蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# 『日本の長い戦後』を読みながらー4 mardi 10 octobre 2017
前回は
前回は専門用語流用の弊害を書いた。変はらないと思はれてゐる言葉も、元来言葉は流動的で、常に変化してゐる。近年の特徴は、より詳細な表現を求めだが、専門用語が垣根を越へて侵食してくる。的確に、イメージ豊かに、伝達できると思はれた専門用語が、異分野では、当然だが、本来の意味とは微妙に意味をずらして使用されてゐる。

カタカナ語
カタカナ語は、ファジーに、曖昧模糊として、広いスタライクゾーンで、さうでありながら同時に日本固有な意味合ひをもつて、便利に、簡便に、安易に使用される。だから時として、日本人と外国人の間で、誤解が生じ、意思疎通を困難に、笑ひ話のやうな珍事も起きる。

文化的トラウマといはれると、日本語独特の特徴で、なんとなく分かつた気になる。しかし、具体的になにを言つてゐるのかわからない。トラウマの日本語訳は「心的外傷」、カタカナ語よりも日本語訳の方が、漢字の表意効力が発揮され、イメージ豊かに理解できる。トラウマは身体上の外傷(きず)ではなく、心・精神の内傷(きず)である、とわかる。

では文化的な心・精神の内傷(きず)とはなにか、と目次をみると、「記憶」が取り上げられてゐる。

20171010
   < 写真も意図に基づいて製作される。トラウマも同様か >

人工か自然か
さうかといつて、非日常的な異様な出来事が、必ずしも文化的トラウマをもたらすものではないと、中国の文化大革命を例に挙げて、述べてゐる。さう述べながら、ここで「なぜ中国の文化大革命は文化的トラウマをもたらさなかつたか」を考察してゐない。

文化的トラウマとなる出来事もあれば、文化的トラウマにならない出来事があると述べるのなら、この差異は考察されてしかるべきであらう。特に学術書、研究書とするのであれば、なおさら詳細に、切り込んで、追跡調査し、問題点を解明する必要がある。わざわざ例をあげながら、その例を素通りして、問題としないのは、学術書、研究書としては期待が削がれる。

中国の四川省に留学して学んだフランスの芸術家ファビエンヌ・ヴェルディエ( 1962 - )は、その著『静かなる旅人』で、文化大革命後の日々を書き記してゐる。

文化大革命で否定された人々や伝統否定破壊運動を担つた人々、それぞれの間に、それぞれのトラウマがあつた様子が書かれてゐる。個々の人々は、トラウマに蝕まれてゐた。さうでありながら、しかしなぜ、中国では、文化大革命は社会問題になり、文化的トラウマにならなかつたのか。

分れ目
毛沢東( 1893 - 1976 )が始めた伝統否定の文化大革命、現在の中国の政治体制では、過去の文化大革命を、日本とおなじやうに毎年報道特集として取り上げ、ドキュメンタリーを製作し中国全土に流布し、その問題点を論じることは許されないのは、だれの目にも明白である。

ある国では出来事が文化的トラウマになり、別のある国では文化的トラウマにならない。以上のことから解るやうに、文化的トラウマはある恣意的な影響力で成立する側面があるのがわかる。この恣意的な影響力の正体、それを明らかにしないかぎり、問題の本質の解明には至らない、といふのがわかる。

さういふ観点に立つと、『日本の長い戦後』で問題になる「過去」として描かれた事柄をそのまま信じていいのか、といふ問題が浮上してくる。






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# 『日本の長い戦後』を読みながらー3 jeudi 28 septembre 2017
前 回
前回は、「従軍慰安婦」報道は、虚僞であると朝日新聞自らが謝罪会見したにもかかはらず、その後も「従軍慰安婦」を著書で使用する著者と翻訳者の問題点を指摘した。

虚僞とされたのだから、根底から用語使用の見直しが迫られるはずだが、それがなされてゐない。著者の研究態度に疑問を呈した。

キーワードの落し穴
トラウマ(日本語訳では心的外傷、この訳語はこの病名を過不足なく言ひ表してゐる)とは、本来精神医学用語である。その精神医学用語が『日本の長い戦後』のキーワードになつてゐる。
しかし、医学用語で歴史が解読できるのか疑問である。用語の流用には危険が伴なふ。用語の流用はあくまでも流用であつて、用語の立場に立つたご都合主義の解読に脱しかない危険性がある、と用心しておいたほうがよい。

事実、世論の統計の数字が、色付けのない公平、中立、客観的なものと主張され、多用されるが、これも虚僞で、逆に公平、中立、客観性を装つた偏つたものである。

20170928
   < ゆく川の流れは絶えずして、しかも >

客観的といふ嘘
もし数字が客観性の権化なら、各新聞社の世論調査の集計数字に、なぜ逆転するやうな差異が生じるのか。答へは簡単である。設問文に、すでに色付けがなされ、ある方向に誘導する文言が忍ばせてあるからである。

それだけでなく調査対象者も問題になつてくる。

電話調査ひとつを例にとつても、家にゐて目の前で固定電話の着信音がしてゐても、無視する若い世代、反応しても電話に表示される番号を見て拒否する人、さうではなく無条件に、電話がなつたから出なくてはいけないと盲目的に応対する世代、さういふ態度からもわかるやうに、結果的には、偏つた集計数値が誕生する。

さう知りつつ、報道は数字は公平、中立であると主張する。

引用や要約が論旨に合はせて改竄されるやうに、数字も、上で見たやうに、同様の宿命をもつ。専門用語が異なる分野に用ゐられると、語本来の様相を変へ、複雑な問題を誘発してゐるのは、すでに指摘されてゐる。これが客観的、無色透明といはれる統計数字の正体である。



| comments(0) | trackbacks(0) | 19:04 | category: ひと言 |
# 『日本の長い戦後』を読みながらー2 dimanche 24 septembre 2017
従軍慰安婦
おそらくこの本は、個人的な偶感などではなく、学術書として、準備して書かれたものだと推察できる。だが、それにしては、得心のいかない言葉が、断りもなく、無神経に、使用されてゐる。

二〇一四年八月五日、紙面上で従軍慰安婦の虚僞訂正記事を発表し、同年九月二七日にも、テレビで多くの人に知らせるために、会見の場を設け、朝日新聞社社長や取締役編集担当者らが慰安婦問題で虚僞を報道したと謝罪した。

二〇一四年九月二七日「しんぶん赤旗」でも、八月五日の朝日新聞の記事を検証し、それに準じて信憑性がなかつたとして、過去三回( 1992 - 1993 )にわたつて掲載した記事を取消し、謝罪するといふ記事を掲載した。

20170924
   < 焦点があつてゐないのは愛嬌として >

つまり三流なのか
しかし、『日本の長い戦後』では、さういふ状況であるにもかかはらず「従軍慰安婦」といふ単語が用ゐられてゐる。著者は日本人で、現在も生存してゐるやうだ。さらに、この本を書くにあたり日本で、高校などで聴取り調査もしてゐるやうだ。

この本の翻訳者も、朝日新聞の謝罪会見は見知つてるゐると想像できる。仕事に関はる情報なのだから当然と見做しても問題ないだらう。さういふ事実を知りながら、学術書といふものを翻訳するにあたり、虚僞として取消し訂正された「従軍慰安婦」を訳語に使用する。

この訳語について、著者と訳者で、聯絡をとり問題にしなかつたのだらうか。この本が発行されたのは二〇一七年七月十八日。謝罪会見から三年が經過してゐる。だのになぜ「従軍慰安婦」なる用語がこの本で使用されてゐるのか。

学者、翻訳者として、なにも感じないのだらうか。





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# 『日本の長い戦後』を読みながら−1 lundi 18 septembre 2017
検索の日常化
一字一字、活字を拾つて本を作ってゐた時代と、DTPといつてコンピュータを使つて本を作るやうになつた現在で、本の様相は様変はりした。

なにが変化したかといへば、活字などの物理的なものはさておいて、本の末尾に索引が設けられ、検索が容易になつたことである。いまやパソコンを立ち上げれば、だれでも検索する。検索は日常で、検索をしない日はない。検索と空気はおなじくらい日常的になつた。それほど検索は日常に溶け込んでゐる。

では、それ以前の検索はといへば、国語や英語の辞書を引くこと、はたまた百科事典を調べることくらいで、検索行爲は非日常的、特殊、特異、限定的な行爲であつた。

日本語や英語の言語辞書の類は直接その言葉を検索すことができたが、百科事典では言語辞書のやうな方法では、目的を適へることができなかつた。言語辞書と百科事典では分類方法が異なつてゐたからである。だから、そのためにわざわざ百科事典の検索の仕方を指南した本が、別に販売されてゐた。

まして検索を駆使するやうなことは多くの人にとつてはあり得なかつた。さういふ事情も手伝つて、その昔は索引が設けられた本は、それだけで価値があるとみなされてゐた。しかし、いまはといへば、コンピュータの検索ソフトを使用すれば、わずかな労力で、簡単に、しかも百パーセントの精度をもつて索引を作ることができるやうになつた。


20170918
   < 付箋紙。これも一種の検索のため >

索引、検索にはさういふ変遷があるのを心に留めておく必要もある。だから、その昔は、作品の言葉の使用頻度を調査するのも研究の一部であり、研究に携はる人たちの人力ーー根気、忍耐、集中力ーーに委ねられ、さらにそのうへ膨大な時間を要した。だから、かういふ調査が研究者の業績にもなつたのである。しかし止まれ、それも今は昔である。

検索の可能性
検索で見逃してはならないのは、アマゾンの検索機能である。アマゾンは日本を市場にし、日本から利益を上げてゐるが、日本への納税はゼロだといふ企業である。その他にもアマゾンには多くの問題を抱へてゐる。しかし、それは別問題にして、それ以上にアマゾンの検索機能、精度は、他の検索エンジンの追付いを許さないものがある。この検索機能の充実がアマゾンをアマゾンならしめてゐる。

ところでだれにとつても索引行爲が日常的になつた今日、本を購入するときなども、目次をみて拾ひ読みするだけでなく、本に附された索引に眼を通し、引用回数の多い用語に着目することで、以前にも増して、本の内容をより詳細に窺ふことができるやうになつた。

また作品に使用される用語を知ることで、どの部分が論じられ、どの部分が論じられてゐないかを知ることもできる。それは読む人にとつて、貴重な情報になる。論じられる論点や歴史的文脈を予め伺ふことは、読む本の理解を助けるだけでなく、理解を深める一助にもなる。また、これらは多層、多様なものの見方、立体的な見方を意識させてくれる。





| comments(0) | trackbacks(0) | 12:58 | category: ひと言 |
# 野党が萬年野党なのには理由がある mardi 12 septembre 2017


あげ足とり
自民党総務会長の竹下亘ーーこの人も二世議員か族議員か知らないが、政治を家業にして政治家が固定するのは問題だと考へるーーが「島根に落ちても何の意味もない」と発言した言葉尻をとらへて、暴言が許せないと共産党の副委員長が非難してゐる。

発言の真意は、子供でもわかること。それを恥ずかしげもなく党の二番手が難癖をとつける。挙句落しどころはどこかといへば「地域」とくる、考へた痕跡すらない結論。愚かとしか言ひやうがない。

20170912
   < 青天の霹靂 >

ポーズだけ
見せかけの怒りの記事は「しんぶん赤旗」(九月六日)に以下のやうに掲載されてゐる。

北朝鮮によるミサイル発射予告をめぐり「島根に落ちても何の意味もない」と発言したことについて、「国民の命を守ることを真剣に考えているのかと疑問を持たざるをえない暴言だ。自分の選挙区の住民の命をまともに顧みない発言であり、到底理解できるものではない」と厳しく批判。

自民党には、地方を無視し、切り捨てる思想が脈々と受け継がれているのではないか、とも。


20170912
   < いつか国民の怒りが爆発する >

税金泥棒の政治屋たち
愚にもつかないことで、非難、難癖をつける暇があるのだつたら、国民一人一人の生命のために一刻も早く核シェルターを作くれよ。どの党に限らず、国民の生命を守る、それが国民から選ばれた政治家がすることだ。

つねに野党に安住して政治で遊んでゐる政治屋たち。だから、建設的な反対意見も述べられない。碌でなしの穀潰しそのもの、愚の極まりの政治屋連中よ。







| comments(4) | trackbacks(0) | 19:28 | category: ひと言 |
# 日本の核シェルター mardi 5 septembre 2017


現実とは
窮鼠猫を噛む。その窮鼠にだれが鈴をつけるか、と騒いでゐる。

人間は凡庸で、現実を直視できず、自分の好きなやうに切り取つて、これが現実だと主張してゐる。

証拠は山ほどある。まず、日本国憲法の前文。この前文通りなら、世界は平和そのもののはずである。しかし、現実はさうでない。

自助努力もせず、アメリカの核の傘下にゐるのを承知しながら、日本は七二年間平和憲法のおかげで平和であつたと言ひ募る平和愛好家たち。

20170905
   < 人間が存在する。だから意味が生まれる >

いまこそ試されるとき
話合ひこそがと言ひ続けてきた人たち。いまこそ話し合ふために行動を起こすときだ。これまでの主張をいよいよ実際の行動に移せる時だ。ぜひとも、お手並み拝見とゆきたい。

核シェルターが語る超・現実主義者のスイスとそこに住む人たち。さうしてその対極にある日本をはじめとしたアジアの人々の現実感覚。

「人の命は地球よりも重い」といつた爲政者がゐた。しかし、さう言ひながら、日本の核シェルターはほぼゼロといふ現実。寓話の世界そのままである。

ところで一人の国会議員が七日から訪朝の予定ださうだ。この時期、この議員を現政府がどう使ひ熟せるか。見ものである。








| comments(0) | trackbacks(0) | 09:38 | category: ひと言 |
# いまも昔も性根は不変 dimanche 3 septembre 2017


カネにならないから
現金なもので九月になればこの話題は流行遅れなものになつてしまふ。なにがといつて戦争もののことである。八月十五日に合はせて、毎年、これでもか、これでもかと懺悔や告白もどきの番組がつくられる。学ばないことを幸いとばかりに、懺悔ものが果てしなく作られる。

しかし、八月の十五日が過ぎれば、といへばどこのメディアもあつさりと知らぬ顔を決め込む。なぜかうなるのか。金儲けにならないからだ。浅はかといへば、どうしやうもなく浅はかである。日本のメディアが、毎年毎年性懲りもなく、日本人に、無責任にも、罪悪意識を擦り込んでゐるのである。

執念深く
こちらは、しつこいから、九月になつても、気にかかる戦争ものを調べてゐる。いま読んでゐるのは『真実の「わだつみ」学徒兵 木村久夫の二通の遺書』である。この二通は、一通は残るものとして紙に書かれたもの、もう一通は死の直前まで繰り返し読んだ本の余白に書き込まれたものである。

本に書き込まれたものも『きけわだつみこえ』に編集され、加えられた。しかし削除された文章もあつた。その文章は単語ひとつを入替へれば、いまも通用する真実の文章ばかりである。そのいくつかを上げて置く。再考の契機になれば幸ひである。

20170903

性根は不変
日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちの予測してゐた通り、やはり国を滅ぼしたやつであり、すべての虚飾を取り去れば、我欲そのもののほかは何ものでもなかつた。

労働者、出征家族の家には何も食物はなくても、何々隊長と言はれるやうなお家には肉でも、魚でも、菓子でも、いくらでもあつたのである。以下は語るまい、涙が出てくるばかりである。
天皇崇拝の熱の最もあつかつたのは軍人さんださうである。「天皇の命」と彼らの言ふのは「軍閥」の命と言ふのと実質的には何ら変はらなかつたのである。ただ命に従はざる者を罰する時にのみ、天皇の権力といふものが用ゐられたのである。

精神的であり、また、たるべきと高唱してきた人々のいかにその人格の賎しきことを、我、日本のために暗涙禁ず能はず。



単語さへ入替へれば、いま現在も、そのまま通じる文言ばかりである。





| comments(0) | trackbacks(0) | 21:12 | category: ひと言 |
# 胡散臭い編集とさうでない編集 mercredi 30 août 2017


渡辺一夫の「偶感集」に「きけわだつみのこえ」がどのやうに編集されたかが書かれてゐる。

編集方針があつて、その方針に合致した手記を選んで編集されたさうである。全体の何割を占めてゐたか不明だが、方針に合致しなかつた手記は、割愛され、日の目を見なかつたたさうである。

真実を知るために、この編集方針は正かつたのかと問へば、答えは明白である。真実を知るためには、編集方針にとつて不都合な手記も、重要な意味をなす。それが欠落してゐるのだから真実にはなり得ない。

時間の遠近法のなかに、今一度「きけわだつみのこえ」を置いてみると、歴史を知るための資料としては、価値が大幅に失はれてしまふ。もし渡辺一夫の編集方針に従つてゐればと悔やまれる。

20170830
   < 子孫を繁栄させるために人間のできることは? >

見たいやうに見るために編集する。現在これがまかり通つてゐる。なにも渡辺一夫でなくてもよい。心ある人が見たなら、いま現在の日本の報道の現実をどのやうに見るだらうか。

たしか渡辺一夫の座右の銘は「群盲撫象」であつた。人間の限界を意識したものだ。著作集の表紙にそれを表す版画が使用されてゐる。

かつてメディアが日本人を戦争へ誘導した。報道に関はる人たちが謙虚にならないと、またおなじ道を歩みさうである。さうさせないためにも国民一人一人がメディアの横暴を監視し、違うふといく声を出していく必要がある。なぜならばメディアの程度は国民の程度でもあるだから。




| comments(0) | trackbacks(0) | 18:48 | category: ひと言 |
# 八月になると思ひ出す本 jeudi 24 août 2017
例年ことだが、自分でもなぜだかわからないのだが、八月になると本棚から取り出して読む本がある。大江健三郎が敬愛してやまない渡辺一夫の著作集である。

今年は渡辺惣樹が訳した『裏切られた自由 上』を読み、再読する前におなじく渡辺惣樹訳の『ルーズベルトの開戦責任』を再読し、さうして渡辺一夫の「偶感集」を読んだ。

読みながら、だれもが有限で、時代の枠のなかでしか生きられない、と痛感させられた。いかに優れた人であらうと、時代の思考から抜け出すことはできない。渡辺一夫もその例外でない。

20170824

生きてゐる人間のせめてもの務めは、知ろうとする努力だらう。知つて修正して更新していく。歴史は、新資料の発見や資料の解禁によつて、修正されていくのが當然である。

しかしいまは歴史を修正することが歴史修正主義者として断罪される時代である。この二十一世紀も魔女を裁いた時代と大差ない。魔女はなぜ裁かれたかを知ると慄然とする。

歴史修正主義者を断罪するのも、魔女裁判と変はらない。顕になつた真実以上に死守したいものがある。だから裁く。死守したいものとはなにか、なぜそれを死守したいのか、時代は変化してゐるが死守してどうするのか、さういふことを考へる必要がある。






| comments(2) | trackbacks(0) | 19:35 | category: ひと言 |
# 報道する自由 報道しない自由 vendredi 18 août 2017


盆の最中に、豪華列車「四季島」の人身事故がニュースになつた。ニュースの力点はどこの置かれてゐたかといへば、単に「初の」といふ点である。「WHY」とか「HOW」ではない。本来「WHY」と「HOW」が特殊だとニュースになるが、この事故にはそれはない、だがニュースになつた。報道する側の選択、つまり「報道する自由」でニュースになる。「報道しない自由」で報道しなくても一向に問題ならない出来事である。

これも同じ時期にテレビ朝日が報道したニュース。見出しは「東京・福生で、10代の少女にわいせつな行為をしたとしてアメリカ軍横田基地で働く男が逮捕されました」。わざわざ「アメリカ軍横田基地」と断るのだから、事件を起こしたのはとうぜん基地に勤務するアメリカ軍人かと思ふとさうではない。

20170818
   < 注意を奪はれるのではなく注視する人となる >

容疑者名は日本人名である。なぜ勤務先を「アメリカ軍横田基地」とするのか。勤務先が異なれば見出しには登場しないだらう。つまりは不要な文言である。ところでなぜ「アメリカ軍横田基地」とあへていふのか、印象操作を滑り込ませるためである。しかしこれも「報道する自由」らしく臆面なく報道してゐる。果てしなくゲスな報道である。






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