蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
<< January 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
# 佐川急便を装つた迷惑メールが届く vendredi 18 janvier 2019
外出先からの帰宅途中、信号待ちしてゐて、携帯電話を覗いたら、「お客様宛にお荷物のお届けにあがりましたが不在の為持ち帰りました。下記よりご確認ください。」とアドレスーーhttp://sagawa-***.comーーが掲載してあつた。

20190118

帰宅して、まづポストの投函物を確認した。が、入つてゐるべき不在票は入つてゐなかつた。ついでインターホンを確認した。こちらも、訪問者を知らせる録画ランプは点滅してゐなかつた。

20190118

頭をひねりながら、今度は携帯電話に示されたアドレスをパソコンに入力して、検索してみた。

さうしたら、驚いたことに、思ひもかけない赤い警告画面が突然表示された。

画面を切替て、更に、グーグルで「佐川急便 メール」と入力して、検索してみた。出て来るわ、出て来るわ、嫌な結果が、驚くほど出て来るわ。

20190118

上位に表示された嫌な結果を表示してをく。
佐川急便からのショートメール?それ、偽物でしょう リンク押さないで!

佐川急便を語ったSMS詐欺に引っかかってしまつた!

佐川急便を装った迷惑メールにご注意ください お知らせ佐川急便

























| comments(0) | trackbacks(0) | 15:27 | category: ひと言 |
# 『面従腹背』予約待ち五十六人 samedi 12 janvier 2019
単純に、手に入れ難い食べたい肉が簡単に手に入るので、この生協に加入して、配達してもらつてゐる。月に一度、届けられる註文書の束が厚くなる時がある。さまざまな案内が届けられる。そのなかに、読書案内もある。

二〇一九年、一月のオススメ本に『面従腹背』があつた。いまや、安倍憎しの人たちに大モテの人物である。さういへば、この生協の主催で、この元官僚の講演会もあつたと記憶する。それはそれとして、この本のオススメ理由に目を移すと、見出しはかうなつてゐる。

  あったことを
  なかったことにはできない・・・・・

なかなか意味深だと思ひながら、オススメ理由に進んだ。

・・・誰もが日常的に「面従腹背」する場面に遭遇している。学校で、地域で、会社で、「私」は「私たち」として振舞わねばならない時がある。そしてその「振舞い」こそ個人の真価が問われるのだ。なぜなら「私」と「私たち」は完全に一致することはありえない。著者は・・・強大な官僚組織の中で、一人の個人として最善を尽くす努力を貫いてきた。・・・

一見りつぱなことが書かれてゐるかのやうにも読めるが、突つ込みどころ満載の美辞麗句を並べただけの付替、取外し自由な「プラスチック・ワード」そのものの文章にも見えてくる。

20190112

この元官僚は、天下り斡旋を積極的に推進してゐて、それが政府に知れて、退職前に解雇されたといふ。一般企業ではあり得ないが、解雇されたにもかかはらず、相当な額の退職金は、減額されることもなく支給されたさうである。二〇一七年二月七日の予算委員会で江田憲司が天下り問題でこの元同僚の元官僚を追及してゐる。この事実を「私」と「私たち」の理窟にあてはめてみると、つぎのやうになる。

元官僚の「私」と元官僚の同僚たちの「私たち」とは、天下りの件では完全に一致してゐて、省内公認で天下りを推進してゐる。面従腹背を信条とするアウトローな「私」もその一員であつた。それどころか「私」と「私たち」は一心胴体だつた。あはよくば、「私」も、天下り斡旋問題が、元同僚の江田賢治に暴露されなければ、リーダーとして美味しい汁が吸へたはずだつた。さうなれなかつたのが、唯一後悔の種である。

ところで、「私たち」とは違ふ「個人として最善を尽くす努力を貫いてきた」「私」の姿はどうであつたかといふと、これも報道された通り、常習的に、昼日中、勤務時間中に、公用車を使用して新宿歌舞伎町に赴き、「貧困調査」を実施してゐたのである。ここにこそ、「面従腹背」なアウトローの「私」の「真価」が、餘すところなく発揮されてゐるはずである。

さて、元官僚のこの本の中身は、と思つて、市の図書館を覗いてみた。なんと予約待ちが五十六人もゐた。更にこの本を蔵書する市の図書館は二十五館中九館もあつた。TVのワイドショーを見る覗き見趣味なのか。

これを終はるにあたり、最後に、もう一度、この本をおススメする見出し文を読んでもらひたい。

  あったことを
  なかったことにはできない・・・・・

もつともである。言葉とは恐ろしいものである。









| comments(0) | trackbacks(0) | 11:10 | category: 本のこと |
# 朝日新聞の小間使・野党国会議員 vendredi 11 janvier 2019
Aphorisme 161
朝日新聞に忖度しながら、爲政者の「忖度」疑惑を追及する野党国会議員。

20190111
   < なにも読めない >

忖度が立証されたら、その時点で忖度は忖度でなくなる。愚にもつかない堂々巡りをしてゐる国会。この『国の死に方』そのもの。いや、もうこの国は滅んでゐる。









| comments(0) | trackbacks(0) | 07:12 | category: 寸  鉄 |
# 一月三日の熊本地震と災害報道の無責任さ vendredi 4 janvier 2019


一月三日に起きた熊本地震速報を見て考へたこと。
被災地現地の人たちは、どんな情報を欲しいのか?報道する人たちは考へたことがあるのだらうか?

地震発表ニュースを見てゐて感じるのは、被災者にとつて、必要ない情報が多過ぎるのではないか?

地震被災者にとって、必要なのは、なにをおいても、被災直下の生活方法情報。なにをおいても、その情報が、必須なはずだ。

それが、被災に無関係な衒学的な、縦揺れ、横揺れ、震源地情報。被災者が、それらを知つてなんになる?

TVは被災者を無視して、地震を、一見、衒学的、学術的に、詳細に、報道する。しかし、被災者にとつて、それが必要か!

もちろん必要なことなどなにもない。

被災者にとつて、災害直近の、今後の具体的な対処法の指示があればいい。たとへば、帰宅したら危険だから待機すべき。さらに、避難場所に止まるべきは何日まで。さういふ具体的な情報が必要になる。

20190104
   < 正確無比だけでは、ロクなものは生まれない! >

もちろん日々の生活の飲料や食べ物。それに英気の源になる睡眠の確保。何日頑張れば、この災難を乗り切ることができるか?家に戻れるのはいつか?

家に戻れないときは、どのやうに避難生活を続ければ、この災難を乗切ることができるか!具体的な、心を落ち着かせ、安心できる、いますぐ役立つ生活に密着した情報が必要だ!それを気象庁が責任を持つて報道すればよい。

国や被災しない他の国民からの支援やその態勢、それを知ることの方が、衒学的、学問的な正確(?)な情報を知らされるより、何倍の励みになるか!安心、これは被災者を知るだれの目にも明らかだ。

被災者が欲しいのはいまの災難を乗切る確かな情報。さういふ情報が報道されれば、だれでも当然耳を傾ける。これは当たり前過ぎることである。しかし、この当たり前が、爪の垢ほどもないのが、ニュース報道!何故なんだ!

それほどメディアは不感症なのか!これでは、日本がダメになるのは当然だ!安心できる確かな手立てを講じなければ、ますますメディアは人々こ混迷に陥らせる。世も終はりだ!ほんと、この日本の世も終はりだ!









| comments(0) | trackbacks(0) | 21:07 | category: ひと言 |
# 思ひがけない発見 jeudi 20 décembre 2018
日本の古典といえへば,、百人一首程度しか知らない。かつて、暮れのこの時期、家から駅まで、徒歩十五分程度の道のりを、まだどのくらい、百人一首を覚えてゐるだらうかと、あ行から順に、口ずさみながら歩いたものである。
さういふことがあつて、百人一首の本、たとへば『百人一首のなぞ』シリーズともいへる何冊かの本を読んだ覚えがある。しかしどの本を読んでも「なぞ」が消えたわけではない。どの本も「なぞ」がそのまま残る本であつた。

最近偶然にも、『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』といふ本に巡り合つた。これまで読んだモノと異なり、たいへん興味深かつた。なにが興味深いか、といつて、解釈の文脈が、従来のものとは違つたところが刺戟されるところだつた。

特に三番歌、天才歌人柿本人麻呂の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながしく夜をひとりかも寝む」の読取り方が秀逸だつた。

なにが秀逸かといつて、従来の言葉遊び的な解釈とは異なり、天才が、詩歌を苦吟する姿を読み解いてゐて、目を見張るものがあつた。

この時平行して読んでゐた本が、なぜか井筒俊彦の『読むと書く』であつた。この本には、本の題名となつた「読むと書く」といふ短文が納められてゐる。その短い文章には、おおよそ次のやうなことが書かかれてある。

20181220
   < どこかで見た写真の跡をなぞるだけの陳腐な写真 >

ロラン・バルトは「身体」で書くといふ。書く行爲において、「身体」からじかに滲み出してくるコトバ、それだけが本物のコトバだ、といふ。無論、大多数の書き手ーーー専門家の作家でもーーーは「身体」で書かないで「頭」で書く。そんなコトバはいわゆる「紋切り型(ステレオタイプ)」であり、生命のない共同言語、真似ごととしての言語使用にすぎない。

ここは、朝日新聞などの、三流の決まりきつた理窟を並べただけの似非思考にすらならない社説、つまり絵に描いた餅を、どうだ上手だらう、と開陳して見せ、本物の餅だから喰へ!喰へ!と強要する社説を連想してもらへれば理解しやすいだらう。

「身体」で書くことのできない贋物の書き手たちの特徴は、書き手の主体性が固定化して、ほとんど実体的に意識されてゐること。つまり、書き手としての我(エゴ)が、コトバの外に存立してゐることだ。コトバから遊離して、その外に立つ我(エゴ)が、まるで道具でも使ふやうにコトバを使ふ。書く主体が確立してゐるのに対応して、書かれる客体も確立してゐる、と書いてゐる。

では、ほんとうの書き手はといふと、「書く」現象において、主体も客体も実存しない。主体の側では、既に完全な自己解体が起こつてゐて、書き手としての自己(「我」)が解体しきつたところで、深い身体的感覚が、その全エネルギーをあげてコトバをつむぎだす。ここではそつくりそのまま「コトバの脈搏」と化し、唯一の、真正な書記行爲となつてゐる、といふのだ。

まさにこの書紀行爲が、柿本人麻呂が「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」に歌ひ込んだ心境そのものではないか、と思つた次第である。

さらに加えて、科学者の武田邦彦が、「科学の研究といふものは、真つ暗闇を歩いてゐるのと同じだ」といつたことにも通じる、さう考へてゐる。




| comments(0) | trackbacks(0) | 10:44 | category: ひとり言 |
# 自らを語る朝日新聞 mardi 11 décembre 2018
Aphorisme 160
フランスの出版物に「自らを語る(par lui-même)」といふ叢書(シリーズ)がある。

それに倣つて、朝日新聞が、今年世間に広めた二つの言葉を並べて、朝日新聞の本当の姿を自らに語つてもらふ。

20181211
   < 師走のこの時期、さて、今後「運命」はどうなる? >

ひとつは『報道しない自由
もうひとつは『メタタグ

これぞクオリティー新聞、朝日!
自らの本質、真骨頂を語つて餘りある。








| comments(4) | trackbacks(0) | 16:29 | category: 寸  鉄 |
# 歴史のない恨みの国・韓国 samedi 17 novembre 2018
岡田英弘を知ると「歴史のない文明」といふ言葉を教へられる。なんにでも歴史があると信じ込んでゐると、その言葉に驚かされる。驚きの裏になにがあるかといへば、無思考な自分を思ひ知らされる恥ずかしさである。

かつて『イギリス人の患者』といふ映画を見たことがある。膨れ上がつたヘーロドトスの『歴史』の本のことが、ストーリーを度外視して、印象に残つた。そのとき、いつかさういうふ愛読書を自分も持ちたい、といふ気持ちになつたのを思ひだす。

このヘーロドトスの本が、どういふ本であるかを教へてくれるのも岡田英弘である。岡田英弘は、微視(ミクロ)的かつ巨視(マクロ)的に、根源的な問ひを発する知の巨人である。それは氏の本を一冊でも読めば諒解できる。

さて、歴史のない隣国・韓国は、歴史がないゆゑに、歴史を捏造して、臆面もなく、あれこれと騒ぎ立ててゐる。この捏造を角度を変へて、別の角度から見てみると、この騒動の実体・本質が浮き彫りにされる。

別の角度とはスポーツの角度である。サッカーにはじまり、野球もしかり、オリンピックでの審判買収疑惑から選手そのものの反則。醜態を晒す不當と思わはれる抗議。対戦するすべてに、数へ上げればきりがない不正や反則。

20181117
   < 想ひ出は浄化され綺麗になるものだが >

検索語を幾つか入力して、たとへば、「韓国 女子バスケット 反則」「韓国 柔道 反則」などと入力して動画サイトを検索してみる。信じられない数の検索結果が表示される。動画では露骨な不正反則が映し出される。

同様のことを国名を変へて、実行してみる。その結果はどうだらう。検索結果からなにが見えてくるか。さういふことをしてみる。かういふところからでも、この騒動の実体・本質を知ることができる。スポーツも政治の面もおなじである。

立場を変へて、もし、おなじやうな反則を日本がしたとしたら、日本人は黙つてゐるだらうか。かりに日本の選手が、検索で表示されるやうな故意的な反則を犯したとしたとしたら、選手生命が終はりになるのではないか?

自国に都合よい歴史を作るためならなんでもする歴史のない国・韓国。自己直視できない国・韓国。法のない国・韓国。これまで自力で歩いたことがない国・韓国。不都合な事実をすべてを恨みに変換してしまふ国・韓国。かうして形容していけば、どこまでも、どこまでも、終はることのない負の形容が羅列される国・韓国。韓国とはさういふ国である。






| comments(0) | trackbacks(0) | 17:37 | category: ひと言 |
# 隣国・韓国がもたらす問題のこと mercredi 7 novembre 2018
報道で知つた韓国の徴用工問題。

正しくは徴用工ではなく戦時下で日本企業の募集に応じた韓国人の工員のことださうだ。

報道も罪作りだ。

言葉を正確に使用しない。

一般の人は、報道の思惑どおり、その不正確な言葉に正直に反応してしまふ。
しかしこれは、あくまでも一つの例でしかない。他にも言葉を正確に使用しない

TVの井戸端会議では、あれこれと、愚にもつかないことが、大真面目に、論じられてゐる。しかし、それはTV報道の思惑、プロパガンダ、印象操作、洗脳で、単なる時間潰しにしか過ぎない。

20181107

さういふ時間があるなら、まつたく別の角度から、隣国・韓国を知つてみるといふ手がある。その方がどれだけ手応へのある情報が得られるか、知れたものではない。

たとへば動画サイトで「韓国 反則」または「Korea unfair」と入力して検索してみる。同様に「日本 反則」「Japan unfair」と入力して検索してみる。

さうすると、韓国といふ国の本質がみえてくる。そこから、この問題の本質もみえてくるだらう。

一見無関係、無意味なやうだが、実はこれは、似非報道に騙されない、踊らされない、利用されないための、だれもができる自己防衛策である。






| comments(0) | trackbacks(0) | 19:21 | category: ひと言 |
# 「ウォー・ギルト・プログラム」と云ふ本について lundi 5 novembre 2018

JUGEMテーマ:学問・学校


法政大学出版局から『ウォー・ギルト・プログラム』といふ本が出たので、なにか新しい発見があるのかと思ひながら読んでみたが、どこにもそれらしきものがなく、期待外れにおはつてしまつた。

著者は女性である。どういふ理由か知らないが、日本の出版物は、女性だと、なぜか生年月日を明示しない。しかし時として、誕生日を明示する必要がある場合もある。特に時代を活写しようとするならば、ことさら重要になつてくる。

時代を知るのは、文字だけでは、十分でない。肌の感覚を通して、時代を知る必要にせまられる場合もある。アナール学派の書物がが注目されたのは、さういふ部分があつたからだらう。

この本の副題は「GHQ情報教育の実像」である。GHQがプログラムした教育の普及のために「眞相箱」といふラジオ番組が用意され、それがラジオで、それもゴールデンタイムに放送されたことが取り上げられてゐる。

「実像」に迫りたいならば、当然その時代を再現する必要がある。追体験し、時代を味はふ。さういふことをして、やうやく、時代の幾分かを知ることができる。ある面では社会学者としての態度も必要になつてくる。

現在の椅子に座つて、どれほど丁寧に過去の資料に目を通してみても、なにも生まれてこない。さういふことから、研究書には著者の年齢が必要になつてくる。

20181105

ところで娯楽のない時代、人々はラジオにどのやうに接してゐたか、それを知ることで、影響力も推し量れるといふものである。今日のやうに、静寂を探すのが困難な時代と、静寂が普段にそこにあり、静寂が強烈に聞こえた時代では、ラジオ番組のもつ意味が根本的に異なる。

いまTVは人がゐなくても、居間で、かつてに流れてゐる。帰宅して、TVをみるわけでもないが、まづTVをつけて、空間を音で満たしておく。さうしないと不安で落ち着かないのが現在の人たちである。
一方電気が貴重で、その代金が高価だつた時代は、意味もなくラジオをつけておくこと自体、考へられなかつた。

ラジオ番組がはじまる時間になると、ラジオの前に正座し、ラジオに電源を入れ、ラジオから聞こえてくる声を、固唾を飲んで、全身全霊で聞いた時代があつたのである。TV初期の時代、チャンネル権が家長にあつたやうに、ラジオをつけるのも、だれもがつけられるわけではなく、つけてもよい人が決まつてゐた。

ましてや番組の内容を疑ふ人など、存在しなかつた。放送されるものは、すべて真実だつた時代だつたのである。

翻つて、この本では、さういふことが完全に欠落してゐる。これでは「実像」など浮かび上がる隙間は、どこにもない。読むに値しないし、もちろん研究書にもならない本である。





| comments(0) | trackbacks(0) | 05:44 | category: 本のこと |
# プリンセス駅伝とチャンスの女神 mardi 30 octobre 2018
プリンセス駅伝2018が開催された。この駅伝で、見てゐて、だれにでもわかる事故が二つあつた。ともに三区間を走つた選手に起こつたことである。

動画サイトでは、這つてタスキをつないだ事故が、数多くとりあげられてゐるのが目に付く。

この事故に関しては、賛否両論あり、どちらの主張も肯首できる部分があるが、それは、どこまでいつても、感情論に過ぎない。どちらの主張が良いか悪いかの問題ではない。問題の本質とは別のところで論じられてゐて、的外れである。

もう一つの事故は先頭を走つてゐた選手のものである。途中体が傾いで走る状況が映し出された。後で考へると、これは脱水状態を示す予兆だつたのだらう。

この事故もだれの目に明らかだつた。コースを逆走したり、折り返し点のポールを折り返すこともできないほどだつた。

しかし、大会関係者のだれ一人、ただ傍観してゐるだけで、だれもなにもしなかつた。観戦してゐる人には、やり場のない悲惨な印象だけが残つただらう。

ところでチャンスの女神だが、チャンスの女神は前髪だけで、後頭部は禿げてゐて髪の毛が一本もないといふ。通り過ぎてからその髪を掴もふとしても、後頭部には髪の毛がない、だから掴もふとしても掴めないと言はれてゐる。

そのことからもわかるやうに、「判断」は交叉する「一瞬」でしかない。早すぎても、遅すぎてもいけない。交叉するその「一瞬の判断」がすべてである。この「一瞬」を逃したら、「判断」が「判断」でなくなつてしまふ。

20181030


その結果が動画の両極、正反対のコメントである。これらは、重要な「一瞬の判断」をだれもしなかつた結果である。所詮感情論にしか過ぎないから、だれもが好きな感想を言へる。責任などどこにもない。

最悪なのは、この大会関係者のすべての人に、眼の前で起きてゐる、だれの目にも明らかな異様な事態に、「一瞬の判断」をする権限が許されてゐなかつたことである。

一人は足をくじき走れない状態だつた。もう一人は意識が混濁して走れない状態だつた。二人とも、だれの目にも走れない状態であるのは、明白だつた。さうでありながら、責任者の指示が届かなかつたといふ理由で「判断」がなされなかつた。情報があふれてゐるこのネット社会である。お粗末といふしかない。

もう一度繰り返し言ふが、プリンセス駅伝2018は、大会関係者の目の前で起た異常な出来事に、大会関係者のだれ一人として「一瞬の判断」が許されない事実が如実に示された大会だつた。

それはなにを示してゐるかといへば、大会で起こり得る最悪の事態を想定もしてゐなかつたし、考へてもゐないことが露呈された大会だつた。これから類推するに、他の大会も同様だらう。

だから、眼の前で起きてゐることになにもしなかつた。どこにも責任者が存在しなかつた。いかにも日本らしい。鳥越俊太郎がいつてゐる。「どこの国が攻めてくるんですか」。最悪の事態さへ考へられない同類の人がゐるのが事実だ。

(註:鳥越俊太郎の発言はこちらの https://www.youtube.com/watch?v=R31gHfMt4Zk を見てください。本日現在でも見ることができます。時を置いて見ると、より本質的なものが見えてくるのではないでせうか。)

仮に「一瞬の判断」がなされてゐたら、感情論は起きなかつたであらう。また選手生命を脅かす事態にもならなかつたであらう。真の判断は一瞬である。その一瞬はなんでもない日常のひとつひとつの事柄に潜んでゐる。






| comments(0) | trackbacks(0) | 18:52 | category: ひと言 |
Categories
Archives
Profile
Comments
  • 自らを語る朝日新聞 mardi 11 décembre 2018
    蛮茶菴 (01/05)
  • 自らを語る朝日新聞 mardi 11 décembre 2018
    うめ (12/24)
  • 自らを語る朝日新聞 mardi 11 décembre 2018
    蛮茶菴 (12/16)
  • 自らを語る朝日新聞 mardi 11 décembre 2018
    うめ (12/15)
  • 掃き溜めに鶴 稀有な存在 松川るい参議院議員 lundi 27 février 2018
    うめ (03/06)
  • 野党が萬年野党なのには理由がある mardi 12 septembre 2017
    蛮茶菴 (09/18)
  • 野党が萬年野党なのには理由がある mardi 12 septembre 2017
    きんつば (09/15)
  • 野党が萬年野党なのには理由がある mardi 12 septembre 2017
    蛮茶菴 (09/14)
  • 野党が萬年野党なのには理由がある mardi 12 septembre 2017
    kinen (09/12)
  • 八月になると思ひ出す本 jeudi 24 août 2017
    蛮茶菴 (08/25)
Trackback
Mobile
qrcode
Search this site
Sponsored Links