蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 精神とは、生きるとは mercredi 25 avril 2018
四月二四日『虎ノ門ニュース』での我那覇真子さんのーー精神とは?生きるとは?ーーこの発言と発言後のスタジオを通りから窓ガラス越しに傾聴してゐる若い聴視者の自然発生した拍手。



ぜひ、精神を生かすか殺すかは、いつの時でも、生きてゐるわたしたちに関はつてくると述べてゐる箇所まで、再生ボタンを押してきいてもらひたい。




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# この時期、米五キロを持参して、お礼に来たといふ朝日新聞 jeudi 29 mars 2018
無粋な来訪者
通行人の靴音が聞こえてくる静かな表の通りから、大声で、こちらの名前を、繰り返し繰り返し、呼ぶ人がゐた。

あらかじめ来客や配達があるのがわかつてゐる時以外は、普段は闖入者に生活を乱されないやうにインターホンの電源は切つてある。だから知人でも約束してゐない不意の訪問はない。

さういふ日常なので、いまごろあり得ない、予想だにしない、珍しい大声で、それも表の通りから、人の名前を呼ぶ声がした。

何事かと思ひ、先方に届くやうな大きい声で、こちらも返事をして、急いで玄関に出ていつた。

玄関の戸を開けて、通りを見たら、元気だけが取柄のやうな体格の良いワイシャツ姿にネクタイをつけた男性が二階を見上げる格好で、通りを行つたり来たりしてゐた。

20180329
   < 坊主憎けりや袈裟まで憎い、といふ全面否定 >

米五キロで
こちらに気づくと、朝日新聞と名乗り、以前長いこと大変お世話になりました、といつて門扉越しに、米五キロ入りのビニール袋を、門扉わきの蓋付ゴミ箱のうへに置いた。

札束で人の横つ面を叩くやうに、モノを与へ、モノで釣る。これほど人を見下し、人を小馬鹿にしたやり方はない。

黙つて受け取るだらうと高を括つてゐる様子が見て取れる。人を愚弄するにもほどがある。

置かれた米五キロを持ち上げて、不要だからと返却した。まだなにか言ひかけたが、こちらの顔を見て、言いかけた言葉を、途中で、飲み込んで、朝日新聞を名乗る男性は、どこかへ霧散した。

二度と読まないと誓つた朝日新聞
翻つて、国会は、朝日新聞の仕掛けに応じた愚かな野党の面々が、愚にもつかない質疑を繰り返し、時間を浪費し、さらに国会開催費用一日三億円と言はれる税金を費やして、血税を浪費してゐる。

20180329
   < 本土の内地人は沖縄のなにを知つてゐるのか >

金正恩の訪中ニュースを持ち出すまでもなく、ここ数日で、東アジア情勢は確実に変動した。さうでありながら、日本の国会は相も変はらず、一所懸命、重箱の隅をほじくつてゐる。

今回の紛糾の種を、意味ありげに、蒔き、確信犯的に、思惑どおり、意図どおりに野党議員を踊らせ、国会を混乱に陥れた朝日新聞。

野党はといへば、メディアをとおして売込む好機とばかりに、内容も検証せず、問題を見極めることなく飛びついたのが各野党議員の面々である。

公開された改竄文書を読めばわかるやうに、改竄以外に問題はない。騒いだのはいいが、さて、いまは引くに引けなくなつて、身動きの取れない抜き差しならない状態に嵌まり込んでゐる野党議員の面々だ。

野党のお歴々の見事なまでの知力のなさを、衆人の元に、恥ずかしげもなく、披露してゐる。

この茶番劇、これを主導したのが朝日新聞、これほど日本の国民を日本の政治を愚弄してゐる審議があるだらうか?それがあるのが日本の国会だから悲しい限りである。



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# ジャーナリズム精神をもち合はせない日本のメディア mardi 20 mars 2018
愚の骨頂、日本のメディア
日本のメディアに期待はもてない。官房長官への質疑記者会見を見てもわかるやうに、平然と他人の褌で相撲を取り、愚にもつかない質問で時間を浪費する女性ジャーナリストと称される人の声ばかりたかく、事実、真実を求めるジャーナーリストの職務、ジャーナリズム精神の欠片も存在しないものばかりみせつけられるからである。

さういふ報道されるものをどれだけ時間を費やして耳を傾け見てみても、なんら事実も真実も明らかにならない。ただ時間の浪費を強ひられる茶番劇を見せられるだけである。それが日本のメディアである。

国会でなされた青山繁晴の質疑
まづ財務省の理財局長にお尋ねしたいと思ひます。昨年十一月のことです。
森友事件での、国有地の取引を巡つて、会計検査院の報告が出されました。

それを受けた予算委員会で、質問することになり、わたしは、はじめて財務省に、ルール通り質問通告をいたしました。

培はれてきた傲慢
(それを受けて)議員会館にやつてきた理財局の幹部の方々は、わたしがなにかをいふ前に、ある意味、いはば慣れた動作で、一枚の紙をお渡しになりました。

それを見ますと、「全体のイメージ」といふタイトルが付いてをりまして、わたしは理財局の方々に、「これはなんですか」とお尋ねを致しました。

イメージといふ綺麗な言葉で書いてあるけれど、書いてある中身は(議会で、わたしがすべき)質問項目(が書かれてゐるの)です。

わたしは(国会議員として)まだ一回生ですけど、そのとき(まで)質問は十一回目であつたと思ひますけど、質問通告を何度もやつてきて、いろんな省庁に通告しましたが、役所の方から勝手に(本来なら、わたしがするべき)質問を作つてきたのは、まつたく財務省が、はじめてです。



で、今回の(文書改竄)問題の淵源の一つは、ここにあるのではないかと思ひ、冒頭にこれをお尋ねするのであります。

弱みにつけ込んで
つまり、あへて申しますが、わたしは政治献金を一円も受け取らず、陳情も受け付けません。

通常、陳情を受け付けるのが国会議員の方々の大切な仕事でありますから、當然それは予算措置を伴ふものであつて、それに財務省が、独占的に権限を行使するうちに、国会議員といへども、国民から選ればれたといへども、実際は財務省のいふことを聞かないと、陳情の処理もできないといふことで、驕りたかぶる体質ができてきて、今回の偽造公文書を平然と国会に出してくる、国民にも示したといふことになつたのではないかと、推測するのですが、理財局長、お応へをお願ひします。



註:見出しと括弧内の補足はブログ作成者が施したものである




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# マス・メディアの囲はれもの vendredi 16 mars 2018
時間が許す可能な限り、この動画の全てをみてもらひたい。メディア主催の井戸端会議に顔を出す有識者やコメンテーターは、所詮メディアの囲はれもの、そこから国民が知り得るべき真実が知らされるなんてことはない、それがよく分かる動画である。

 「国の借金」9月末で1080兆円 国民1人あたり852万円

 財務省は10日、国債や借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高が9月末時点で1080兆4405億円になったと発表した。主に長期国債の残高が増えたことから6月末と比べ1兆4741億円増加し、過去最高となった。今年10月1日時点の総務省の人口推計(1億2672万人、概算値)で単純計算すると、国民1人当たり約852万円の借金を抱えていることになる。(2017/11/10 18:03)日本経済新聞は伝へてゐる。

「国の借金」や「消費税増税」それらを思ひ浮かべながら動画の、三十分以降をみてもらひたい。




ここでもまた、掃き溜めに鶴そのものの松川るい参議議員。野党政治家とマス・メディアの如何ともしがたい知能程度の低さに、いやでも、気づいてしまふ国会質疑である。いま国がまさにしなければならないことである。









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# 掃き溜めに鶴 稀有な存在 松川るい参議院議員 lundi 27 février 2018
まずこの動画をみる。



ここで語られることから、なにか感じるものを受け取らなかつた人は、ここで止めておいたほうがよい。時間の無駄使ひになるから、この先を読む必要はない。

なにが掃き溜めに鶴かといへば、日本国憲法をテキストとして、精確に読み取る態度、イドオロギー問題にすり替へることなくテキストをテキストとして読む態度、その態度が掃き溜めの鶴そのものなのだ。

上記の動画は松川るいの発言だけを編輯してゐるが、他の議員も発言するダイジェスト版もあるが、それを見るとさらに一層松川るいが際立つのがみてとれる。



なぜ雲泥の差が出るのか。他の議員は、手垢のついた薄汚れた常套句を異口同音に、性懲りもなく繰返してゐるだけである。これが掃き溜めであつてなんであらう。

松川るいは、憲法をテキストとして読み、テキストとして書かれたことを検討して、自分の経験に裏打ちされた言葉で意見を述べてゐる。憲法改正のことも、憲法前文のことも、気負ふことなく、率直に、自分の考へを述べてゐる。

かういふ議員の存在を知ることは幸せである。一議員、微力に過ぎないかもしれないが、一個人よりは遥かに大きな力を持ち得る。大いに発信して、大いに活躍してもらひたい。

松川るいは、憲法前文を他力本願といつてみせて唸らせた。これは私見だが、九條だけでは存立根拠がない。だから必然的に前文を必要とした。前文を削除するか、九條を削除すれば、意味を成さなくなり、両者の依存関係が明らかになる。前文と九條とはさういふ関係なのである。









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# 信じられないほど底度の低い国会質疑 mardi 20 février 2018
国会議員が、国会といふ場所で、白日、あたかも正義を行ふかのやうに、正々堂々と、胸を張つて、国民の時間と税金を盗んでゐる。

六分も時間を要するが、我慢して見てもらひたい。この質問者、絶対に立場が逆転することなどないと保障されてゐるから、確信犯的に、かういふ質問をするのか。



世界情勢の変化を、東アジア情勢の変化を、さらに自らいふ「安全保障のジレンマ」を、自らの意見・判断を示して、對峙し、議論に導くのが本来の有意義な質疑だらう。

野党の稚拙な専売特許、言質を問題にしてゐるやうでは、なにも生まれない。ただ多くの有権者に、いま以上に、疎まれ、蔑まれ、ゴミ扱ひされるだけである。





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# 前略 新潟県知事 米山隆一殿 最終回 断罪して片づけたつもりが思考停止 mercredi 7 février 2018
前回の投稿から半月ほどの空白期間ができてしまつたが、再開する。空白の理由は問題にした新潟県知事米山隆一のブログが論考に耐へうる内容をもつてゐないためである。

ブログには問題にしてゐる半分の観点が欠落してゐるし、中田宏に対する見方も公平性、客観性に欠ける。

中田宏が自身の動画ブログで喋つてゐる。動きに目を奪はれることなく、傾聴すればわかるが、動画上一見煽情的だが、その実全体的に配慮がなされてゐる。

中田に対する一方的な悪口非難の後は、米山が自分の意見を陳述してゐるが、唐突に、「右の正義」が出てくる。右の正義といふのなら、當然「左の正義」もあるだらう。

20180207
   < 沈思する時間をもつ必要性もある >

それよりもなによりも、ここに脈絡もなく出現した「正義」がすべてを語つてゐる。

ここで用ゐられてゐる「正義」は比喩である。間違ふことない「正義」が間違つてゐる、と米山は主張してゐるのである。だつたら間違つてゐる「正義」とは何なのか、説明しなければなにもはじまらないだらう。

おなじくして、ここでは出現してゐないが、「左の正義」も説明されなければならない。

第一「正義」といふ言葉は、限定詞を伴つて用ゐられる時点で誤つてゐる。これはだれもが知つてゐることである。だから、米山も知つてゐて當然だらう。

子供の作文ならまだしも、大の大人が、それも県の長が独善性を振りかざすのはいただけない。




| comments(0) | trackbacks(0) | 10:02 | category: ひと言 |
# 前略 新潟県知事 米山隆一殿 其の五 断罪して片づけたつもりが思考停止 lundi 15 janvier 2018
引用・要約の陥穽
本来なかつたのものが、引用者、つまり米山隆一によつて、引用者の意図が付け加えられ、歪められていくさまが見て取れるだらう。ブログの書き手米山隆一の中田宏に対する見方考へ方だけでなく、米山隆一その人そのものが示されてゐるのが見て取れる。

二〇一四年十一月の朝日新聞の吉田調書誤報記事謝罪を例に持ち出すまでもなく、引用したからといつて、それが正しく引用されてゐるとは限らない。引用を無邪気に信じる怖さがある。本来文脈を無視した自己都合の引用は咎められ蔑まれて信用を失墜して當然である。しかし今日の日本の風潮はさういふものは一切無視され是認されてゐる。見たくもない傾向が蔓延してゐる。
かういふ果てしなくどこまで落ちていく時代、さういふことをどこまでも許す時代、朝日新聞の社説を持ち出すまでもないが、他人に厳しく自分に甘い時代、だからこそ、フランスの哲学者アランがいふ引用や要約に触れた文章を憶ひ出し、自らを律して、稚拙であつても自分の頭で考へ、自分の言葉で表現するやうにしなければいけないのである。

なぜさうしなければならないか。なぜなら引用箇所、つまり主張したい最も重要な部分を、他人の言葉で済ましてしまふ。最重要部を他人に委ねてしまふ。ここには仕掛けがあつて、一見客観的に見える。しかし、その実無責任極まりない自己放棄をしてゐるのである。選挙で当選して、祝ひでダルマに目を入れる晴れ舞台がある。それを人に頼んでしてもらつてゐるのとおなじである。

また引用や要約を知ることで、人は、無駄な時間を費やすることなく、短時間で効率よく理解したつもりになるが、所詮他人の褌(ふんどし)でとる相撲、そこには見逃してはならない重要な細部が欠落してしまふ罠が潜んでゐる。この細部を見逃してしまふために、考へたつもりが、なにも考へてゐない、理解したつもりが、なにも理解してゐない、さういふ事態が起きるし、さういふ落とし穴も待ち受けてゐる。

20181015
   < 干された洗濯物から出る水蒸気。それに目をとめるだけで >

なにごともさうだが、見逃されてゐる細部の一事を知ることで、見方考へ方が正反対に変はることもある。しかしさうなることは稀である。この処置に困るところは、自分自身が己の鈍感さや自己欺瞞や不勉強に気づいてゐないからである。もし人が己に誠實であつたなら、時間の経過とともに、やがていやでも、自分の頭でなにも考へてゐない事實を目の當たりにするはずである。

問はれる人間性
さて、中田宏の動画を見た後、もう一度米山隆一のブログの冒頭に立ち返つて、ブログを読み直してもらひたい。中田宏は横浜市長時代週刊誌であれこれ取り沙汰された人物で、その当時のサラリーマンなら、週刊誌を読まなくても通勤電車の吊り広告で中田宏の記事が踊つてゐるのを目にして、あまりいい印象をもつてゐないだらう。

でも、この動画を見て、中田宏の印象を修正できたのではないだらうか。印象や思ひこみは恐ろしいもので、よほどのことがない限り、拂拭できないものである。

だから、「煽情的なタイトル」と言はれると、また「率直に言ってご人格がもろに表出しているお顔を出されたバナーまで貼っておられます(しかし、その人の自由とは言え、よくこんなものを公開できるものだと思います)」と言はれると、つい首肯してしまふのが一般的であらう。

しかし第三者の立場に立つて、客観的に見れば、「率直に言つて」から「よくこんなものが公開できるものだと思います」に相当する動画の部分は、好き嫌ひは別にして、見る人の注意を喚起するため、関心を惹きつけるための演出だといふことが、だれにでもわかるだらう。それを、悪意を持つてこき下ろす。歌舞伎ではないが、これでは大見得など切れたものではない。

「ご人格」「お顔を出された」「おられます」、文脈からして、これら人を小馬鹿にした言葉遣ひを見るだけで、米山隆一の下品さ、下劣さ、下種さが見て取れる。さらにその直後に書かれた「御人格」に及んでは、悪意そのもので「お里が知れる」。




| comments(0) | trackbacks(0) | 03:37 | category: ひと言 |
# 前略 新潟県知事 米山隆一殿 其の四 断罪して片づけたつもりが思考停止 vendredi 12 janvier 2018
これまで米山隆一が書いたものを中心に見てきたが、ここからは問題にしてゐる元横浜市長の中田宏の動画はどうなつてゐるか、動画を確かめてゆく。

百聞は一見に如かず、まず中田宏の動画の中身を確認する。


まず動画の頭で、大阪市長がサンフランシスコ市へ、市長へーーー悪意のある碑文の慰安婦像を(サンフランシスコ市の)公共物にしないようにーーー働きかけた経緯を述べてゐたことがテロップで示される。

動画では、「影響・実害はありません」とした後に、以下のやうに続けてゐる。「ただ大阪市は毎年(この時期、サンフランシスコ市へ)抗議意志を伝えて欲しい。また日本国民もサンフランシスコ市にEメールを送るなど抗議をしてもらいたいと思います」

「特に英語の達者な方は冷静な文章でサンフランシスコ市へ日本人の意志を伝えて欲しいと思います」

碑文には「この記念碑は1931年から1945年までアジア太平洋の13ヶ国において日本帝国陸軍の性奴隷であった数十万人の女性や少女の苦しみを証言するものです」
「性奴隷にされた女性や少女たのほとんどが囚われに身のまま亡くなりました。この陰惨な歴史は1990年代に生存者が勇気を持って声を上げるまで数十年間も隠し通されてきました」と虚僞が書かれてゐる。

ここで、振り返つて、新潟県知事の米山隆一のブログの文章をもう一度読み返してもらひたい。事実を曲げる悪意はどちらにあるのか?新潟県知事の米山隆一か元横浜市長の中田宏か。





| comments(0) | trackbacks(0) | 20:12 | category: ひと言 |
# 前略 新潟県知事 米山隆一殿 其の三 断罪して片づけたつもりが思考停止 mercredi 10 janvier 2018
以下の二文に注目!
 それで飽き足りないのか氏は、「【橋下徹さん後継】大阪市長。慰安婦像のサ市なんて、切っちゃえ!」「横浜市長の経験から、姉妹都市関係を解消したからといって特段の影響・実害はありません」と過激な科白を連ね、あろうことかサンフランシスコ市のメールアドレスを示して、そこに抗議のメールを送るように一般の方々に呼びかけています。

さらに氏は、「【橋下徹さん後継】大阪市長。慰安婦像のサ市なんて、切っちゃえ!」と述べ、「横浜市長の経験から、姉妹都市関係を解消したからといって特段の影響・実害はありません」と報告し、サンフランシスコ市のメールアドレスを示して、そこに抗議のメールを送るように一般の方々に呼びかけています。

灰汁
下の文章は、上の文章の灰汁(あく)を取つただけのものである。

これで灰汁ーーー「それで飽き足りないのか」「過激な科白を連ね」「あろうことか」ーーーといつてゐるものの正体が理解できるだらう。

文の種類
さて、引用文がふたつ並んでゐる。
ーーー「大阪市長。慰安婦像のサ市なんて、切っちゃえ!」「横浜市長の経験から、姉妹都市関係を解消したからといって特段の影響・実害はありません」ーーー

20180110
   < 文章にだつて灯るものがないと >

これらふたつの引用文を見ると、先の引用文は元横浜市長中田宏の考へを述べた「意見文」であり、後の引用文は「横浜市長の経験から」と経験を告げた「報告文」である。

見てわかる通り、種類、性質の異なる文章を一緒くたにして、「過激な科白を連ね」と括つてある。なぜこのやうな粗雑な文章の括り方をするのか。

文章は生き物
前の文章は意見で科白といつてもよい、しかし、後の文章は報告で科白ではない。だのに「過激な科白を連ね」とする。ここにあるのは無神経である。真摯さもなければ、論理性も整合性もない。あるのは誤謬である。

どうしても「過激な科白」といふ表現を使ひたいのなら、「一万歩譲って」先の引用文の意見文に対して用ゐるしかない。さうなると「連ね」られないし、「特段の影響・実害はありません」の後がつながらなくなつてしまふ。つなぎ言葉ーーーあろうことかーーーが意味をなさなくなつて、宙に浮き上がつてしまふ。

かうしてみると文章は生き物であるのがわかる。この文章は、息絶へ絶へで、七転八倒してゐるのがわかるだらう。



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