の都知事選はマス・メディアの偏向報道により、法で守られてゐるはずの公平性が堅守されず、ゆゑにこの都知事選は成立しない、無効であると訴へられ、裁判沙汰になつたとしたら、どうなるのでせうか。可能性は大いにありさうです。

三候補に偏つた報道は、衆目の承知するところ、裁判所もうかつな結審はだせないでせう。もしさういふ結審を下したならば、今以上に法は信じられなくなります。法の正体ーー法はなにも弱者を守るためにあるのではない、強者の利権を堅守するために存在するーーも明らかにされます。

五十億だともいはれる選挙費用、それを偏向報道したマス・メディアが等分に負担するのでせうか。確信犯的に、あへて承知して偏向報道をするのですから、かういふ罰金が課せられて当然でせう。なにも知らない弱者は法を犯せば、確実に罰せられ、従はされます。従はないとさらに罰せられ、罪がさらに重くなります。ことばどおり、法の名の下においてすべての人が平等なら、それが事実なら、強者ーー扇動誘導するマス・メディアーーも罰せられて当然至極でせう。









| comments(0) | trackbacks(0) | 08:31 | category: ひと言 |
# 選挙に行つて一票を投じやう!至極まつとうなことを訴へる動画 vendredi 29 juillet 2016
考へることは分類することだといふ人もゐますが、範疇つけして、その範疇に従つて、考へることは、フランスの哲学者アラン流にいふのなら、なにも考へないといふことになります。

この動画で見る人物は、都知事選に立候補するまで、世間一般の噂の程度にしか知りませんでした。しかし都知事選に立候補してから、演説動画が数多くアップされてゐて、耳を傾けやうと思へば、それができます。



そこで知つたのは、範疇づけの愚かさ、愚劣さ、意味のなさです。範疇づけに従つて判断してゐるだけだとなにも知り得なくなつてしまひます。

自らの先入観を疑つて、この動画を見てみる。一見の価値ありです。もし価値が見出せなかつたら、価値を見出せない自分を責めるべきです。





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