蛮茶菴

フォト・エッセイ ごまめの歯ぎしり
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# YouTubeこれぞ表現の不自由劇場 dimanche 12 avril 2020
YouTube を見る人はだれでも知つてゐるだらうが、まづはじめはバンといふ抹消現象が起きた。特定の個人の番組を狙ひ打ちした要請削除。それが思ふやうに行かないと今度はヘイトの名を借りた言葉狩りに転じた。

なんでもない普通名詞が禁止用語となつて使用できない。かういふことが常態化してゐる。これは異常だし、この状態を黙認してゐるわけにはいかない。つまりは平然と言論弾圧してゐることになる。

20200412
   < すべて手作業、どこに人工知能がある? >

既存の報道を見たり聞いたりしても、時間の浪費になるだけで、ほんとうの情報を知ることはできない。逆にあらぬ方向に向けられてしまふ。

YouTube の人工知能のプログラムは、判断を下す状況から見て、人工知能と呼ぶには失笑もののチンケなものであるのが歴然としてゐる。人工知能といふ言葉に騙されてはいけない。粗悪な人工知能が人工知能として幅をきかせてゐるのである。仕掛ける側の思ふ壺に嵌つてはいけない。

20200412
   < すべて手作業、どこに人工知能がある? >

信金などの規模の小さな銀行で、つい限度額を忘れて、送金しようとして、突然画面が真っ黒になつた経験がだれしもあるだらう。付近には案内の行員もゐない。突然画面が真っ黒になると状況が理解できず、ただ理由なく拒絶されたやうで、無性に怒りが込み上げてくる、腹立たしくなる。

20200412
   < すべて手作業、どこに人工知能がある? >

さうでない銀行で、限度額を超えて送金しようとすると画面に「限度額を超えてゐます、窓口に行つてください」といふ案内が表示される。こちらではその場に案内の行員がゐて、すぐ声をかけてきて、窓口へ案内してくれる。

この相違、プログラムでたつた一行のことである。だがその一行が、銀行の規模によつて、追加できない。金額にしたらいくらでもない。だけど追加できない。これが現実である。これからもわかるやうに、プログラムの精度は問題にされず、人工知能といふ名を借りて、体よく誤魔化されてゐる。

20200412
   < すべて手作業、どこに人工知能がある? >

誤魔化された結果、567、C国、NK国と言ひ換へないといけない不自由な状態になつてゐる。これぞ弾圧だ。変だと声をあげないと人間の尊厳もあつたものではない。イデオロギーに与し、それ以外は徒党を組んで弾圧する、これそのものが思考の放棄、人間の放棄である。徒党を組む人間が、人工知能の名を借りて、個人としての人間の表現を弾圧してゐる。





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# 香港で第二の天安門事件が起きつつある mercredi 14 août 2019
香港のデモが第二の天安門事件にならぬやうに、いまPCの前に坐つてゐるこの自分も出来ることのひとつを紹介します。



新唐人TVのコミュニティには以下のやうに告げられてゐます。

中国共産党をテロ組織として認定するように求めるホワイトハウス請願サイトができています。

#拡散希望 
https://petitions.whitehouse.gov/petition/call-official-recognition-chinese-communist-party-terrorist-organization


署名をお願ひします。

#香港デモ
香港のデモの実情を知るにはこちらのアドレスから!
https://www.youtube.com/user/NTDTVJP










| comments(0) | trackbacks(0) | 20:07 | category: ひと言 |
# 香港7月26日 2500人が空港に集結 vendredi 26 juillet 2019
七月二六日の新唐人TVで香港空港ロビーでの香港デモを見た。
動画サイトはこちら。https://youtu.be/flmjXTW6N6A

熟考に熟考を重ね、考へ尽くした選択結果、つまり「世界の良心に訴えへる」最良の場所だと考へたのだらう。
よくぞ考へついた、と感心する。

一人でも多くの人が関心をもち、関心を寄せ、応援したら、世界が変はるかもしれない。

このブログだつて塵芥にも満たない電子空間に漂ふものでしかない。

しかしさう言ふことはどうでもいい。大切なことは、応援の意思表示をすること。

加油 香港の人たち!

応援してゐます。
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# 崩壊 朝日新聞 vendredi 17 mai 2019
あるところで「はせがわ ひろし」といふ名前を耳にした。同時に崩壊する朝日新聞といふ本を書いた人だとも聞いた。無学だから何も知らない。どちらも初耳のことで、長谷川煕(はせがわ ひろし)といふ漢字も知らなかつたし、『崩壊 朝日新聞』といふ題名の本があることも知らなかつた。

市の図書館のホームページで検索して長谷川煕の著作を借りてきた。一応『改訂版 崩壊 朝日新聞』( 2018/06/26 )をはじめとして『偽りの報道 冤罪「モリ・カケ」事件と朝日新聞』( 2018/02/26 )『こんな朝日新聞に誰がした?』( 2016 )『アメリカに問う大東亜戦争の責任』( 2007 )の計四冊を借りてきた。改訂版前の『崩壊 朝日新聞』は二〇一五年に出版されてゐる。

ついでに朝日新聞が著者・小川榮太郎と出版社・飛鳥新社に対して五千万円の訴訟を起こした『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』( 2017/10/22 )も借りてきた。ちなみに朝日新聞が訴訟を起こしたのは、本書が出版されたほぼ一ヶ月後の二〇一七年十一月二六日である。

日時を押さへておくことで、状況が見えてくる。子供の喧嘩ではないから、それ相応の準備が必要である。同様のことを知る限りでは、訴訟を起こすと云はれると、これまで多くの著者や出版社は出版を継続することを断念してきた事実があることを知り得る。それは一件や二件ではない。「訴えると脅しながら抗議」するのは朝日新聞の常用の脅し文句のやうである。

この場合も他の多くの場合とおなじやうに、訴訟を示唆すれば出版継続を断念するだらうと信じてゐた節がある。しかし予想に反して、実際、受けて立たれ、裁判沙汰になつてしまつた。故意な虚僞、捏造があれば当然だが、小川榮太郎の本は可能な限り、實証的に、意見を述べてゐるだけだと判断できる。

日々の紙面で、言論の自由を主張し、分を超へた独り善がりなオピニオンリーダーとして、論陣を張つてゐる新聞社が、返す刀で、自社の意見、主張に反する個人の考へ、個人の意見、個人の言論を訴へ、抑圧するかのやうな奇妙な訴へとなつてゐる。

20190517

その延長からすると、長谷川煕の二〇一八年に出版された二著も裁判の対象になりさうであるが、さうなつてゐない。なぜかと思ひながら本に紹介された著者の略歴を見て、漫然とした、やり場のない、形容しがたい感想をもつた。

略歴によると長谷川煕は一九三三年生まれ、六一年朝日新聞入社、九三年定年退職となつてゐる。長谷川自身も『崩壊 朝日新聞』のまえがきで「私は一九六一年に朝日新聞に入社し、九三年に定年退社し、その後も、八八年創刊の時からいた雑誌『AERA(アエラ)』に一年間の嘱託として、後はフリーの社外の筆者として、そこを舞台に取材、執筆を続けたが、この本を書くために、二〇一四年八月末をもってその『アエラ』から消えた」と述べてゐる。

「なぜ、この本を書くのか。二〇一四年八月五日に、(筆者は)その日の朝日新聞朝刊の、あの特集を見たからである」と語つてゐる。

あの特集とは、慰安婦誤報記事である。

長谷川煕は改訂版ではない『崩壊 朝日新聞』のまえがきで、つぎのやうに述べてゐる。長文だが引用する。

「日本統治下の朝鮮の女性たちをかつて突然当局者が襲い、強制連行して従軍慰安婦にしていたというその実行者の証言は実は虚偽だったと認めた。が、その証言を取り上げた関係記事をすべて取り消すことを明らかにしつつも、内外に深刻な影響を及ぼしてきたその虚報を、そもそも裏付けも取らずに紙面に載せ続け、その報道に各方面から疑問が高まってからも長く放置してきたことに一言の詫びもなく、問題は、長年にわたり報じてきた官憲の強制連行ではなく、慰安婦が存在したというそのことであると話をすり替え、開き直っていたのである。
 この威張り返った、そして物事をごまかす態度に愕然とした。私はこの特集を見て、この新聞社は、(中略)この八月五日をもって最終的に新聞の実質は終わった、崩壊した、と感じた」

20190517

その動画は YouTube で、いまも消されず残つてゐて、見ることができる。いつ消されるかわからないが、しかし動画のアドレスだけは貼つてをく。この会見を見た人も見なかつた人も、時間を置いて、いま一度、時の一コマとして見ると、客観的な見方をもたらすのではないか、さうしてもう一度考へる機会が得られるのではないかと思ふ。

https://www.youtube.com/watch?v=sPeXA9w1Bys

このやうな長いまえがきをなぜ引用したかといふと、朝日新聞の本質、特徴を示す三つの言葉が散りばめられてゐるからである。
一 裏付けを取らない
二 一言の詫びもない
三 ごまかす態度

この三つの態度は戦前から戦後になつても終始一貫して不変である。戦前あれだけ国民を戦争に向かつて焚きつけておいて、敗戦直後、臆面もなく、掌を返し、百八十度轉換しての再出発にあたつてのレトリック「国民と共に起たん」も、ごまかし態度の典型である。

さらに、慰安婦補償に関しては日本国民の税金が費やされてゐる。この費やされた金に対しても禁忌にして触れてゐない。本来なら朝日新聞社が総額国民に返金して当然の金である。











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# 元号の意義 lundi 6 mai 2019
元号のはじまりは、紀元前百四十年、漢の武帝の「建元」がはじめとされる。武帝の影響下にあつた人々はこの元号の元で生きたであらう。

日本の国号、王号、元号は、日本の最初の元号「大化」に遡るとわかる。白村江の敗戦後、倭国は防衛のためにそれらを三位一体のやうに整へた。大化以前に国号日本はなく、大化をもつて日本がはじまり、さらに王号、元号がはじまる。それ以前の日本は、魏志倭人伝からもわかるとおり、倭国であり日本ではなかつた。

欧米の年号は西暦で、西暦は紀元前、紀元後、に分かれる。紀元前はBC、紀元後はADが使用される。BCは Before Christ、ADは Anno Domini と学校で教へられるところである。

紀元前の時間と紀元後の時間には決定的な相違がある。 AD の名称からもわかるやうに、時間は神に属するものになつた。その証左は、時を告げる教会の鐘楼である。

20190506

シェークスピアの『ヴェニスの商人』、これはキリスト教教会が時間を管理してゐた時代を背景にしてゐる。その神聖な時間を利用して商人が金儲けをすることは。不敬で許されることではなかつた。だから判決はあのやうな不可能なことになる。

時間を神から人間の手に委ねたのは大航海時代である。航海の安全と実利を確実なものにするのに、海図の必要性が生まれ、精度の高い海図を作るにはより精度の高い時間が求められるやうになつた。かういふ時代の実利的要求に応へて時間が神のものから人間の手に移つて行つた。

日本が西暦を知るのは、江戸時代終焉以降で、一世紀強といふ短い期間でしかない。それ以前の日本はと言へば、太陰太陽暦の旧暦を使つてゐた。また元号は七世紀半ばから用ゐられてゐた。

20190506

いま元号は不要といふ人々がゐる。しかし、さういふ人々に熟考してもらひたい。千年以上も続き、日本独自なものを育ててきた伝統の元号をなぜ消し去らうとするのか?単に煩雑だからといつて、消し去らうとするのはこれまで形成してきた文化の放棄、抛擲、抹消でしかない。それにわれら日本人の自己放棄、自己喪失、自己壊滅でしかない。

世界基準なるものに基づき、度重なる計量法の改正で、われら日本人は独自な尺貫法などを失つた。そのことで日本の人々は、日本の文化はなにを失つたか。振り返つて、イギリスやアメリカなどは、インチ、フットにはじまり、独自な単位を守り続け、現在も使用し続けてゐる。これはなにを意味するのか。

単位にも独自な文化が詰まつてゐる。元号は尚更である。元号には時間だけでなく、その時代の多種多様なものが詰まつてゐる。それをなくしてしまふとなにを喪失するか、熟考してみる必要がある。










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# 「自分のことは自分で」 自分を喪失する前に mardi 30 avril 2019
下校時間になると日々子供の声で、「いつも見守つてくださり、ありがとうございます。今日もよろしくお願ひします」と町内放送が流れる。だれかが作文した文字列、しかしそこには自助努力の言葉はない。この他力本願な内容の放送は、町内に限らず、市内、県内、ひよつとしたら日本全国一斉に流れてゐるのかもしれない。

放送でさう宣言して、守られてゐる、保護されてゐると信じて帰る児童たち。さういふ子供たちの列に遭遇することがある。子供は元来気ままである。元気なのはいいが、見守りに立つたヴォランティアも見てゐるだけで、注意をしない。だから、列はあつてもなきの如し、ここまで許容されるのか、と思ふ場面を散見する。

それでなくても放送のお墨付きがあり、町内のヴォランティアが出て、下校の通学路の辻に立つたり、列についたりする。だから必然的に子供たちは守られて当然と、注意しなくなる。これでは放送もヴォランティアも害にこそなれ益にはならない。

なにかを身につけるためには、飽きることのない日々の繰返し、ドリルが必要だ。子供が精神的に自律するにも、同様のことが必要だ。下校時の子供たちを見てゐて、それが欠落してゐることが気にかかる。気づいてゐるのか、気づいてゐないのか、さうさせてゐる大人にも大切ななにかが欠落してゐるのが感じられる。

20190430
   < 道具に使はれるのか、道具を使ひこなすのか >

しかし、この問題を提起したとしても、理解されなかつたり、厄介がられたり、仮に賛同を得ても、わざわざそこまでして波風たてる必要はないと。結局は言はれた義務を無難に果たせばいいういふことになり、ことはなおざりにされる結論に至る。

その昔「自分のことは自分で」と言はれて育てられたものである。わが身を守る注意だけに限らず、なにごとにも共通して言へる。それが欠落してしまつて久しい。重要なことなのだけど、だれもなにも言はないし、問題にしもしないし、気づきもしないやうである。


この「自分のことは自分で」といふ観点で、いまの日本の現実を見て観ると問題が山積してゐるのがわかる。労働人口が足りないからといつて、問題の本質を見極めもせず、単純な足し算引き算んで数字の帳尻を合はせてゐる。それも低賃金で。それでは問題の解決にならない。

「自分のことは自分で」やれば外国人労働者、つまり移民は必要なくなる。さらに自分の劣化に歯止めもかかるといふ期待もできる。本来自分の問題である問題を棚上げにして、別なところに解決を求めても、結果は目先の統計の誤魔化しでしかなく、一向に本質の解決になつていかない。


20190430
   < フェイク・ニュースとはこのやうなもの >

介護職の給与を一つ例に挙げるだけでもわかる。生活が成り立たないほど給与が低い。また国家試験を受けて有資格でありながら、その職種の給与が低くて、生活ができない。だからなり手がない。さういふ見過ごせない問題を見過ごして、海外から働き手を求める。

数字合はせで、このまま外国人労働者受け入れて、移民政策を推進すれば、日本人である自分の劣化がいま以上に進む。日本がダメになるのが、この時点で既に明らかである。

かつては市井に知恵といふものがあつてその知恵が生きてゐた。いかに有識者といつても市井の知恵に反したことをすれば、世間から相手にされなかつた健全さがあつたが、いつからか逆転してしまつた。いまは小賢しい屁理窟が幅を利かす時代である。

しかし、小賢しさが露見して、だれが見てもわかるやうになつてから、対応してゐては手遅れで、手の施しやうがなくなる。至急対策する必要がある。放置しておくと下校時の児童同様に、どうしやうもなくなつてしまつた自分をそこに観ることなる。

かつて集団就職の若年労働者を金の卵といつてもて囃した時代があつた。低賃金で若い労働力が安易に手に入つた時代である。その時代が終はると、安い労働力を求めて、触手が発展途上国に動いた。経営のためといつて、それはいまでも続いてゐる。

20190430
   < 信頼できるニュースとはこのやうなもの >

その結果が回り回つて外国人労働者、さうしてその定住化、つまり移民国家化、文化喪失になりかねない。目先の金勘定に捉はれずに、餘分に金がかかつてもよい、自分が自分でゐるために、文化が文化であるために、せめて「自分のことは自分で」やらうよ。さうすれば肉体も精神も健全でゐられる。おまけに子孫のためにも二流国三流国に転落させなくて済む。

ところでもう一つ覚えておかなければいけないことがある。外国人労働者受け入れを、一見、合法的に決めた有識者の存在である。一見といふのは、ちよつと見た目は合法的といふことである。これからもわかるやうに、裏を返せば非合法なのである。

その非合法をそのまま見過ごしては民主主義が破壊されてしまふ。民主主義が破壊されないやうに、だれが金を懐に入れるか見極めなければいけない。さうしてその人物を許してはいけない。民主主義を堅持するためにも金は必要である。踏ん張るといふのはさういふことだ。

日本は形式だけは民主主義だが、その実は非民主主義である。報道しない自由、さう言はれる情報を見れば明らかである。極論だが、ニュースはすべて嘘、フェイクであることからもわかる。考へる素材、情報が嘘、フェイクなのだから、まともな思考はできない。さうさせてゐるのが日本のメディアである。







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# 民意は多様といふ類ひの騙(だま)し文句 vendredi 19 avril 2019
『日本の長い戦後』の言ひ残しの蛇足編として、これを書く。

言葉は常に危険と背中合はせである。事実を告げるかと思へば虚僞をも告げる。虚僞と事実は紙一重、事実を告げながら虚偽を告げて他人を欺く。

人は言葉で騙す。人は他人(ひと)を騙すつもりで、自分をも騙す。言葉を生業にしながら、言葉をもてあそぶ愚を恬然とやつてのける輩がゐる。

かういふ輩は、夜毎日毎、『クリトン』を何千回、何万回、くり返しくり返し読んでも、ソクラテスの言葉は毫末も届かない。言葉が届かないのだから、理解など以ての外である。

20190419
   < この木や鶯、だれのためでもない、ただ自らのために生きてゐる >

さういふ輩に限つて、「民意は多様」「広義の強制性」「国民と共に起たん」などと小賢しく嘯いて、虚勢を張つてみせる。挙げ句の果ては、その虚勢で人の心も弄ぶ。さういふ如何ともしがたい輩が夥多とゐる。

期待など夢のまた夢だが、この輩に、もし万が一、ソクラテスの言葉が届きでもしたら、ソクラテスの覚悟の前に、赤面して、生きていけなくなるだらう。










| comments(0) | trackbacks(0) | 16:25 | category: ひと言 |
# 『日本の長い戦後』 その七 mercredi 17 avril 2019
この『日本の長い戦後』を読みながら感じたことは、この著者も、大多数の定期購読者と同様、朝日新聞の報道を信じてきた被害者だ、といふことである。それだけでなく、不憫にも、いまも朝日新聞信奉者である、といふことである。

日本の報道企業はどう考へても朝日新聞を頂点にした競争のない独占企業である。だから報道されたことを信じるのではなく、吟味してみる必要がある。

吟味の仕方は多種多様にあるが、最大の効果が期待できるのは、E.T.ホールの『沈黙のことば』を持ち出すまでもなく、時間のなかに置いて、時系列に沿つて、吟味することである。

吟味が、過去に遡り、その奥行きが深くなればなるほど、埋もれてゐた過去の事実を知ることになる。さうすればするほど、意図的に消されてゐた不都合な事実が明らかにされる。さういふ事実を時系列に並べると、それだけで隠されてゐた事実が語り出す。

前坂俊之の『大平洋戦争と新聞』(講談社学術文庫)を読む。せめて文庫版前書きと第一章を読むだけでも、過去の新聞の報道の一面を知ることができる。と同時に、現在の新聞の置かれてゐる現状を念頭に置いて、過去の記事を読むと、本質は微動だにも変はつてるゐないのが明らかになる。さうして現在も自分で、自分の首を絞めてゐる図柄が浮かびあがつてくる。

日本の新聞は機関紙「しんぶん赤旗」と同類である。多くの人が信じてゐるやうに、新聞は、民衆が考へるために、考への基本となる情報を提供してゐるわけではない。戦前は右にすり寄り發行部数を増やして金を稼ぎ、戦後は権力を監視すると主張して、發行部数をゆるぎないものにして金を稼ぐ。つまりはどちらに転んでも情報で稼ぐ銭ゲバに過ぎない。

20190417
   < 美しい日本の その一 >

「ソクラテスの弁明」と対になつて「クリトン」がある。ソクラテスは、法廷での釈明にもかかはらず死刑を宣告される。牢に入つてゐるソクラテスのもとにクリトンが来て、宣告に従ふ必要はないと脱獄を勧める。しかし、それを断りソクラテスは刑に服する。

新聞が銭ゲバたる銭ゲバの所以は、敗戦後の再スタート時の詭弁ーー「国民と共に起たん」ーーに全てが集約されてゐる。国民を騙し戦争へと煽つた新聞が「国民と共に起たん」といつて詭弁を弄する。ソクラテスは毒をあおり、自らの命を絶つた。かたや言ひ訳をし、詭弁を弄して、現在今日も醜態をさらけ続けてゐる日本の新聞。時はそれを語つてゐる。

さてその証拠を『日本の長い戦後』の「語らない父」に見ていく。

この「語らない父」といふ見出し、それだけで、戦争に行つた父は、すでに断罪されてゐる。戦争に行つた父は、戦争を「語らない」後ろめたさをもつ人として、裁かれてゐる。しかし至極あたりまえに考へて、国民の義務として戦争に行つた父がなぜ裁かれなければいけないのか。

本人の意思とは無関係に、戦争といふ殺戮の日常に直面させられた父、その父たちが、さらに戦後、戦争を語らないといつて断罪される。なぜ、さうされなければいけないのか。それに異常な体験をしたからといつて、だれもがその体験を語るだけの能力を備へてゐるわけではない。

山本七平のやうに語る能力がある存在は稀有だ。ほとんどの人が語る能力をもたない。それが事実である。また、語るには聞き手の存在も欠かせない。聞き手の存在があつて、はじめて語りが存在できる。それはユダヤ人狩りに遭遇しなければならなかつたボリス・シリュルニクの作品『憎むのでもなく、許すのでもなく』を読めば、語りの困難さが理解できるであらう。

丸谷才一の作品に戦争を拒否し、兵役の義務を忌避した人間を主人公にした作品がある。作品はそれで作品となり得るが、作品にならないもう一つの現実に光をあてたとしたら、作品はもはや作品とはならないだらう。しかし現実の全ての出来事は、人の思惑とは無関係に、常に、次元の異なるものでありながら、それでも尚且つ同次元で、混在しながら、同時進行してゐる。

丸谷才一の戦争を忌避した作品の語り手、その人にしても戦後雄弁であつたらうか?

20190417
   < 美しい日本の その二 >

来る年も、来る年も、八月になると敗戦企画がなされ、十五日のその日に合はせて記事を募る。毎年おなじ論調の懺悔の掲載では、飽きられてしまふし企画にもならない。読者に作爲が気づかれてしまつては元も子もない。だから、あれこれ基準を変へる。

ちようどパソコンのOSが新しく変はるやうにである。OSが入替ると周辺機器もOSに合はせて更新の必要が生じる。更新しなければ、周辺機器は使用できなくなる。新聞に掲載される記事も、設けられた基準、OSを満足させなければならない。そのために、そこで何がなされてゐるか。応募者は、基準に合ふやうに、自分の記憶の書換へを行なつてゐるのである。

さういふことからもわかるやうに、掲載される応募記事の実態は、もはや記憶ではない。基準・要請に合はせ、掲載されることを望み、忖度して作られた体裁のよい僞作物である。新聞に掲載されるものはその僞作物の羅列でしかない。それを整理整頓して、分類分けして、見せてみて、そこからなにが生まれるといふのか。

『日本の長い戦後』をもたらしたものがなにか?だれがさうさせたのか?その原因を究明しない限り、『日本の長い戦後』の呪縛からの解放は望めない。



蛇足:「新聞」で連想すること
新聞は、新聞といふ仮面を被つて、これまで「報道しない自由」と嘯いて、恣意的な報道で人々を騙し、意図的に人々を操作してきたのではないか?

人々は、これまで「新聞」の記事を、共産党員でない人が「しんぶん赤旗」の記事を読むやうな批判的態度で読んできただらうか?

逆に、人々は「新聞」に書かれた報道は、絶対的で、無条件に、正しいと信じるやうに教へられてきたのではないか?

権力を監視すると言ひながら、新聞そのものが最高の権力であり続けてゐるのではないか?






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# よく見れば lundi 1er avril 2019
畑に行くとナズナが花をつけてゐる。

畑に限らず、畦の雑草の草花も胎動開始で、芽吹きが其処彼処、至る所にある。

冬の間、休息した畑、そこにすでに雑草が芽吹いてゐる。

雑草に混じつてナズナも花をつけてゐる。

畝づくりをはじめると、それらが邪魔になる。

ナズナを抜きながら、芭蕉の句を思ひだす。

その句を巡つて、待てよ、と考へる。

20190401

芭蕉が目にした垣根はどんな垣根だつたのだらう、と。

今現在、畑でみるナズナは群生してゐる。

よく見なくても、この畑ではナズナは無断で目に飛び込んで来る。

それをわざわざ「よく見れば」と芭蕉は断るのだから、腑に落ちないものがある。

それにしてもこの言ひがかり、揚げ足取りの難癖、草抜きに疲れた腹いせのせいなのだらうか?










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# 『日本の長い戦後』 その六 jeudi 28 mars 2019
チャーチルでもない、スターリンでもない、ことルーズベルトの読み直しをと意欲すると、「歴史修正主義者」と負(マイナス)のレッテルが貼られる。日本語でハーバート・フーバーの『裏切られた自由』(草思社)が読めるやうになつたいまでも、それは、ある勢力下で、オウム真理教の残滓のやうに、厳然と続いてゐるのではないか。

歴史は、学問として、資料が見つかつたり、未公開だつた史料が公開されたとき、あるいは新たな文脈から、修正され、読み直されるのが本來の姿である。歴史修正主義のやうに、言葉が、いままでと異なる特定な使はれ方をするとき、そこには、直視に耐経ない不健全な狂信に従ふ人々の群れが見えてくる。

歴史修正主義者といふ非難のこもつた名前の誕生は、ルーズベルト神話保護のためだけに考案されたものである。岡田英弘もアメリカ留学中に目撃したその時の様子を著作集に記してゐる。

言葉の言ひ換への悪用例はこれまでにもある。たとへば、かつてアメリカの国是は他国に干渉しない、非干渉主義だつた。しかし、この国是が、第三十二代アメリカ大統領F.D.ルーズベルトの政権下で、孤立主義と言ひ換へられた。アメリカは世界の孤児になるとまことしやかに言はれた。

もちろん、目論見通り、その先には期待した戦争が待受けてゐた。

いま現在でも、言葉の操作は日常茶飯事である。

日本国政府の借入金を国民の借金といつて日本国民を騙すのもその例。無責任に、借金のツケを孫の代まで残すといつて、公然と国民の不安を煽る。それも公器だといつてよい報道機関があらゆる手段を使用して。

同類のことは、探すまでもなく、いくらでもある。

最近実施された沖縄の基地移設の是非を問ふ県民投票も「移設」を「建設」と言ひ換へて、情報操作をしてゐる。反対の民意を得るために、この民意の「民」も信用できないのだけど、五億円といふ巨額を喜んでドブに捨て、日本国よ貧乏になれ!と言はんばかりに、分限を超へた、無責任で無駄な県政が行はれてゐるの放置されてゐる。

20190328

これもリベラルを名乗る沖縄の二紙が、だれ憚ることなく、関与して、紙面をつかつて公然と情報操作する。情報操作、本来これは民主主義の破壊、否定である。

さらにそのうへを行き、手本を示すのが、著者個人と出版元に対して、五〇〇〇万円の訴訟を起こした朝日新聞である。これが報道の雄のすることかと思ふと、あまりの次元の低さに、情けなくなるばかりだ。「メディアはメッセージ」を巧妙に悪用して、民主主義の破壊に寄与して餘りある。

権力の監視を高らかに宣言する朝日新聞。その一方自らの権力乱用は不問にする。気違ひに刃物。(キチガイは差別用語で使用できない?)それなら精神異常者、精神破綻者に刃物と言ひ換へやう。

『日本の長い戦後』の結論からもわかるやうに、この本は、結局、トラウマを、誠実に、飼ひつづけませう、といつてゐる。朝日新聞の投稿記事を信じて使ふとさうなるのは必然で、残念ながら研究書に値しない。

八月十五日よ、飯の種の日よ、トラウマの日よ、永遠なれ!朝日新聞を雄と仰ぐ独占企業体質の日本の報道機関はすべて、朝日新聞へ右へ倣へ、である。
『憎むのでもなく、許すのでもなく』の本の元名は『 Sauve-toi, la vie t’appelle 』(自らを救出せよ、人生がお前を呼んでゐる)である。心的外傷の治癒を問題にしてゐる。さうして心的外傷を治癒するには「理解する」必要を解いてゐる。なにを理解するかは、各人がこの本を読む以外にない。

著者ボリス・シリュルニクは、この本で、つぎのやうに紹介されてゐる。五歳のときユダヤ人一斉検挙により両親を失ふ。本人六歳のときフランスの警察に逮捕され、強制収容所、移送寸前で逃走。戦後、逆境にも関はらず、パリ大学医学部に進学、精神科医となる。トラウマ研究の権威。

一方『日本の長い戦後』の方は、悪いのは我々、先祖の悪行からも我々は逃れられない。だから許されるまで誠心誠意、永遠に謝り続けませう、さうすれば「トラウマ」も治るから、と、不毛で不必要な誤りを強いる。朝日新聞を信じ、そのお先棒を担いでゐると、さうならざるを得ない。











| comments(0) | trackbacks(0) | 07:07 | category: ひと言 |
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